島津豊久の鎧に伝わるちょっと悪い話

2014年08月22日 13:48

985 名前:sc→net未反映分のコピー[sage] 投稿日:2014/08/22(金) 00:53:24.25 ID:k/wP8bZN
島津豊久の鎧に伝わるちょっと悪い話

島津豊久は関ヶ原の退き口で島津義弘を逃すために身替わりとなり、井伊隊や福島隊を相手に討ち死にを遂げた

江戸中期になって島津家中の者が江戸の古道具屋で槍傷の多々遺る、島津紋の装飾の入った紫糸威胴を見つけ、これを買い上げ、薩摩に持ち帰った

関ヶ原の里人が打ち捨てられていた豊久公の遺骸から剥ぎ取った鎧が
流れに流れて江戸の古道具屋に並んだのだろうと目された

-これが世に知られる豊久の鎧の話であるが
近年その話に疑問が投げかけられた

「本藩人物誌」によれば豊久を討ち取ったのは福島勢の笠原藤左衛門といった者で、豊久の遺骸から甲冑を奪い、甲冑は笠原家に伝わっていたとされる

時代が経ち、笠原の子孫がその豊久の鎧を江戸後期の永吉島津家当主・久芳に安永6(1777)年に譲渡し、鎧は九州の天昌寺に納められたと伝わっている

「永吉島津家文書」

豊久の鎧とされる槍傷の紫糸の胴は
果たして誰のものだったのだろう?

島津義弘の身替わりとなって壮烈に討ち死にをした家中のものとは想像されるものの
持ち主のはっきりしなくなってしまった鎧のちょっと悪い話

986 名前:sc→net未反映分のコピー[sage] 投稿日:2014/08/22(金) 01:52:06.33 ID:k/wP8bZN
時ニ井伊兵部直政本多中書忠勝己ガ兵ヲ発シ薩摩勢ヲ切靡ケ中坊ガ危キヲ助ケテ戦ヒケルガ中ニモ忠勝ハ己ガ馬廻リ勇士ヲ進メ迫リ来リ
豊久ヲ追取込メ十方ヨリ突掛リ鎗七八本ニテ六七度鎗玉ニ上リ見ルガ内ニ豊久猩々緋ノ羽織散々ニ裂テ飛散リ
首ハ筑前中納言秀秋ノ先手ニ進ミケル小田原浪人笠原藤左衛門之ヲ取ル
豊久ノ旗下勇士十三騎モ又大ニ戦ヒ豊久ノ前後ニ枕ヲ並テ打死ス
豊久打死ノ次第ヲ以テ此時敵味方共ニ戦ノ烈シキヲ知ルベシ
「関原合戦進退秘訣」

笠原の属した家中も史料によって様々





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