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立花道雪「豊後もここまで…」

2012年05月28日 21:00

567 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/28(月) 00:38:13.62 ID:p2y0Ubt2
耳川の戦いの後、筑後の国人たちは大友を見限り竜造寺・秋月勢に寝返るものが続出した。
そんな中、数少ない大友方に残っていた問註所統景より一族の問註所鑑景との戦いにさいし大友家に援軍要請が入る。

筑後回復の機は今とばかり宗麟次男・三男の田原親家・親盛を大将副将に約7千の軍勢で筑後になだれ込んだ。
が、初戦の猫尾城攻略から苦戦、黒木氏の猫尾城には竜造寺からの鉄砲隊が援軍として入場しており、城方の反撃悩まされていた。
豊後勢は耳川で歴戦の武将の多くが戦死しており、若い武将ばかりなのも苦戦に拍車をかけていたのだった。

城攻め1ヶ月で業を煮やした大友軍は立花道雪高橋紹運に出陣を要請、形勢は一気に逆転する。
両将は筑前より一直線に猫尾城へ進軍、立ちふさがる竜造寺・秋月連合軍を片っ端から蹴散らすのであった。
竜造寺からの増援軍も激戦の末に破り(この激戦で道雪の弟戸次次右衛門など戦死)、即猫尾城攻略に取りかかる。
そしてこの猫尾城もすぐに落城。城主黒木家永は13歳の娘に介錯され自害している。
その後も山下・谷川・辺春・兼松・鷹尾などいくつもの城を攻略。
そんな中、竜造寺もさらなる援軍を繰り出し柳川城で戦線は膠着するのだった。

そんな柳川での対陣中、いきなり田原親家・親盛兄弟が撤退してしまう。その理由は
「自分たちがどんだけ頑張っても手柄は道雪・紹運コンビのものになってしまうのでツマラナイ」
と言うものであった。そのまま豊後まで引き上げる田原勢。
さすがの道雪も
「豊後もここまで落ちぶれたか・・・」
と嘆くのであった。




568 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/28(月) 00:48:02.49 ID:Ll6xSbPx
加藤清正「大友のボンボンどもはわかっていない。戦で名を上げるには目立ってなんぼよ!」

569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/28(月) 01:11:16.55 ID:Wd1uPV5f
>13歳の娘に介錯

これも凄いな。つか当時は山城ばっかで家族は城内に居ないと思ってたよ

570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/28(月) 01:19:26.09 ID:4lp7fMbE
真面目な人って他人にも真面目を強いることが多いからね

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/28(月) 01:42:39.32 ID:aRqkqxJd
無理せず初めから立花さん呼び寄せとけよ

573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/28(月) 04:41:16.04 ID:cvjlR2ei
宗麟は1人くらい息子を道雪に預けて鍛えて貰えば良かったのに。

多分遠慮なく鍛えてくれる気がする。

574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/28(月) 12:11:14.36 ID:Nv1mXfCM
鬼のしごきに耐えられるならいいけど

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/28(月) 13:39:20.40 ID:qkqExfqv
>>574
なぜか完成したのは全部、量産型立花闇千代で温厚な宗茂がまさかのブチ切れ

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/28(月) 13:55:54.50 ID:wyP/LwPV
でなぜか女癖がそーりんと同じだったりw

605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/29(火) 22:28:37.11 ID:TOr99TMh
>>588
周りに敵抱えまくってる時の武将って一体いつ寝てるんだろう・・・
仕事は戦闘だけじゃないはずなのに
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大友宗麟の次男坊に田原親家ってのがいるけど、

2010年09月25日 00:00

255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 18:50:26 ID:i0FMhLtm
宗麟の次男坊に田原親家ってのがいるけど、こいつ豊後侵攻のときに裏切って島津に内通してるんだよね。
兄貴の義統と仲悪かったからって…
いかに末期の大友がヤバい状態だったかわかるだろ

ただし戦後の親家は宗麟の取り成しで助命されて一緒に暮らし、
宗麟の最期を看取ってその葬儀を取り仕切ったとか(これはいい話か?)