御軍旗由来

2016年05月15日 17:47

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/15(日) 14:31:14.63 ID:g0H9Yewj
御軍旗由来

『厭離穢土欣求浄土』の旗については、永禄五年の秋、三河の一向宗寺院である
佐々木上宮寺、針崎正満寺、野寺本称寺が一揆を起こした事に由来する(三河一向一揆)

この時、徳川家譜代の面々から大勢が、宗門のために数代の主君を捨て一気に与し、
徳川家康に対し弓を引いた。
これは同七年九月に至るまで合戦止むこと無く、また三河国内の親今川勢力も
一向宗に一味したため、徳川の軍おおいに危うかった。

そこでこの時徳川家康は、菩提寺である三河浄土宗大樹寺の住職である登誉上人
加勢の事を頼んだ。上人は承諾し、浄土宗の各寺院に触れまわると、
檀那の中の武士たるものは申すに及ばず、百姓町人等に至るまで馳せ集まり、
総勢千余人に及んだ。

この時登誉上人は、徳川家の旗に自筆で、「厭離穢土欣求浄土」と書いた。
この旗を真先に押立て、徳川勢は一揆の中に攻め入り、死を軽んじて戦ったため、
一向宗は敗北し家康の勝利となった。

この文は、生を軽んじて、死を幸いとする事を示している。
これははじめ、一向一揆の時に、上宮寺の住持や檀那の輩が、兜の真ん中に

『進足極楽浄土 退足無限地獄』

と書いていた事で、これに対抗する浄土宗の者達は、この「厭離穢土欣求浄土」を書いて
死を勧めたのだという。

(新東鑑)




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