上和白の戦い

2014年09月11日 18:50

196 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/09/11(木) 15:56:00.86 ID:Fh9Jk2yU
上和白の戦い

1560年代の筑前国は毛利家と大友家の覇権を賭けた時期である。
筑前には博多という商業都市があり、毛利も大友も博多の富の利権を得るために争っていた。

1567年、毛利元就は岩屋・宝満山城督である高橋鑑種を調略により寝返らせた。
これに呼応としたのが宗像一帯に勢力圏を形成していた宗像氏貞であった。

彼は1度大友家を裏切っていたが、毛利家と大友家の講和をきっかけで大友家と講和した。

しかし今回も前回同様に秋月家(1回目・文種、2回目・種実)の離反に同調した形で大友家に牙を剥いた。

宗像氏貞は大友に味方する城主を攻撃することにした。
ターゲットになったのは立花山城主・立花鑑載である。

彼も過去に1度大友家に叛旗を翻していたが、今回は行動を起こさなかったために9月にこれを攻めた。


宗像方の作戦はこうだ。
陸と海からの挟み撃ちである。

陸からは宗像家の一門格の大将・許斐左馬大夫氏備(このみ・うじつら)を派遣、海からは宗像家自慢の海軍で立花山城を陥れようとした。

しかし、これを察知した立花方は立花山のすぐ近くにある白岳(糟屋郡新宮町)にいた怒留湯融泉直方(ぬるゆ・なおかた<号・ゆうせん>)に連絡をとった。
融泉は和白(福岡市東区)に宗像の軍勢が押し寄せていることを知ると手勢を率いてこれを襲った。

許斐氏備「この軍勢は、融泉か!!
あいつは代官とかばかりしていたから油断してしまった!」

海軍を待っていて不意を衝かれながらもこれに応戦していた氏備もこれに耐え切れずに50~100程度の死傷者を出して退却していった。

和白は立花山城の麓にある農村で、神功皇后の三韓征伐では日本最初の議会が開かれた場所と名を残している。

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/11(木) 15:56:28.80 ID:Fh9Jk2yU
一方、陸で氏備が敗れたことを知らない水軍が新宮に上陸した。
そのころになると立花方も陣容を整えており、宗像勢を撃退せんとしていた。

氏備が退却した今、不利を悟った水軍は村に火を放ち宗像へと退却していった。

立花勢は逃げる宗像勢を追い、体勢を立て直した宗像勢も飯盛山城(福津市)でこれを迎え撃ち今度は立花勢が撃退された。

なお、立花鑑載が大友宗麟に再び叛旗を翻すのはこれからわずか半年後のことである。
そして両者が大友家に屈するのもまもなくのことであった。

大友家を離反したことにより結果論では損をし、城を攻めたら落とせずに撃退された立花勢と宗像勢のちょっと悪い話。


※なお、出身小学校の120周年誌を参考に書きました。
誌では毛利方ではなく大内方と書かれていました。

出典元がわからないのですみません。




198 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/11(木) 16:07:55.01 ID:jEMdqkoa
>怒留湯融泉
なんだこの名前は

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/11(木) 16:19:10.25 ID:+1ZMa2Fb
怒留湯さんて今でもチラホラ見かけるんよね

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/11(木) 17:30:40.78 ID:DAvsj1i8
>怒留湯融泉
すげーなw新種の温泉かと思った。

202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/11(木) 17:58:29.21 ID:rMq1L97L
男塾で雷電が解説してくれそうな名前だ怒留湯融泉w

203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/11(木) 20:04:10.59 ID:a5hpG1ii
無さそうで実際にある名前として融泉さんはそこそこ知られているような気がした

206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/11(木) 22:24:59.18 ID:y/aOHgB1
>>203
ぐぐったら「?沙融泉??ホテル」出てきたんだけど、
海の向こう側の中国かよ

207 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/12(金) 01:23:40.69 ID:LCoEhvFV
号の方の話ではないだろ

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