305 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/01/31(月) 17:09:50.18 ID:vLS0rSyE
西日本新聞 昭和48年8月16日号より
「怪談 福博の夜ばなし④ 空誉上人」
寛永年間、黒田忠之が安養寺に馬を停めて休憩し、でっかち頭、そのうえ異様に飛び出した目で秋景色を愛でていると美しい寺小姓が茶菓子を運んできた。
一目惚れした忠之が住職の空誉上人(二十代で非常な美男)に寺小姓(秀之丞)を差し出すように命じたが上人は「修行中なので」と断った。
忠之はあきらめきれず間者を放ち寺の様子を探ると、なんと秀之丞は女であった。
「おのれ女犯の売僧めが!」と怒った忠之は上人を大釜に入れ、背中を立ち割り鉛を流し、絶命させた。
秀之丞はお秀(光之の母?)という名で忠之の側室となったが、上人の怨霊が乗り移った黒田藩士・毛谷主水がお秀の方と密通。これが黒田騒動の発端となる。
釜責めが行われた場所は現県庁舎裏の知事公舎の庭にあたり、ながらく釜の形だけ草が生えなかった。
昭和初年の大塚惟精・第24代福岡県知事は胆力のある柔道家であったが夜ごとうなされて眠れず、知事の書生ももののけに取り憑かれたようになった。
そこで釜の形に草の生えない場所に小さな銅ぶきの祠を建てて怨霊を慰め、いまも毎年八月上旬には法要が営まれている。
濡衣山(濡衣を着せるの故事から)松源寺の佐々木滋寛師は「空誉上人の幽霊ばなしを黒田騒動に結びつけたのは、鍋島藩の化けネコ騒動と同じで、藩の内乱を幕府の目からそらせるために利用したんでしょう」と推測している。
一説には空誉上人は後藤又兵衛基次が送ったスパイとか。
お秀の方は黒田如水から滅ぼされた中津の豪族の娘とも伝えられている。
空誉上人は空誉さまとも呼ばれ浄念寺(中央区大手門二丁目)に墓がある。
西日本新聞 昭和48年8月16日号より
「怪談 福博の夜ばなし④ 空誉上人」
寛永年間、黒田忠之が安養寺に馬を停めて休憩し、でっかち頭、そのうえ異様に飛び出した目で秋景色を愛でていると美しい寺小姓が茶菓子を運んできた。
一目惚れした忠之が住職の空誉上人(二十代で非常な美男)に寺小姓(秀之丞)を差し出すように命じたが上人は「修行中なので」と断った。
忠之はあきらめきれず間者を放ち寺の様子を探ると、なんと秀之丞は女であった。
「おのれ女犯の売僧めが!」と怒った忠之は上人を大釜に入れ、背中を立ち割り鉛を流し、絶命させた。
秀之丞はお秀(光之の母?)という名で忠之の側室となったが、上人の怨霊が乗り移った黒田藩士・毛谷主水がお秀の方と密通。これが黒田騒動の発端となる。
釜責めが行われた場所は現県庁舎裏の知事公舎の庭にあたり、ながらく釜の形だけ草が生えなかった。
昭和初年の大塚惟精・第24代福岡県知事は胆力のある柔道家であったが夜ごとうなされて眠れず、知事の書生ももののけに取り憑かれたようになった。
そこで釜の形に草の生えない場所に小さな銅ぶきの祠を建てて怨霊を慰め、いまも毎年八月上旬には法要が営まれている。
濡衣山(濡衣を着せるの故事から)松源寺の佐々木滋寛師は「空誉上人の幽霊ばなしを黒田騒動に結びつけたのは、鍋島藩の化けネコ騒動と同じで、藩の内乱を幕府の目からそらせるために利用したんでしょう」と推測している。
一説には空誉上人は後藤又兵衛基次が送ったスパイとか。
お秀の方は黒田如水から滅ぼされた中津の豪族の娘とも伝えられている。
空誉上人は空誉さまとも呼ばれ浄念寺(中央区大手門二丁目)に墓がある。
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