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『プロージット!』ガシャン!!

2011年11月12日 22:01

512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/12(土) 16:56:25.94 ID:F4yYtVTu
『プロージット!』ガシャン!!

大永元年(1521年)九月一日、福島正成は二万の大軍を率い、富士川沿いに河内路を北上し始めた。
穴山氏がこれを先導する。一方小山田氏は北条家を抑えるとして協力しなかった。

十六日、信虎に破れ降っていた大井氏が降伏。再び大井氏は今川につくことになる。
月末、西郡(富士川西岸)の河内路から東郡(笛吹川東岸)の甲駿往還までの盆地南部で、多くの国人が帰順。

河内路と甲駿往還に挟まれた山岳地域を九一色と呼ぶ。ここには九一色衆呼ばれる辺境武士団が存在した。
九一色衆は古くから九一色十家と呼ばれる土豪らがとりまとめていたが、このとき十家は去就が割れた。

さて、ここからが逸話。
この十家のうち、上九一色の河埜、渡邉、土橋の三家は武田に付くことにした。

彼らは未だ盆地南部で頑張る諸城への補給や、敵の補給路の遮断などに活躍した。
しかし他家に手引きされた今川勢が甲駿往還からもやってくると、敗色濃厚となった。

三家の当主は上九一色の砦で宴を張った。別れの杯である。
土橋左衛門がふと言った。
「館が落とされ自分も討ち死にした後、この杯で祝杯を挙げられるのは腹立つじゃんな」
渡邉、河埜らもなるほど腹が立つと思い、三家中であるだけの酒器をみな打ち壊した。

ところが彼らが必死の抵抗を重ねるうち、主君・信虎は、上条河原合戦で今川軍本隊に
壊滅的打撃を与えることに成功。

今川方に付いた家は領地を召し上げられ、多額の褒賞と共に三家に与えられた。

これ以来、九一色衆は戦の前に杯を酌み交わした後、酒器を割る風習が発生した。

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やがて甲州でぶどう酒の生産が盛んとなると、「プロージット!!」と叫んで
一気に赤ぶどう酒を飲み干し、グラスを割るという形に若干の変化を見せた。

やがて銀河を統一した武田帝国の風習となり、近年では金髪皇帝と将たちが行ったので有名である。

以上途中から与太話




513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/12(土) 17:01:06.88 ID:YbVn2eg+
戦の前に飲んだかわらけを割るのは甲斐に限らずいろんなところで見る描写だけど、
各地にこんな由来話があるのかねえ。

余談だが(上)九一色村と聞くとオウム思い出す。

514 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/11/12(土) 19:55:41.12 ID:U+RoCp/1
>>512
銀英伝?

515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/12(土) 20:28:28.80 ID:YbVn2eg+
最後は銀英だな

542 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/13(日) 17:49:33.05 ID:OntMx4V5
>>512
> 穴山氏がこれを先導する

穴山も所領没収かよ

543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/13(日) 22:16:10.25 ID:1lPY/JLY
>>542

多分、上九一色の十家のうち今川についた七家の所領が
信虎に組した三家に分け与えられたと言うことなのでは?

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/15(火) 01:30:44.01 ID:4WHfHklg
>>543
違うかも知れんが、残り7家が全部今川に付いたとは限らないのでは?
>>この十家のうち、上九一色の河埜、渡邉、土橋の三家は武田に付くことにした。
ってあるから、下九一色(あるのか?)では他にも武田についた家があるのでは。
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