ともかくも仰せには

2017年08月11日 17:29

139 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/11(金) 08:04:22.14 ID:NJal55J9
大坂御陣の時分、石川主殿頭(忠総)は大久保相州(忠隣)の子なので
閉門でおられ、冬陣に御供することを佐渡殿(本多正信)に願われたが

叶わず、駿河にて上野介殿(本多正純)を頼られたがこれも叶わなかった
ので「この上は御成敗を仰せ付けられようとも、ままよ!」と、大坂へ上り、

隙あらばと心掛けなさった。さて、伯楽ヶ淵(博労淵)で本多雲州(忠朝)
討死の時、主殿頭は比類なき働きをなした。

されども御所様(徳川家康)は、(無断での従軍について?)ともかくも
仰せにはならなかったという。

――『武功雑記』


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そのため彼らが放つ弾丸は

2014年12月20日 17:30

412 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/20(土) 13:26:51.83 ID:JiiCjlFq
 大坂冬の陣の時、徳川方の部将石川忠総が2300の兵で芦島という場所を占領した。
 そこは河口付近に位置し、潮の出入りがあった。石川忠総はそこの少し小高い場所に本営を置いた。
 そして、敵がいる馬喰ヶ淵の砦へ夜を徹して鉄砲を撃ちこんだ。兵士たちが河口の水に足をひたしながらも
懸命に射撃を続けたおかげで豊臣方の兵が芦島まで来ることはなかった。
 そうして対峙するうちに徳川方の池田忠雄の家来である北川久太夫という武士が一人で小舟を使って
敵の馬喰ヶ淵の砦を偵察しに行った。小舟はすぐに砦の敵兵に発見され、雨あられと鉄砲玉が飛んできた。
北川は小舟の中に身を隠してから隙を見て小舟を漕ぎ出そうとしたが、いつの間にか潮が引いていたので
小舟を動かすことが出来なかった。
 そこで北川は身を隠しながら、腰の薬袋から鉄砲玉を取り出して敵が撃つごとに鉄砲玉を川に投げ込んだ。
敵兵は自分たちの撃った弾が小舟よりも手前に落ちてると勘違いして、銃の照準を上の方に向けた。そのため、
彼らが放つ弾丸はことごとく小舟の上にそれてしまった。こうして、北川久太夫は潮が満ちるまでやりすごし、
無事に味方の陣地へ帰還できたのである。  (武徳編年集成)



413 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/20(土) 20:18:52.44 ID:FteN32ff
いったいどんだけ鉄砲玉もって歩いてるんだよ

414 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/21(日) 09:41:41.79 ID:LE8SGgmX
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