686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/25(水) 20:12:23.81 ID:OTpElVKD
古き人の語る所によると、秋田実季は子息・俊季に家を譲るという時、
俊季にはわずか1万石の地を与えてそこに5万石の賦役を勤めさせ、それ以外の領地は
全て自分が押し取って、郡中の民に重い租税を課した。
それだけではない。実季は家を作り、垣を結い、カマドを作り、窓を穿つ事にすらも一々に銭を賦し、
強制的に徴収した。
このため貧しき民は、家の軒が傾き壁が破れても、修理することが出来なくなった。
男は髷を結い、女はお歯黒をつけるべき年齢を遥かに過ぎても、ただ童のような姿のままであった。
民は親子兄弟、皆嘆き悲しんだ。
嫡男である俊季自身もその家来たちも苦しみ困窮したことは言うに及ばない。
それだけでも酷いというのに、実季は我が子俊季に対し、筋無き事を幕府に訴えるなどしたため、
終には伊勢朝熊へと流された。
その後、俊季が大阪城の守衛を命ぜられ上る時に、実季は道に出迎え、対面しようと伝えた。
実はこの時、実季は内心息子を殺害しようと考えており、俊季の家臣たちは素早くそれを察し
対面を決して許さなかった。
秋田実季の振る舞いは、こう伝えられるほど酷いものではなかったと考えられるが、
彼によって苦しめられた民衆が、その恨みを悪し様に語ったため、このように伝わったのであろう。
しかし大相国家(徳川秀忠)のお耳にも達し、実際に罪を被った事でもあるので、完全に
事実無根というわけでもないのだろう。
(藩翰譜)
古き人の語る所によると、秋田実季は子息・俊季に家を譲るという時、
俊季にはわずか1万石の地を与えてそこに5万石の賦役を勤めさせ、それ以外の領地は
全て自分が押し取って、郡中の民に重い租税を課した。
それだけではない。実季は家を作り、垣を結い、カマドを作り、窓を穿つ事にすらも一々に銭を賦し、
強制的に徴収した。
このため貧しき民は、家の軒が傾き壁が破れても、修理することが出来なくなった。
男は髷を結い、女はお歯黒をつけるべき年齢を遥かに過ぎても、ただ童のような姿のままであった。
民は親子兄弟、皆嘆き悲しんだ。
嫡男である俊季自身もその家来たちも苦しみ困窮したことは言うに及ばない。
それだけでも酷いというのに、実季は我が子俊季に対し、筋無き事を幕府に訴えるなどしたため、
終には伊勢朝熊へと流された。
その後、俊季が大阪城の守衛を命ぜられ上る時に、実季は道に出迎え、対面しようと伝えた。
実はこの時、実季は内心息子を殺害しようと考えており、俊季の家臣たちは素早くそれを察し
対面を決して許さなかった。
秋田実季の振る舞いは、こう伝えられるほど酷いものではなかったと考えられるが、
彼によって苦しめられた民衆が、その恨みを悪し様に語ったため、このように伝わったのであろう。
しかし大相国家(徳川秀忠)のお耳にも達し、実際に罪を被った事でもあるので、完全に
事実無根というわけでもないのだろう。
(藩翰譜)
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