483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/05/31(火) 22:43:54.42 ID:IFhEYclx
「朝野雑載」から穴沢外記(穴沢盛秀)のこと
穴沢外記は秀頼公の長刀の師であったが、大坂の陣の節、五月六日に傍輩に向かって
「我は明日討ち死にする存念である。ついては長刀で戦うべきか、槍で戦うべきか?」
傍輩「御辺は長刀の達人として世間に名高いのに、明日討ち死にというところで「長刀か槍か」とは、一向に合点がいかぬ」
穴沢「御辺の申さるることはもっともだ」
と翌七日、長刀を持って傍輩とともに出陣した。
ふたりいっしょに並んで敵と槍を合わせたが、穴沢の方はなんということもなく討たれて首を取られてしまった。
傍輩の方は敵に槍をつけ首を取って高名をなしたが、大坂城落城後、落人としてあちこちに隠れていたが、しばらくして大坂の陣の働きによって奉公にありついた。
そのものは穴沢について語って言うには
「穴沢が最後の戦いに長刀か槍かで悩んだこと、いまだに不審がはれぬ」
と申したそうだ。
「朝野雑載」から穴沢外記(穴沢盛秀)のこと
穴沢外記は秀頼公の長刀の師であったが、大坂の陣の節、五月六日に傍輩に向かって
「我は明日討ち死にする存念である。ついては長刀で戦うべきか、槍で戦うべきか?」
傍輩「御辺は長刀の達人として世間に名高いのに、明日討ち死にというところで「長刀か槍か」とは、一向に合点がいかぬ」
穴沢「御辺の申さるることはもっともだ」
と翌七日、長刀を持って傍輩とともに出陣した。
ふたりいっしょに並んで敵と槍を合わせたが、穴沢の方はなんということもなく討たれて首を取られてしまった。
傍輩の方は敵に槍をつけ首を取って高名をなしたが、大坂城落城後、落人としてあちこちに隠れていたが、しばらくして大坂の陣の働きによって奉公にありついた。
そのものは穴沢について語って言うには
「穴沢が最後の戦いに長刀か槍かで悩んだこと、いまだに不審がはれぬ」
と申したそうだ。
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