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織田信長による北伊勢攻略

2020年03月06日 18:36

707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/06(金) 02:18:33.57 ID:LPrscr5h
その頃、尾張国の守護であり、平相国清盛公二十一代の後胤である織田上総介平信長は(この場合の「守護」は
室町幕府の役職ではなく、単にその国の支配者という意味で用いられている)、武道に長じられていたため、
先の駿河国の守護。今川義元を討って三河遠江両国を従え、次に美濃国の守護斎藤右兵衛太夫龍興を滅ぼし
美濃国へ打ち越し、岐阜の城に居給いける。

その後、永禄十年春の頃、信長は数千騎を率いて伊勢国へ発向され、先手の兵たちは久須の城に押し寄せ攻め立てた
ところ、城中叶い難く思ったか、降参して先陣を申し請けた。その他当国の住人等降人に参る輩多かった。

こうして、神戸蔵人(具盛)の家人・山路紀伊守、子息久丞が立て籠もる高岡城に押し寄せ攻め立て、町口悉く
放火した。神戸城は北伊勢の要害であるので、すぐには落とせぬと見てこれより先ずは御勢を引き上げた。

翌永禄十一年の春、また信長は数千騎を率いて北伊勢へ出張し、高岡まで押し寄せると、北伊勢の侍たちの過半は
その味方に参った。ここに於いて、信長は神戸蔵人太夫方へ使者を以てこう宣った

『現在、源氏の輩は無道にして国土の乱逆は未絶である。故に信長は、苟も平氏の苗裔として、身をくだき
朝暮弓箭を放たず某逆の輩を討って国土を安んぜんと欲している。

御辺は平家の嫡流である、どうして一家の者と戦うのか。速やかに和睦し給え。
私が聞いている所によると、御辺は蒲生下総守定秀の娘の腹に一人の息女が有るが、子息は無いという。
私には数多の子供が有る。一人を養子に遣わそう。』

これを聞いて蔵人太夫も
「仰せの趣忝なし。」と同意し、直ぐに扱い(和睦)となった。これによって信長の三男、三七殿といって
この時十一歳の若君に、幸田彦右衛門を乳人として、その他岡本太郎左衛門、坂仙斎などという侍たち数多を
相副えて神戸家への養子に遣わされると、直ぐに祝言は調った。
こうして神戸蔵人太夫、嶺治部少輔、関安芸守を始めとして味方奉れば、北伊勢の侍たちは一編に従った。
そして上野城には信長の弟である織田上野介殿、安濃城には織田掃部助殿が置かれた。

氏鄕記

織田信長による北伊勢攻略についての記事。



708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/06(金) 02:47:13.43 ID:fRaitGr9
そういえば織田信長の伝記?系の漫画なんかでも伊勢攻略の段ってなぜか飛ばされるよね
美濃とったらすぐ義昭奉じて上洛してって感じで
神戸氏に息子差し出したりなかなか重要視してるのに

神戸氏も北畠氏もなかなか凄惨な最期遂げてるし描きにくいんだろうか

709 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/06(金) 10:29:29.38 ID:Lyr4UoL7
>>708
三河は安泰、信玄とは懇ろ。伊勢が安定するとこのときなら後背の不安がなくなり、上洛しやすくなるもんねえ
上洛に備えた事前作戦だから地味は地味だけど

710 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/06(金) 11:02:11.23 ID:WzBM7Fcq
北伊勢侵攻は1567年初め~1568年半ばで、義昭が頼ってきたのは1568年7月
中小国人ひしめく北伊勢に勢力を伸ばした結果、
それまで北伊勢に影響力を持ってた南伊勢の北畠や近江の六角との対立が始まり
強力な敵を増やした藪蛇なわけで
上洛の事前作戦とはそこまで関係ないかと

711 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/06(金) 11:59:50.31 ID:Lyr4UoL7
>>710
その前に一回頼られて、破談になってる。詳細は忘れたけど、六角の情勢かなんかじゃなかった?

712 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/06(金) 20:33:32.50 ID:052K8XhH
>>708
信長公記に書かれてないからじゃないかな。

713 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/06(金) 22:33:33.39 ID:Wo3VQ8NE
なんで太田牛一は伊勢攻略書かんかったのか
何か書くとまずいことでもあったんだろうか

714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/06(金) 22:58:11.06 ID:Lyr4UoL7
>>713
内容が薄いだけで巻二に出てくる。それよりエピソード0みたいな首巻がいい加減なのが気になる。後から書いたにしても、まだメモ魔じゃなくて記録がなかったのかな。
そのメモ全部どっかから出てきてほしい。

716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/07(土) 18:25:54.32 ID:rkLCkXKD
単純に伊勢攻略が比較的うまくいって
あまり特筆することがないからかと

長野神戸北畠どれも家としては
一族養子にして吸収してしまってる
旧当主が不満から策動してたりはあるけど
いずれも大きな動きに発展せず成敗されてる

そこを細かく描写し始めるとかなりややこいし
マニアックな割に盛り上がらないから
さらっと流される傾向あると思うよ

信雄とか信包とか大河ドラマになりでもしたら
クローズアップされる機会もありそうだが
何処かが後押しするような人物でもないし難しいな

720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/08(日) 00:27:53.44 ID:kxooVDd2
>>716
世間の人が求めてるのは伊賀忍者vs信長とかそういうことでしょう

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/08(日) 10:57:44.67 ID:fFDqWvdN
>>720
伊忍道か

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/08(日) 14:23:20.71 ID:v4cf6sdX
打倒信長か

724 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/08(日) 20:20:10.22 ID:gAuGI6S0
妖術師ニコラス
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神戸乗っ取り

2018年06月06日 17:15

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/05(火) 20:11:50.13 ID:Dj4OAh2c
織田信長の次男(三男)である三七信孝は、永禄11年の伊勢攻めの際、神戸具盛との和睦に際し
15歳にて具盛の養子となったのだが、実は当初、信長は「同じ一族の内」と言うことで、
神戸氏の親族であり織田方であった関安芸守盛信の子息、関勝蔵を神戸家の養子とするという
約束をしたのだが、それを違え信孝を送り込んだのだった。
それ故か、神戸具盛は信孝を粗略に扱った。

これに対し信長は、元亀四年正月、神戸夫婦が年始の礼に参った際、彼らを取り押さえ、身柄を
蒲生賢秀に預け、近江国日野城に幽閉した。また信長は関氏に対しても悪く思われ、彼らの所領を
没収した。

神戸具盛はその後、日野にて相果てたという。

(氏鄕記)



852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/05(火) 20:28:03.15 ID:nPTUAMjV
関氏はのちに蒲生の配下になったから脚色でもされてるのかな
勢州軍記とはまた違う内容だ

853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/05(火) 21:30:42.67 ID:XV5zybWD
関死の誤字はちょっと笑った