御鷹の鶴の胆(マル)を上げらるるときの咒文

2017年06月12日 19:11

19 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/11(日) 22:05:45.74 ID:5UlT2XLV
公方様、御鷹の鶴の胆(マル)を上げらるるときの咒文

  ある人がひそかに話してくれた。
公方将軍様が御鷹狩に鶴を獲られて丸肝をあげられたときは、
御上と御小納戸頭取がお供のものと心中で唱えさせる呪文があるという。

「業尽きるの衆生は、放つといえども生ぜず。
故に人仲に宿して、得らるるを以って善果とす。」

これは、禽類でも鶴は大鳥でかつ寿命を保つものなので、
これを害するのは殺生の中でも罪が深いに違いないからとの事である。
きっとこの呪文も確かにあるのだろう。
基本、神祖から受け継がれていたのであろうか、
御代々唱えられている事だと聞いた。

 秘かに神祖の御知遇を考えてみた。
この呪文を生み出したのは大樹寺の登誉上人であろうか。
この人は神祖が天下を取られたころにはもう亡くなられている。
また天海僧正だと、神祖とはちょっとの間にしか会っておらず、
力が盛んだった時期の多くは台猷の二世(秀忠・家光)の頃であった。
ならば増上寺の観智国師であろう。相応の時の人である。
きっとこの国師が神君に差し上げたのであろう。

 しかしこの呪文は仏経の何によるのであろうか、出所はまださだかでない。


(甲子夜話三篇)



20 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/12(月) 05:34:25.20 ID:Y/zvUrtP
心の中でしか唱えてないのになんて知ってるのw
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御軍旗由来

2016年05月15日 17:47

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/15(日) 14:31:14.63 ID:g0H9Yewj
御軍旗由来

『厭離穢土欣求浄土』の旗については、永禄五年の秋、三河の一向宗寺院である
佐々木上宮寺、針崎正満寺、野寺本称寺が一揆を起こした事に由来する(三河一向一揆)

この時、徳川家譜代の面々から大勢が、宗門のために数代の主君を捨て一気に与し、
徳川家康に対し弓を引いた。
これは同七年九月に至るまで合戦止むこと無く、また三河国内の親今川勢力も
一向宗に一味したため、徳川の軍おおいに危うかった。

そこでこの時徳川家康は、菩提寺である三河浄土宗大樹寺の住職である登誉上人
加勢の事を頼んだ。上人は承諾し、浄土宗の各寺院に触れまわると、
檀那の中の武士たるものは申すに及ばず、百姓町人等に至るまで馳せ集まり、
総勢千余人に及んだ。

この時登誉上人は、徳川家の旗に自筆で、「厭離穢土欣求浄土」と書いた。
この旗を真先に押立て、徳川勢は一揆の中に攻め入り、死を軽んじて戦ったため、
一向宗は敗北し家康の勝利となった。

この文は、生を軽んじて、死を幸いとする事を示している。
これははじめ、一向一揆の時に、上宮寺の住持や檀那の輩が、兜の真ん中に

『進足極楽浄土 退足無限地獄』

と書いていた事で、これに対抗する浄土宗の者達は、この「厭離穢土欣求浄土」を書いて
死を勧めたのだという。

(新東鑑)