309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/01(日) 12:22:58.80 ID:S23UAFMY
そんなこと言うなら、季節ごとに立場を変える、北関東の領主の皆様はどうなるんだよ・・・
310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/01(日) 12:54:15.47 ID:zmah96Am
ちょうどこの前年に由良氏がそんな状況になってた。
由良成繁は下克上の後に謙信の小田原攻めにはやくからしたがって謙信から領土を与えられるが
謙信の勢力が衰えると真っ先に北条に帰参し関東諸侯が一斉に北条方へ雪崩を打つきっかけをつくり
謙信から第一の侫人と呼ばれた。
越相同盟を仲介して形式上は上杉の傘下に入るが裏では同盟に不満があった氏政に通じ氏政から
上野一国を進呈すると書状を送られた。
その後越相同盟が破綻すると周辺の上杉方勢力を攻め勢力を拡大した。
しかり成繁は謙信と同時期に世を去り後をついだ国繁には成繁ほどの手腕はなかったらしく
滝川一益退去後一人勝ち状態になった北条は由良氏を攻めた。
昌幸は由良に「上杉と佐竹が援軍に来るから頑張れ」と書状を送ったが
佐竹は援軍に来たものの景勝は上野の瀬下氏に関東に出兵することはないと言って援軍を出さなかった。
結局佐竹も途中で軍をひいてしまい、由良氏は居城を失って北条に屈服することになった。
311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/01(日) 13:04:33.97 ID:8RyvYDu7
謙信は5回攻めたけど最期まで由良の新田金山城攻略できなかったね。
成繁も腹芸は確かに上手かったが防戦も上手い。
312 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/01(日) 13:55:20.55 ID:crvr1eFn
地理的・地形的なものってあるよね。
小勢力は、大勢力に一旦従属したとしても、あくまで自家を保つことが最優先で、
主との間は双務契約的なものだから、攻められたときに後詰めに来てくれない
(来られない)なら、忠義を貫いて滅びなきゃならない義理はない。
関東に何度も入った上杉しかり、三河に何度も入った武田しかりで、山越えして
来る軍勢は、どんなに強くても、季節が過ぎたらお家に帰らなきゃいけないし、
お留守番をたくさん残していくことも出来ないし、一旦帰ってしまったら、せっかく
落とした小城を取り返されそうになっても迅速に後詰めに行けないし、で、結
局、長くキープできないから延々と取ったり取られたりのループになる。
板挟みになった現地の小領主はまたくたまったもんじゃないな。
313 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/01(日) 13:59:56.70 ID:s6SEHbzx
>>309
高増「確かに周りはそんな人ばかりですな」
資孝「義理も無い人々に囲まれて疲れる」
綱清「全く」
314 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/01(日) 14:57:19.64 ID:nTaZve+o
おまえらの血は何色だあ
315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/01(日) 15:03:45.71 ID:cXfoASMt
山家三方衆は徳川と武田だけだが
上野は上杉、武田、北条が争奪してるから小領主は悲惨。
316 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/01(日) 15:08:56.25 ID:Y/z4Zx80
関東地方唯一の一揆の国、上野は
戦国時代後期になれば隣国の強大な戦国大名権力に蹂躙されるのが宿命
317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/01(日) 15:38:00.35 ID:r+JAXZvE
異常に強い長野爺も居なくなったタイミングだしな
318 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/01(日) 17:59:14.60 ID:KGeeRxkF
>>312
前線で落城した城主の一家は、
親類の城にでも家臣を引連れて居候しながら、
再起を計るだけで
どこでも似たようなものでしょう?
319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/01(日) 18:15:59.01 ID:crvr1eFn
>>318
そもそも、敵の大軍が迫ったときに、「落城」云々というところまで戦うのか?というのが問題で。
援軍が来てくれそうなら城門を堅く閉ざして粘ってみようか?という気になるだろうけど、こりゃど
うしようもないな、と思ったら、戦になる前に城ごと降って所領を守ろうとするんじゃないかな。
その場合、たいていは元の主のところに人質を差し出してあったりするので、その人質を見捨て
る覚悟が必要になるんだろうけど。
320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/01(日) 19:28:24.37 ID:ykCTw3hD
んだねぇ
321 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/01(日) 20:22:15.33 ID:731tBxiO
>>299
当時の上州は他国の動きをけん制できる要衝だから
そこを治める真田に対する扱いもおのずとね…
利用価値があればどれだけ恨みや貸しがあっても優遇
逆に言えば利用価値がなくなった途端それまでどれだけ尽くしてもポイ捨て
上杉、北条など使う側の周辺勢力も、使われる側の真田も
最初からそういう関係と割り切ってつきあってたんだろうな。
今でいう北朝鮮とその周辺諸国みたいなもんか
322 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/01(日) 21:47:00.06 ID:S23UAFMY
>>321
殿、「幸村様と正男を一緒にするとは」と怒った鬼女たちが押し寄せてござる!!
我らが支えているうちに、早くお逃げくだされ!さあ!さあ、とく落ちられたまえ!!!
323 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/01(日) 22:07:14.91 ID:731tBxiO
まさおは嫡男だから信幸のほうじゃないのか?
324 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/01(日) 22:24:36.88 ID:Y/z4Zx80
群馬県立歴史博物館(高崎市)の展示は、真田のことほとんどスルーしてたな。
高崎中心に見ると、真田の存在感ってほとんどないのかもね。
室町時代は上州一揆の上層に山内上杉氏がゆる~く君臨する統治形態だったが、
北条氏が上杉憲政を追ったことで上州一揆は切り裂かれる。
その後の謙信・信玄・勝頼・滝川一益らの相次ぐ支配者の交代と戦争で一揆は完全に解体し、
「沼田領」「新田領」「厩橋領」といった18の「領」と呼ばれるブロックに再編されていく。
小田原征伐で北条が滅んだ後、「箕輪領」が井伊直政に、「新田領」「館林領」が榊原康政に与えられる。
すごく大雑把に言うとこれが群馬の戦国史