石田三成、捕縛されて

2013年08月01日 19:53

112 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/01(木) 00:59:56.75 ID:dTvFgpKp
関ヶ原の戦に敗れて、石田治部少輔三成は、家人をも召し連れず、落ちゆく勢びうちに紛れて歩いていたのを、
田中兵部少輔(吉政)の家人・田中傳左衛門がこれを発見し、

「治部殿でありますな!今はあなたの御運も尽きんとする時ですぞ、とどまり給え!」

そう叫んで走りかかり、押し留めた。これに三成は

「いやいや、名も無き下人である。治部ではない。人違いをされては困る。」

と言い逃れようとしたが

「見忘れられましたか?田中傳左衛門です。関白殿(秀次)の元で幾度か見参いたしました。」

そう言ってこれを押し捕えた。
その場所は近江の古橋というところで、先ずこの辺りの寺に伴い、そして陣所に連行して
兵部少輔(吉政)に注進した。

このとき三成は、1尺3寸の放し目貫の脇差を佩び、柿色の帷子ひとつを着て、米5合ほどを
袋に入れて腰につけていた。
その脇差の目貫は黄金の駒であったが、裏側には目貫はなかった。
これを見て田中傳左衛門が聞いた

「これはどうして、裏の目貫がないのでしょうか?」

「家人が一人つきまとったので、この目貫を抜いて与え、これを印として大阪城に赴くようにと
言って、落としてやったのだ。」

そして三成は傅左右衛門に向かい

「父である石田木工、その他の人々はどうなったのか?もし知っているのなら教えてほしい。」

と尋ねた。傅左右衛門は

「木工殿は妻子を刺し殺し、その身は潔く御自害をされました。その他の方々も同じ道を取られました。」

そう申し上げると、三成は心良さげに笑われ

「ざっとすんだ。」

と言った。
これを見て傅左右衛門は思わずこう尋ねた

「大事の合戦に敗れたというのに、どうして御自害されず、このように囚われの身となったのでしょうか?」

この言葉に、しかし三成は

「これはお前の解るような事ではない。こう言う時に潔く自害などするのは、お前たちのような者共が
することだ。私はそんな事は出来ないのだ。」

そう嘲笑ったという。
(話園)

石田三成が捕らえられた時の逸話である




114 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/01(木) 18:21:02.52 ID:tkS35PAS
>>112
木工は兄じゃないの?原文で父となってるのかな

115 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/01(木) 21:29:45.60 ID:pQIUAOae
>>112
ふむ。

116 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/01(木) 21:33:20.68 ID:lucOSRHD
>>114
木工は兄貴の方だね

117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/02(金) 06:16:03.75 ID:sQqwgHtB
>>114
投稿したものですが、これは原文から父になっていました

118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/02(金) 09:35:58.76 ID:V9sJiln7
てことは、原文の作者が勘違いしたんかね?

119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/02(金) 20:25:30.73 ID:Re+10w4C
それなら仕方ない

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三成捕縛の模様

2011年02月06日 00:00

643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/05(土) 13:44:02 ID:rZl4ESM8
田中傳左衛門さんが三成を捕縛したときの模様

石田三成は近江古橋という場所にいたが、大勢の中にまぎれていた。
だが田中傳左衛門はかねてより三成を見知っていたので声をかける。
しかし三成

「人違いでしょう?わたしは治部少ではありません」

と惚けた。これに傳左衛門

「…ご失念でしょうか?わたしはあなたをよく覚えております。関白様(秀次)に仕えていた
田中傳左衛門です。」

これに三成は観念し傳左衛門に捕らえられ、近所の寺へと連行。そこから田中吉政に
注進し、陣所へと向かった。

三成の姿は一尺二、三寸(約40センチ)の脇差を指し柿帷子の着物、米5合ほどを入れた袋を
腰に付けていた。
三成の脇差の目貫は金の駒であったが、裏目貫がなくなっていた。これに気がついた傳左衛門が
訳を尋ねると三成

「私が逃亡するとき、家臣の一人がどうしても離れようとしなかった。そこで裏の目貫を外して取らせ、
”お互い大阪城に無事入り付いたら、そこでまた目貫を合わせよう”と言って別れたのだ。」

そして傳左衛門に尋ねる

「木工頭(石田正澄、三成兄)はどうなったか?」
「木工頭殿は妻子を刺し殺し、ご自身も自害された、とのことです。」

そう聞くと三成はこう、呟いた

「…ざっと済んだ。」

そして
「私がこのように落ち延びたのは、どうしても大阪城に入り再起をしたかったからだが、
このように生け捕られてしまった。」

傳左衛門は新しい着物と帯を三成に進め、脇差も指すことを許した。これに三成は
今度の一件を心静かに語り

「百姓などの手にかかるようであれば恥辱であっただろうが、傳左衛門のおかげで
当面の恥はまぬがれた。さあ、早く兵部少輔(田中吉政)に注進なされるが良い。
この上は首が晒されるべきものと、覚悟いたしておる。」

そうして、三成を乗り物に乗せ傳左衛門は陣所へと向かった。
この時三成「これを、其方に形見として残す」と、先の脇差を手渡した。

石田三成の捕縛と連行の時の模様である。




645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/05(土) 19:48:39 ID:7ft8EcyG
>>643
悪い話ではないだろうと思ったが、前の話の続きだからこっちでいいのか
石田三成はいい人に捕まったよね、しみじみする話だ

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/05(土) 19:50:55 ID:CbRHBOkh
>>643

別れた家臣のほうはどうなったんだろうw
実は身軽な単独行動しようとしたけど
どうしても付いていくと言って離れない家臣がいたから
嘘付いて裏目貫を渡したとか?

649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/05(土) 20:18:50 ID:c35qEfNw
>>645
三成自身は親友と信じていた、田中吉政こそが三成の家族を37564したとか言う戦国トリビアは最悪だな

650 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/05(土) 20:43:57 ID:UkeUgMC8
>>643
大阪落城、秀頼自害の報告を受けた家康は静かに「ざっとすみけり」と言った、
という話を思い出した。同じ台詞だけど心境はだいぶ違うな…


651 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/05(土) 20:46:06 ID:36GMoLSQ
三成に「お前に捕らえられて良かった」と言わしめたほどの男だからな

三成の発見者の、その後

2011年02月05日 00:00

624 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/04(金) 02:25:05 ID:J/np1n0Y
関ヶ原の決戦の後、逃亡した石田三成を発見したのは、田中吉政家中、
田中傳左衛門であった。

さて、「三成捕らわる」の報に、徳川家康は村越茂助を派遣する。村越は田中吉政

「三成を生け捕ったのは何者であるのか?内府様は御目見え致したいとおっしゃっておられる」

と伝えた。ところが吉政これに

「いえいえ、名もない者であり、その様なお心遣いは無用であります」

と断った。

ところがこの傳左衛門、名もないどころではない。
彼はかつて秀吉に仕えその後関白秀次の元で千石の足軽大将まで務めた、
堂々たる武士であった。

ところが秀次による千石堀普請の時、その工事内容がよくないと秀次の御意に触り、
牢人することとなった。

そこを田中吉政が引き取り家来のように使ったのだが、同時に傳左衛門は
豊臣家直参への復帰を強く望んでおり、折を見て秀吉などに許しを求め運動していた。
そのため家臣のように扱われているとは言え、吉政から領地を頂くようなことをせず、
合力米をその働きの対価として受け取っていた。

そのようであったため、田中吉政はこの時、もし傳左衛門を御目見えさせれば
直参に戻り自分の家中から出ていってしまうと思い、そうさせないために村越にそんな事を
言ったのだ、という。

後になってことことを知った傳左衛門は田中家を立退き、近江においてその生涯を終えた。
享年、62歳と伝わる。


三成の発見者の、その後に付いての話である。




628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/04(金) 03:22:31 ID:KnEpZaAX
>>624
この人はせこい逸話ばかりだな