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政長一人の惣勝ちを見せ申さん

2020年05月02日 17:56

136 名前:人間七七四年[] 投稿日:2020/05/02(土) 12:28:05.91 ID:XXppo7En
畠山政長は公方家三代の管領職であり(義政、義尚、義材)、近代無双の名大将であった。
その手柄の多き中に、去る応仁の乱で山名方の多勢が洛中の軍に打ち勝って、相国寺の焼け跡に
陣取り、既に公方家の花の御所へ攻め近づいたため、御所方は難儀に及んだ所、この政長の手勢、加勢、
合せて二、三千の人数を以て

「今度の合戦は、政長一人の惣勝ちを見せ申さん!諸人証拠たるべし!」

と、自身声高に呼びかけた。敵は諸家合せて二、三万の大勢であったが、これを一戦に切り崩し、悉く
追い詰め、引き残る敵兵を、かの寺の蓮池へ切り込み、大いに勝利を得た。

これより山名方の者共は立て直すことが出来ず、それより文明年中まで、ただ対陣に日を送り、洛中の合戦
無く、終に御味方の御利運となった。然れば応仁の乱の惣勝ちは誠に政長一人の惣勝ちでであったと、
天下の人は皆感称した。

應仁後記



140 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/05/02(土) 17:25:11.50 ID:28fUGzQr
政長って普通に有能だと思うけど義就が怪物すぎるせいで割を食った感がある
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三条大納言公治卿亭焼亡

2019年11月21日 17:12

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/11/21(木) 05:31:48.34 ID:nixR1LJw
(文明十八年)三月十三日 晴
畠山右衛門佐義就に赦免が有った。東山殿(足利義政)並びに将軍御所(足利義尚)よりの御内書が
河内に下された。また(義就と対立している)畠山政長にも同日御内書が下され、右衛門佐と
和睦し、開陣するようにと仰せになられた。東山殿は色々と相談され、世上の無事のためにこれを
仰せ出になったのだという。ただし管領(畠山政長)はこれに同意せず、上意に応じなかったそうである。
これについて後日様々な噂が立った。畠山義就と政長の和睦については、左衛門督(政長)が上意に
従わなかったため、東山殿は様々にぞの所存を述べたが、細川九郎(政元)も同心せず
「今回のことは三条大納言公治卿および伊勢貞陸の申し沙汰であり、義就にとって有利な内容である、」
と、左金吾(政長)、細川九郎は触れ申しているとか。これも雑説であろうか。

二十日 晴
今日聞いたところによると、畠山右衛門佐(義就)が御免された事につて、世間の雑説では細川京兆家の
領国である丹波、摂津、四国より軍勢が上洛するという。また今回の和睦を主導した三条亞相(公治)、
伊勢兵庫頭(貞陸)の身上について様々に沙汰されている。この二人は細川方にて彼らの疑念するような
事は知らないと弁明しているという。

四月三日 晴
今夜半、三条大納言公治卿の屋敷が焼亡した。夜中に数百人が乱入し放火を行い、亭主の亞相(公治)は
逃げ出し、翌日近江坂本まで下向したという。一体誰がこのような事をしたのかは解らない。
畠山右衛門佐(義就)御免の事が沙汰された事で、義就の敵方がこのような所業に及んだのであろうか。
先月、右衛門佐は東山殿並びに将軍御所に、和睦の御礼として銭三万疋、腹巻一両をそれぞれ進上したと
沙汰されている。

(長興宿禰記)

応仁の乱後も争いを続けていた畠山義就畠山政長の和睦を画策したところ、これを主導した一人である
正親町三条公治の屋敷が焼き討ちにあったというお話。



河内帰還

2018年03月23日 16:50

718 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/22(木) 21:19:31.86 ID:Go8PNewW
明応の政変によって畠山尾州(政長)が自害し、その嫡子である尚慶(尚順)は大和の奥郡に隠れた。

畠山家の侍である木澤という者、尾州生害の後、いかにもして主の本意を達し、尚順をもう一度、
その本拠である河内へ返さねばと、骨髄に徹して思っていた。

その志が天に通じたのだろうか、彼は和泉の堺は落ち行き、商人として日を送っていたが、
ある時大雪が降った。彼は「名屋」という商人の邸宅の門の前を通っていたが、夜も相当に更け、
体の前にも後ろにも雪がついていたので、名屋の小門の板(看板?)にてたたき落とした所、
内より戸が開き、何者かが彼の袖を引いた。

木澤は怪しいと思ったが、無言のままこれに引かれて奥に入ると、屏風の中に引き入れられた後、
女房二人が火を灯し持ってきて、この木澤を見た途端、驚き呆れた表情になった。
これは、名屋という商人が高麗へ商売に渡っている留守の間、夜な夜な他の男が名屋の
妻の元に通う、いわゆる忍男があり、その忍男が門を叩いたと思って、間違って木澤を
引き入れてしまったのだ。

木澤はこの有様を見てそれを悟り、言った
「私はこの屋の主と知人である。彼が高麗より帰れば、この事を伝える。」

これに主の妻は手を合わせて詫び嘆き、金銀を持ってきていろいろと宥めてきたが、
彼は金銀を取らず、床にあった笛を密かに取って帰っていった。

程なくして名屋が高麗より帰国することが先立って知らされた。そのため邸宅の中を掃除した所、
名屋秘蔵の笛が見つからず、妻も不思議に思いかれこれ尋ねた所、有る女房が
「いつぞやの夜の男が、笛を懐中に入れたのではないでしょうか?」
と申し上げたため、かの男を詳しく尋ねると、やはり木澤のもとに笛があった。

木澤は尋ねてきた相手にこう申した
「私は必ずあの夜のことを名屋に申す。笛はその証拠とする。」

名屋の妻の父である紅屋という者がこれを知らされ、木澤の元に行き、訴えた
「どうか我が娘の命を助けてほしい。笛を返してほしい。」
そう嘆いて申した所

「ならば、我が望む所を達してくれるなら笛を返そう。」

紅屋は誓った
「どのような事でも、決して背きません。」

「では言おう。私は故畠山尾州守の家人である。主の本意を達すること計る心を、今も持っている。
現在、河内の平野には桃井兵庫が有るが、これを討とうと考えている。しかしその時、兵糧が
なくては叶わない。我々が挙兵するとき、必ずそれを頼む。」
そう伝えて、笛を紅屋に返した。

その後、杉原、斉藤、丹下、貴志、宮崎、安見、木澤、そして遊佐河内守をはじめとした
畠山尾州家の牢人たちを紅屋の元に集めた。
そして地の利を詳しく知っている彼らは、平野に夜討ちをして桃井、一色といった者たちを
討ち取り、畠山尚順は本意を達し河内へ帰還した。
そして河内の高屋は安閑天皇の墳墓であったが、要害が良いためここに城を築いた。
(足利季世記)



719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/23(金) 23:38:13.64 ID:R6aFemdC
全くいい話に見えないな

720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/24(土) 02:28:05.90 ID:aZ7j2nv1
明応の政変って戦国時代か?

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/24(土) 07:04:51.85 ID:qpZjEP8O
享徳の乱以後は戦国時代でおk

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/24(土) 07:42:36.08 ID:s940ZZCm
古い話も新鮮でよいけどな

727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/24(土) 18:13:24.89 ID:E6lAAeej
主家復活のため手段を選ばない男が人の浮気をネタに恐喝して得た資金で目的を達成ってどっちかって言えばいい話に読めるけどな

728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/24(土) 19:49:43.26 ID:Uvw5N+xj
まあ武略の類いでいいんじゃないかなあ
木澤って長政のじいさんとかなのかね

729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/24(土) 21:10:18.02 ID:VcxbanMs
主の本意を達成させた普通にいい話だよなあ
脅したっていっても別に悪意を持って陥れたって訳でもないし
嫁さんとその父親が身銭を切らされるのは自業自得

畠山政長の最後

2018年03月15日 21:29

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/14(水) 22:27:07.05 ID:MY/3Tvpu
文明一統(応仁の乱の終結)以来、畠山義就も逝去し、細川勝元も山名宗全も逝去し、
応仁の乱の中心人物の中では、畠山尾張守政長だけが残った。
政長は元より一方の棟梁であり、位も従三位に叙し、再び管領にも就任したため、
三管領四職から御供衆に至るまで、彼の風下に立ち、政長による書状の文面は、
四職に対してはまるで被官に下すような書礼であった。

このような状況に、赤松一色山名といった人々、様々にこの不当を訴え、政長への恨みを
つのらせた。

この頃、畠山総州義豊(義就流畠山総州家)は、河内国誉田に在城して、政長と対立していたが、
さらに上意にも背くこと有り、公方足利義材は政長に心を寄せ、正覚寺に御動座あって、義豊を
退治しに向かった。

しかし、細川右京太夫政元も畠山政長に恨みがあった。
そのため彼は義豊方に加勢した。
すると、桃井、京極、山名、一色といった人々も皆義豊方に加わり、逆に正覚寺へと攻め寄せた。

政長方では、遊佐、斉藤、杉原、貴志といった人々が、ここを先途と防いだが、敵は四万余騎、
見方は二千余人という絶望的な状況であった。
そのため、先ずは公方義材を夜に紛れ、馬を召して、大和国筒井の城へと落とした。
そして夜が明けると、敵は徐々に四方より取り巻き、落ちのびる道もない状況となった。
正覚寺に籠もる者達は皆、自害せんと心を沈めていたが、政長は平某を召して、御児丸殿といって
この時13歳になる若君、彼は三才の時、常徳院殿(足利義尚)より一字を賜り尚慶と申したが、
これを呼び出し平に

「この君を汝に預ける。いかなる謀をも廻らせて彼を落とし、再びの当家再興の時を待て。」

そう命じたが平は

「私は最期のお供をすると決心しています。私の一族の、平ノ三郎左衛門に仰せ付けください。」

そのため三郎左衛門に命じたが、彼も最期のお供をしたいと申し出た。これに政長は大いに怒り

「汝は不覚を申しようだ!死を一時定めるのは却って易い、若君を落としそれに付き従うのは
大事である!」

こう言われて、平三郎左衛門も泣く泣く座敷を立ち、この時正覚寺の中には、公方様への
御慰みとして歌舞などを行う桂の遊女たちが居たのだが、その装束を借り、若君に着させ、
若君を桂の遊女に扮装させ、女たちの中に紛れさせ、自分は桂遊女に従う男の風情となり、
馬の腹帯の類に装束などを包み入れ、畠山重代の長刀(粟田口藤右馬則國が作)を竹の筒に
入れて背負い、敵陣の前を通った。
敵方にも、この桂の遊女たちを見知っている者達が居たので、問題なく通行が許可された。
敵陣を通過すると、若君を馬に乗せ、鞭を進めて大和国奥郡へと落とした。

明応二年四月九日の夜に入り、政長は心安しと、葉室大納言以下籠城の人々と最期の盃をし、
真っ先に腹を切った。しかしこの時、政長は藤四郎の刀にて三度まで腹を切りつけたが
全く切れず、そのため投げ捨てた所、側にあった薬研に当たり、その薬研を真っ二つに切り裂いた。
このためこの脇差は、薬研藤四郎とも申す。

「さては重代の刀にて、主を惜しみけるか、いかがすべきか。」

そう困惑する政長に、家臣の丹下備後守、かむり落としの信国の刀を抜いて、己の腿を二つ、
突き通し
「いかにも、良く切れます」
と、政長に奉った。政長はこれを逆手に取って、腹を十文字に掻っ切り、そのままその刀を
葉室大納言光忠卿へと渡した。その後、みな順次腹を切り、二百余人、一人も残らず自害し、
城に火をかけた。

(足利季世記)



605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/16(金) 01:53:33.13 ID:XPawPm2/
長文起こしてくれる人ありがとう

薬研藤四郎

2015年03月11日 18:52

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/11(水) 00:02:34.27 ID:aFyOPpo+
薬研藤四郎

明応の頃のことである。
畠山政長は細川政元のために包囲され、ついに自害に及ぼうとした。(明応の政変)
彼は帯びていた吉光の担当を抜くと、もろ肌脱いで腹に突き立てようとした。
しかしどうしても切れない。三度刺したが腹が切れないのである。
政長は怒って吉光の短刀を投げつけた。ところが、それは傍らにあった薬研に当って貫いた。
政長はこれを眺めると

「累代の短刀、さすがにその主人を殺すに忍びないと見えるわ」

そう嘆じた。
その時重臣の丹下備前守、自身の帯びた信国の短刀を抜き放ち、自分の体や腿を刺して試みた上で

「殿、この刀、切れ味よろしゅうござる」

そう言って渡した。そこで政長は快く腹を斬って斃れた。

この藤四郎吉光作の短刀は、薬研を貫いたという所からその後「薬研藤四郎」と呼ばれ、
後に松永弾正(久秀)の手に入って秘蔵されたのであるが、更に織田信長に献じられた。
しかし本能寺の変とともに消えた。

(古今名家珍談奇談逸話集)



546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/11(水) 00:35:08.25 ID:N/WhovJN
薬研藤四郎「お、大将……太っ腹だなぁ」

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/11(水) 16:35:24.29 ID:YQr/l5mb
ビビって腹切れなかっただけじゃ・・・とか言っちゃいけないか

畠山尚順挙兵秘話

2011年09月10日 22:26

841 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/10(土) 19:37:01.06 ID:+aqI29u/
明応のころ、堺に菜屋という豪商があった。主人が朝鮮へ渡海して商売するほどの家だったが、その留守の間に
女房は間男と密通を重ねていた。

ある雪の夜、菜屋の女房を訪ねて来た男があった。間男が来たと思った女房は、使用人に言って自分の部屋まで
案内させると、みずから部屋の戸を開け、男の手を取った。部屋から漏れる明かりに照らし出されたその顔は、
間男のものでは無かった。

「わしは、そなたの亭主と懇意の者だ。ご亭主が帰って来たら、全て話してやろうか?」
「そ、そんな・・・金なら出します、どうか主人には!!」
しかし行商人姿の見知らぬ男は、女房の願いに承知せず、女房の部屋に上がり込んだ。


その後、主人が朝鮮から帰って来るとの報が入り、女房は家中の大掃除をさせた。自分でも主人の部屋の掃除など
していたが、そのうち菜屋の家宝である名笛が無くなっているのに気づいた。使用人たちにその事を聞くと、
「ああ、いつかの雪の夜に来た旦那様の知人とか言う男が、持って帰りました。」

女房は男を捜して会い、笛を返してくれるように頼んだ。
「何を言う。この笛を証拠に、そなたの密通のこと、詳細にご亭主に伝えてくれるわ。」

困った末に女房は、実父で同じく堺の豪商である臙脂屋(べにや)に相談した。娘の不始末が菜屋に知れたら、
最悪、娘の命に関わるばかりか、自分の堺衆への聞こえも悪い。やむを得ず、臙脂屋は男に会った。
「金でも物でも好きなだけ差し上げます。どうか、娘をお許しくだされ。」

「そうか。実はわしは今でこそ、このような行商人の姿をしているが、畠山政長公にお仕えしていた者だ。
政長公の遺児を奉じ、再起を図っておるが、金穀が不足しておる。臙脂屋どのの、お力を借りたい。」

大義名分を得た臙脂屋は、喜んで莫大な金穀を男に与えた。畠山尚順が紀伊で挙兵したのは、間もなくの事だった。
(応仁後記より)

菜屋の関係者によると男は「木沢」と名乗ったという。
畠山でKIZAWAというと、「あのお方」のパパとか親戚であらうか・・・




842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/10(土) 21:05:02.14 ID:GZBZ0WZW
ああ、戦国5大長政の内の1人か