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幸長の筒

2017年10月30日 14:44

357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/30(月) 02:57:07.97 ID:bVEVxMsI
浅野幸長は、稲富一夢(祐直)の鉄砲の弟子であり、彼の持ち筒は皆、一夢が指示して製造させたものであった。
徳川秀忠から誓書を下され、幸長にこの芸を習わせるほどであった。

この幸長の筒であるが、現代のものとは違い、巣(銃身の筒穴)の悪しき所を直さず、その筒のまま
それに合わせて見当目割(照準)を付けたため、筒ごとに見当目割に位置が違っていた。
また筒も金厚で重かった。
しかし年月をどれほど経ても、筒からの弾道が変わること無く、筒が老けるという事がないので、
故に標的を狙ったり弾数を多く撃つ場合には、この筒に限ると言う人もいる。

考えるに、現代に及ぶほど、実薄くして術(技術)に厚くなる。故に筒を薄くして、軽く用いる事が
出来るようにし、巣の中も加工してこれを直す事で弾道も一定にした。
しかし製造されて年月が経ち、また何度も使用されると、たちまち当たりが当初から違ってしまう。

これは技術を以って直したものであるので、元に返りやすいのだ。
悪しき所があれば少し槌で叩いてその時は直るが、年月を経ると元の悪しき所に返り、
弾数も撃てず目当ても違う。
鉄砲だけでなく何事もみな、この心得が有るべきだろう。

(士談)



358 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/10/30(月) 06:41:24.18 ID:I5yfolQr
>>357
K川T景「ウチのボンクラは叩いても叩いても叩き足りませんでした」

359 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/30(月) 08:37:58.87 ID:VS6wAuNF
現代でも連続射撃する機関銃や精密射撃用の銃は熱で変形して弾道狂わない様に肉厚のヘビーバレル使うんよね

360 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/30(月) 18:25:26.64 ID:PlJHO+9W
K川で通字が「景」…香川氏かな?

361 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/30(月) 20:26:49.95 ID:umVqhRCq
誰も通字なんて言ってないw

362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/30(月) 23:36:55.73 ID:SbOgUBMk
>>357
???「熱膨張って知ってるか?」

363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/31(火) 01:03:15.98 ID:1zbY6Qvi
ボケでもなんでもなく素で香川氏の誰だろと思ってしまった

364 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/10/31(火) 05:16:16.35 ID:YhjL3Wh0
KBTIT

365 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/31(火) 13:42:58.23 ID:YTm7Djfi
ボンクラだから金玉蹴られて死ぬんだよな
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「そんな話は信じられない」

2013年07月10日 19:58

654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/10(水) 16:05:11.98 ID:oZdMkUTU
稲富(祐直)と言う者は。奇妙希代の鉄砲の上手であった。
その技術の妙を語っても、未だそれを実際に見たことのない人間で「そんな話は信じられない」
と思わぬ人は居なかった。

稲富が常に使っている鉄砲は一両から八匁弾(約40グラム弱~30グラム)に限り、
その町間も8町(約870メートル)以上は好まなかった。
8町よりうちの物であれば、火蓋を切って当たらないというものはなかった。

あるいは闇夜に、狐や狼の声を聞きすえて、闇中で仕留めるのは、ただ箱の中の物を拾うがごとくであった。

稲富は25歳の時に橋立大明神に17日間断食して、目くら撃ちという工夫をしたと聞く。
十能十藝、いにしえより手練のものは多いが、離れたものに当てる飛び道具で、稲富ほど
精妙な者は未だ聞いたことがない。
(丹州三家物語)


稲富祐直の鉄砲の技術について伝える逸話である。




655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/10(水) 16:38:15.83 ID:0LWdkB0+
870メートルともなると本当にただ当たるだけなんだろうなあ…

656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/10(水) 17:21:06.89 ID:xgCwvMxK
ライフリング無しだと絶対に着弾がばらつきそうだけどなあ

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/10(水) 17:45:29.34 ID:sdeKJFjI
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  l .{`|./ ヽ二・ニゝチ、 ! .ゝrニ・二r  } ! i l
  { {(l {      ノ | | ヽ   ::  }| ソ/
  ヽヽ|.{    /  | |  \    i.|//  確実に仕留めるのは八町までだ
   \|.i   /  ,,.. | l._,, . \  i !/
    乂i  /    - (__,)-゛   ' {丿
    .l .!、.      ,. !.,  .,   / |
    人 \   .!''''" ̄~ ̄`''!  / 人
   ./ | .\ ,\  '-"" ゛-'  / / | .ヽ
  ノ  .{  \ .ヽ,.,   .:   ,イ /  }  ヽ
-'″  l    `' 、`.───″    .}    ヽ



658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/10(水) 22:14:04.59 ID:yUQUoM1X
※ただし目の前の虎は除く

659 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/10(水) 22:16:47.14 ID:vQUXyBbc
※ただし実戦には使えない

660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/11(木) 01:35:01.18 ID:m1TV0Nsx
のちの八町ミッソーである

664 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/11(木) 21:39:15.45 ID:eYSg+cGL
>>654
スペンサー銃を持った八重以上の腕前だね
※但し、実戦を除く

武勇を習うのではなく、鉄砲を習う者のために

2012年10月28日 19:21

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/28(日) 00:31:27.45 ID:o3jiBe39
細川越中守忠興が徳川家康の上杉征伐に従軍するとき、大阪に留守として置いた侍の中に、
稲富喜太夫(祐直)という者があった。

忠興の内室(ガラシャ)が大阪で自害した時、留守居であった小笠原少斎以下の士が尽く討ち死にした中、
稲富はその場を落ち延び命生き延びたのを、忠興は殊の外立腹し、捜し出して必ず罪に問うと言っていた。

この事を徳川忠吉が聞き、忠興に直接に会ってこのように言った

「侍の死ぬべき場所を逃げ出したというのは、情けない侍というものであり。あなたの憤りは
尤もだと思います。ですが、稲富を助け置いてほしい。

彼は天下一の鉄砲の名人です。武勇を習うのではなく、鉄砲を習う者のために、命を助けてほしい。
臆病は、稽古によって身につくものではないでしょう?
鉄砲一流の断絶というのは、如何にも残念だと思うのです。」

この言葉に忠興は、「稲富にとってありがたい仰せです」と、彼を赦した。
これによって稲富は武士をやめ一夢と名を改め、稲富流を指南した。
そして彼の発展させた稲富流砲術により、大阪の陣の折、幕府軍の大筒は
大阪城天守の二層目に撃ち入れる事に成功したのだ、との事である。
(武野燭談)





104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/28(日) 00:47:49.19 ID:6Fr+uPii
鉄砲と大筒じゃ全く別物だろ。。。

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/28(日) 01:24:07.44 ID:RaGpenIm
大鉄砲みたいなのを撃つ砲術もあるだろうし
火薬で飛ばすやつの放物線を測る技術なら延長線上じゃないの

106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/28(日) 01:48:36.72 ID:TRnvXtCj
稲富さんの臆病は天下に認められちゃっているんだな
そこだけ見ればカッコ悪い話

107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/28(日) 01:49:40.19 ID:Z8d0eTj6
世の中うまく出来てる部分もあるな
窮地でも必要な人材には助け船出す人がいる

108 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/28(日) 04:20:56.30 ID:1TRjSzFU
武勇も臆病も大事にする名将のお話なのかな

細川ガラシャ夫人の最期に関する証言

2012年06月23日 21:02

79 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/22(金) 19:30:03.58 ID:eB8HCZ9D
長くなったけど思い切って投稿してみる

細川ガラシャの侍女に、霜女という人が居た。彼女の夫は明智光秀に使えた入江兵兵衛という武士であり、
山崎の戦いで討ち死にした。その縁のためであろうか、霜女細川ガラシャ夫人に仕えた。
以下、霜女による細川ガラシャ夫人の最期に関する証言である。

『石田治部少輔乱(関ヶ原)の年7月12日に、小笠原昌斎河北石見の御両人が台所(奥)に参られ
私(霜女)を呼び出し、こう申された

「治部少輔方より、何れも(徳川家康とともに)東に出陣された大名衆から人質を取るのだという風聞を
奥方様(ガラシャ)はご存知でしょうか?ご存知だとしたら、この事についてどのようにお考えに
なっているのでしょうか」
私はこれをその通り秀林院様(ガラシャ)に申し上げました。秀林院様がこれを聞いて仰ったのは

「治部少と三斎様(忠興)とはかねがね御関係が大変悪いので、定めて人質を取る時はまっ先に我が方に
要求してくることでしょう。もし最初でなければ、他家の対応を見ながら考えることも出来るでしょうが
一番にそれを要求してくればどうするべきか、昌斎・石見によく検討してみるよう伝えなさい。」

私はこれをまた、その通りに両名に伝えた。これを受けて小笠原昌斎河北石見は、
「石田方より人質を要求されれば、『忠興様のご子息である与一様(忠隆)、同じく与五郎様(忠秋)は東に
出陣成されているし、内記様(忠利)は江戸に人質としてあります。現在我が方には人質に出すべき者は
一人もおりません。よって人質を出すということは不可能です。どうしても人質を出せというのなら、丹後に
使者を出して、幽斎様に京に上って頂き人質になって頂くしかありません。それを申し使わす時間もあるので、
それらの調整が終わるまで人質の件はお待ちくださるように。』と返答すると言われ、これに秀林院様も
「それこそ然るべきである」と仰られた。

そのような時、”ちやうごん”と申す比丘尼があり、これは常々御上様(ガラシャ)の元に出入りしていたのであるが、
石田方はこの人を頼み、内々に「(ガラシャに)人質に出るように」何度も申し上げた。しかしこれにも

「三斎様の御ためにも、人質に出ることはどんな事があろうとも同意できない」

と拒否された。その後この比丘尼が参られ今度は「そういえば宇喜多秀家様の奥方と、忠興様嫡男忠隆様の奥方は
同じ姻戚(両方前田利家娘)であり御一門であります。ならば宇喜多殿の屋敷に入るということでもいいのです。
その分には、人質に出たと世間も申しますまい。そうなされませ。」
これを聞いた御上様は

「宇喜多の八郎殿(秀家)は確かに一門ですが、これも治部少の一味ではありませんか!そこに出るのも
同じ事です!」とこれも拒絶した。

16日、石田方より公式の使者が参られ、「是非是非御上様を人質に出して下さい。それを聞き入れないのなら
我らは押し入ってでもその身柄を頂く!」と申しよこした、
この強行な姿勢に小笠原昌斎河北石見は激怒した。
「あまりの申し様ではないか!この上は我らが切腹する事態になっても、絶対に人質に出ていただく訳にはいかない!」
これにより屋敷中の者たちは覚悟を決めました。御上様の御意には
「本当に石田方が押し入って来たら自害いたします。その時は昌斎が奥に入りなさい。私の介錯をするように。」
と仰せになられた。与一郎様の奥方も人質に出してはならない。これも一緒に御自害なされると言うことも、
内々に約束された。

小笠原昌斎河北石見稲富祐直などが談合し、稲富は表にて敵を防ぎ、その間に御上様にご最期を迎えて頂く、
という事に決まった。そのため稲富は屋敷の表門に居た。そしてその日、夜の入の頃、敵が御門前まで押し寄せた。


80 名前:続き[sage] 投稿日:2012/06/22(金) 19:30:59.70 ID:eB8HCZ9D
稲富はその時心変わりをし、敵に寝返った。その様子を小笠原昌斎が聞き、「もやはこれまで!」と思い長刀を持ち、
御上様御座所へ参り、「只今が、ご最期の時です」と申し上げた。内々に約束してあったことなので、与一郎様の
奥方様を呼んで、一ヶ所で果てられようと、奥方様のお部屋に人を遣わしたが、もはやどこかに落ち延びた後であった。

最早仕方のない事なので、御上様はお力なく、お一人で御自害なされた。昌斎が長刀にて御介錯された。

その前に御上様は三斎様・与一郎様への書置を作られ、それを私に御渡しになり仰せられたのは、”をく”と申す
女房と私の両人は落ち退きてこの書置を届け、最期の様子を三斎様に申し上げるように、とのことであった。
私は「ご最期を見捨てて落ち延びるなど出来ません!どうかお供をさせて下さい!」と申し上げたが、
「二人は落ちるのです。そうしなければ、一体誰が私の最後の様子を伝えるのですか?どうか、お願いします。」
そう仰られたために、私はその御最期を見届けて屋敷の外に出た。内記様(忠利)ご存じの方には、内記様への
御形見を遣わされた。

私達が御門に出た時には、もはやお屋敷に火がかかっていました。御門の外には大勢の人が居ましたが、
後に聞いた所によると、それは敵ではなく、火事を見物しに集まった人たちであったと言うことです。
敵も居たのですが、それらは稲富を引き連れて、御上様のご最期以前に引き上げていったのだそうです。
この事も、後になって知りました。

お屋敷において切腹されたのは、小笠原昌斎河北石見、石見の甥六右衛門、同じく子一人、このあたりは
覚えております。他にも2,3人も切腹されたと思いますが、それははっきりとは覚えていません。
細々としたことまでは書き付けられませんでしたが、だいたい概略はこういうことでした。』
霜女覚書)




81 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/22(金) 19:49:56.66 ID:dsc/DapB
稲富ェ・・・

82 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/22(金) 19:53:38.30 ID:371T431n
ガラシャが死ぬ前に引き上げてたのか
稲富さんが上手く騙してくれたんだね!

83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/22(金) 20:27:06.35 ID:7dxXa9EY
これ、なんか稲富さんの寝返りっていうのは何かの行き違いのようにも見える書き方なんだね

84 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/22(金) 20:38:49.58 ID:Yew3VIlI
悲壮な思いで最期を見届け決死の覚悟で脱出したら回りに居たのは火事の見物人だけ…

85 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/22(金) 20:57:48.57 ID:iFDQZ7aD
ドンパチやってる所に野次馬が集まって来ちゃうあたりに日本を感じた
興味本位で戦を見に行って巻き込まれて死んだ奴とかいっぱいいたんだろうな

86 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/22(金) 21:12:18.69 ID:MnPLGTVQ
押し入れば奥方様は自刃なさられて石田方の都合の悪いことになるだろうから
代わりにわしを人質として連れて行けみたいなことを言ったのかね?

87 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/22(金) 21:23:37.24 ID:PMARcdPp
入ったら死ぬ覚悟決めてるよ?止めた方が良いよ?
って脅して三成に説明しに行っただけだったりして…

88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/22(金) 21:28:22.75 ID:CxmBMAPS
伝令が、「小笠原、河北の両名は切腹、稲富は生死不明」って三歳様に報告したら、
「だったら、稲富は逃げたのであろう、あいつは腹を切るようなやつじゃない」って三歳様は言ってたりする。

89 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/22(金) 21:30:55.29 ID:iFDQZ7aD
稲富が何か交渉しようとして三成にとっ捕まえられて、裏切ったって喧伝された可能性はあるよね

90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/22(金) 21:53:13.07 ID:S5/vHg8V
稲富が幕府に仕えるようになってから三齋様と出会った事はあったんかのぉ。
怖いような面白いような。

91 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 00:14:22.85 ID:3r7dyb+D
与一郎の奥方はいつの間に脱出してたんだ

97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 12:58:09.86 ID:Ia2lEB/+
稲富の言い訳は残って無いのだろうか

100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 13:15:36.95 ID:3nrTBRmg
>>97
あのあと一度、三斎さまのところに顔出した話はあったよね、そこで何らかの申し開きはあったかも
ただそれを表に出してしまうと勘違いで自害したマヌケということになっちゃってまずいから
稲富が泥をかぶったままとし、身柄は徳川が召抱えたからもう手が出せないっす、という体にしたとか

のこのこ出て行った時に斬られなかったのがガラシャがらみの三斎さまの対応として不自然極まりねぇ・・・

101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 14:08:34.50 ID:C+9ijvkl
少年だっていつかは大人になるものさ
あるいはすでに36人斬ってたか

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 14:21:05.47 ID:E+Y5tmlo
>>100
確かに、敵前逃亡か裏切りかで味方見殺しにした、それも当主の妻をも見殺しにした訳だから
忠興じゃなくとも斬られてもおかしくない失態だよな
ヘタレの稲富にしてはさっさと忠興の方に顔を出してるし、言うとおり稲富が悪いという事にして
事態を丸く収めたのかね

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 17:37:50.48 ID:7MWDdH3C
やだ…稲光さんかっこいい…

106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 20:00:07.39 ID:3eke8mgx
もしかして稲富さん
稲富「屋敷の中では既に皆自刃して果てた、これ以上の狼藉は無用!」
石田方「ちぇっ死体じゃ人質にならねーから引き上げるか、代わりに生きてるお前連れてくわ」
稲富「あーれー(皆様方、今のうちに落ち延びなされ」
とか言って上手く相手を丸め込んだつもりが
中の人が稲富裏切ったもう駄目ポ→奥方自刃&屋敷に火を放つとかだったら悲しすぎる

107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/23(土) 20:53:08.84 ID:3nrTBRmg
忠隆の嫁の避難先が>>79でそこに移るだけでもいいから、って言われた宇喜多屋敷なんだな
ということは実はその時点で人質が成立してた可能性があるのか?
自害モードに入っちゃって説得聞かない人達を無視して稲富(さくせん:いのちをだいじに)
が独断もしくは嫡男周辺で計らって石田方を退かせたけど連絡間に合わず、みたいな

そうするとその後の嫁が逃げたことで三斎激怒して忠隆が廃嫡になったってのも
いろいろありそうな・・・

108 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 01:06:50.77 ID:PCMdbXAz
完全な憶測だけど、稲富が逃げた後忠興に会いに行った事に理由があったとすれば、

ガラシャを永遠に自分のモノにしたい忠興は
関が原に際してガラシャが石田方に捕捉された時点で死ぬ手はずにしていて、
その時に全責任をかぶせる役として稲富をガラシャにつけてた……というのはどうだろう

稲富なら、それなりの立場ながら正直使いどころのない奴だし、
一度逃げたら現場に引き返す事はないだろうし、
「稲富が帰って来た」という事が「ガラシャの死」を確定させる暗号みたいな役割を帯びるだろうし
つまりあの現場では脇役のようだった稲富だけが事の流れが見えていた状態だったとか