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大津城の合戦の最中、

2023年05月06日 16:15

843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/05/05(金) 20:06:58.24 ID:D4ZMWEXl
九月九日から始まった大津城の合戦の最中、
九月十一日の夜、城中から敵陣へ夜討ちせんと
赤尾伊豆守、山田大炊、三田村安右衛門の面々が五百の兵を選出し
赤尾と山田が率いる二百人は筑紫広門の陣を襲撃し散々に打ち破った上で
筑紫家の馬印を奪って勝鬨を上げて城へ引き返した
一方、三田村安右衛門率いる三百人は立花宗茂の陣に攻めかかろうとしたが
宗茂は知勇兼備の猛将で油断なく、足軽に玉薬を入れた縄襷をかけさせ早合による銃撃で応戦した
三田村の「何程のことあらんかかれ」という下知を受け京極勢は風雨のごとき玉矢を事共せず攻めていき
中でも丸毛万五郎と名乗る者が薙刀を水車のごとく回して、一人当千離倫絶類の有様で敵を突破していった
立花の陣屋より六尺あまりの仁王のごとき大男が現れ、大音声で十時摂津(連貞)と名乗り勝負せんと
三尺八寸ほどの重く厚いダンビラをかざし丸毛の元に走ってきた
丸毛は薙刀で十時の胸板を突き貫こうとするが十時は事も無げに薙刀を真っ二つに斬り折ると
太刀を抜こうとする丸毛の隙をついて無手で取り押さえ、腰より縄を取り出して搦め上げた。
それを見た中江式部という者が韋駄天のように駆けて来て十時に斬りかかり鎧の外れを斬ったが、
十時に振り返りざま件の太刀を打ち据えられ露と消えた
京極方の箕浦備後という者は敵3人を討ち取り一息ついていたが十時の働きを見て首を投げ捨てて
一文字に十時に向かって行き無手で組み伏せようとした
備後は家中でも剛力の名を取りたる者であったが、十時は物ともせず逆に備後を押伏せ生け捕りにした
夜討ちの大将である三田村安右衛門は丸毛と箕浦が生け捕られたのを見て、
南無三と十時に向かって行ったが小石につまづき倒れたところを立花勢の村井平六という者に捕えられた
平六が「今宵夜討ちの大将を村井平六が生け捕った」と高らかに名乗るのを、
安右衛門の嫡子である三田村平助が聞き、父を取り返さんと立花勢の真っただ中へと駆け入ると
天命か村井平六が安右衛門を連行するところに出逢った
平助は怒る目に血を注ぎ、いかなる鬼神も倒さんという有様で向かってきたため村井は大いに驚き退くが
平助は平六に追い迫り平六が振り返ろうとするところを一刀に切り倒して父を救った
十死を逃れ一生を保った安右衛門だが、立花勢が備えを固め新手を繰り出してきたのを見て
今はこれまでと敵兵を突破し城へと引き上げた

大津籠城合戦記



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「朝野雑載」から筑紫広門、秀吉に謁見

2023年04月10日 19:25

735 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/04/08(土) 22:37:02.89 ID:W1P9uE03
朝野雑載」から筑紫広門、秀吉に謁見

筑紫上野介(筑紫広門)は大阪に上って太閤に謁見した。
太閤「筑紫では我のことをどう言っておる?」
上野介「西国においては、上様については人ではなく神のように申しております。
また上様のようなお方を見出された信長公は、なおさら霊妙な御知恵だと申しております」
これを聞いた太閤は
「その方の申すとおりである。しかし信長は片目であった」とおっしゃった。
上野介「信長公が片目だとは聞いたことはありませんが」
太閤曰く「信長は片方の見えている方の眼では我のようなものを見出した。
しかし見えていない方の眼では明智のような悪人を良い者として取り立てたのだ。
まさしく片目ではないか?」



これこそ男子の本懐というものよ

2021年10月05日 16:49

83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/10/04(月) 17:51:02.06 ID:6U4FoXck
「世録記」によれば
龍造寺との戦いに於いて有馬から救援要請があったため、新納刑部大輔忠尭(忠元の長男)と川上左京亮忠堅が派遣され、敵方の深江城を攻めることとなった。
忠堅は(一番槍で負った)いくさ傷を意気揚々と忠尭に見せ
「戦で傷を負う、これこそ男子の本懐というものよ」と得意になったところ
忠尭は「新納刑部大輔忠尭の名を敵軍に知らしめてやる!」
と言ってつっこみ、乱戦の中で死んでしまった。
(享年三十)

「本藩人物誌」によれば
川上忠堅の方はその後の島原合戦(沖田畷の戦い)の首途の宴会の席で家久の息子の又七郎忠豊(豊久)から盃を受けた時に
「今日は龍造寺隆信の首を取ってご覧に入れてみせます」と言ったところ
新納忠元から「今の言葉は軽率すぎる」とたしなめられたが
「妄言ではありませぬ、きっと取ってみせます」と反論したため、周りもあまりに放言がすぎるとあきれてしまった。
その日、足軽大将の簗瀬兵右衛門たちとともに敵兵に紛れて本陣に突入し、隆信に槍を入れ、簗瀬に首を掻かせて義久公のもとに送り、御実験に入れた。
その後、筑紫広門の鷹取城攻めの際、広門の弟(もしくは息子)の春門と戦って際、忠堅は春門を斬ったが春門も忠堅の右手を切り、相討ちとなった。
(享年二十九)



其方の頸は私が

2017年12月15日 18:36

410 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/15(金) 17:33:51.39 ID:ydNZ0fJp
天正の初めの頃、天下未だ戦国の時、九州では筑紫家と立花家の領分は入り混じっており、
双方の侍たちで里に住居する者たちは、家族のように朝夕参会していた。

立花家の侍に、中島右京という者があった。彼の所へ、筑紫家の家臣・帆足という者が来て
飲食酒宴の折に、突然の触れがあった

『明日、秋月筑紫の両家が一同に、立花の岩屋表に寄せくる』

立花家の中島も、筑紫家の帆足も驚き、不慮の思いを成したが

「明日は敵となり互いに相戦うこととなった。定めなき世の中にて、
筑紫と立花はまた、手切れと成ってしまった。」

そう言いつつ、連れ立って暇乞いをした。
この時中島は、戯れのように言った

「明日の合戦では、其方の頸は私が取るよ。」

帆足はこれに何も答えず、その日はこのまま別れた。
しかしその後、言葉のごとく中島は帆足を討ち取った。

(士談)


紹運の恩忘れがたく

2012年11月15日 19:51

413 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/15(木) 15:50:35.83 ID:WYmcdPDJ
家伝である故に出典書はないのでスレ違いならスルーしてください。

天正12年、高橋紹運は筑後猫尾城攻略中に筑紫広門に宝満城を攻撃されるが和議を結んだ。
その戦いで某(うちの先祖)は足に重症を負い
満足な戦働きが出来ぬからと息子に家督を譲って隠居した。
その際、紹運から相続の許可とねぎらいの感謝の言葉
そしてどこで聞きつけたのか、目を患っていた妻への薬もあわせて届けられた。
某にはとても買うことができない高価な薬だったという。
天正14年、島津氏が北進し岩屋城に侵攻が目前の中
息子は宝満城へ詰めることとなったが
某はどうしても紹運の恩忘れがたく、頭を剃って入道姿になると
妻へ息子への遺言のようなものを残し岩屋城に籠ることを願った。
(このことから岩屋城の士気は高かったのだろうが、まわりからみれば絶望的な状況だったのであろう)
そしてご存知の通り、岩屋城は壮絶な玉砕を遂げた。
某の遺骸は大手門のそばで見つかったそうだが
その時身につけていた甲冑と紹運からの書状は我が家の家宝となっている。

某から息子への遺言を要約すればこのように。
「宝満城で忠義を尽くせ。家を頼む。母や兄弟を大切にしろ。
 隠居までに殿(紹運)への忠義は尽くしてきたが
 まだいただいた薬の恩をまったく返しておらぬ故にこうのような仕儀と相成った」

立花城からの援軍の面々もしかり、紹運のまわりにはこういう人間が多かったのだろう


続き
家伝について
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-7026.html


414 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/15(木) 17:40:57.53 ID:lXvY0Pro
人徳だな

415 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/11/15(木) 18:20:09.42 ID:/7LaIWeh
>>413
全然スレ違いでなく、むしろ貴重な話だと思う
家に伝わる話なんかそうそう聞けるものでもないし

418 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/15(木) 19:35:04.42 ID:iHVHX2HN
>>413
ホントに紹運って爽やかでいい話しかないなあw

427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/16(金) 00:16:00.99 ID:agL61KHg
>>413
家宝うpうpw
は冗談にせよ、面白い話でした

筑紫家の身の守り方 一.「長いものには巻かれろ」

2012年10月15日 20:13

932 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 17:28:23.44 ID:XZBVDR98
悪い話スレに好きな筑紫広門の話があったので興奮して書いた

弱小勢力の悲哀 筑紫家の身の守り方
一.「長いものには巻かれろ」
筑紫氏は大宰少弐氏の一族の出といわれている。
筑前国御笠郡筑紫村の地頭職であったため、筑紫と名乗ったらしい。
少弐氏は鎌倉時代から筑前において大きな力を持っていたが、
大内氏の西進により徐々に衰退して行く。室町時代、応仁の乱を経て、
大内氏と少弐氏の争いは激化、筑紫家は少弐氏に従い大内氏との戦いに明け暮れた。
しかし大内氏の力は強大で、少弐氏は徐々に筑前における勢力を失い、
肥前の龍造氏を頼っていくこととなる。大内方・陶興房の本格的な少弐攻めにより、
少弐政資・高経父子は討ち取られ、筑紫満門は大内氏に降伏することになる。
その後高経の弟、少弐資元が少弐氏を再興。資元の重臣・馬場頼周は
満門の女婿だったため、大内氏についた満門を再び自軍に引き戻そうとした。
満門は、これからの時代は大内氏の勢い盛んになるのは必定、
少弐氏が生き残っていくためには大内氏の下につくしかないと逆に諭した。
しかし資元は父と兄を滅ぼした憎き大内氏に降伏した筑紫満門を恨み、
頼周は資元と謀って満門を騙し討ちにして殺害。
以降、少弐家と筑紫家は完全に袂を分かつことになる。
しかしそれが本家と関係を絶った弱小勢力の流浪の始まりでもあった。

大内氏の下で少弐氏との戦う→大内義隆が陶晴賢の謀叛で殺害される→大友氏と和睦
→毛利元就が北九州に進出→毛利家に付く→敗れて安芸に落ち延びる
→2年後九州に再上陸し旧領を回復→しかし大友氏に降伏→高橋鑑種が筑前に着任
→鑑種は筑前の国人たちに接近、比較的安定した大友支配下の時代
→龍造寺隆信が毛利氏と組んで筑前に勢力拡大→立花鑑載が毛利氏に通じて謀反
→高橋鑑種もこれに加わり、懇意としていた筑紫惟門・秋月種実らも同調
→大友軍の猛攻により筑紫惟門は子の広門らの助命を条件に自害
→毛利軍も出雲で尼子勝久が挙兵したため退却、秋月種実も降伏→大友支配下時代
→大友宗麟が耳川で大敗→それを契機に龍造寺が筑前進出→龍造寺側につく
→龍造寺隆信が沖田畷で討死→島津が筑前・筑後にまで勢力拡大→島津側につく
→突如高橋家と婚姻、大友氏につく→島津軍北上し敗退→秀吉軍が九州上陸
→幽閉先から脱出、島津軍を追い出し旧地回復→筑後上妻郡一万八千石を安堵、豊臣大名に
→筑前筑後衆として立花宗茂、小早川秀包らとともに肥後国人一揆、小田原征伐、
朝鮮の役など常に行動を共にする→関ヶ原の合戦で東軍について改易
→子は細川忠興の口添えで謝罪、大坂の陣に出陣した功で徳川旗本家として存続



936 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 19:41:49.41 ID:60ZXLO6g
さすが戦国のカメレオン大名と言われるだけのことはある

937 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 20:07:32.86 ID:x0Hbw+K8
短中編の歴史物の舞台としては面白そうだな

938 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 20:13:23.96 ID:yR7j2g47
こういう生き方は格好悪いが好きだなw
帝国主義時代のタイ王国や20世紀のフィンランドみたく敬意を払うべき存在だ

939 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 20:21:50.35 ID:7002YGsM
泥臭くて俺好きだぜ

940 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 20:53:13.61 ID:RLfVSYc2
ん?
>関ヶ原の合戦で東軍について改易

941 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 21:13:09.21 ID:mvuryzzP
門が通字の家って珍しいよね

942 名前: 忍法帖【Lv=35,xxxPT】(1+0:8) [sage] 投稿日:2012/10/15(月) 21:14:25.28 ID:BjsnJ1vT
良く言えば「機を見るに敏」
悪く言えば…

943 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/10/15(月) 21:22:09.83 ID:Y1u2knWZ
>>940
ん?
>関ヶ原の合戦で東軍について改易

「関ヶ原の合戦で西軍について改易」が本当。

944 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 21:25:43.80 ID:RP0r2P4J
最初から東軍についてたのに改易になった大名がいるのか知りたくなった

945 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 21:49:51.37 ID:RLfVSYc2
>>943
西軍なんですね。何ぞやらかしたのかと・・・。

946 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 21:57:49.77 ID:Plea9pIU
佐野綱正「徳川家のために討ち死にしたのに」

948 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 23:08:35.11 ID:eDzTvCWf
>>944
西軍に寝返って改易くらった人は居るけど、ずっと東軍で改易は無かったような・・・
後は敵前逃亡の木下勝俊とか

筑紫家の身の守り方 二、「危なくなったら逃げろ」

2012年10月15日 20:12

933 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 17:29:30.19 ID:XZBVDR98
二、「危なくなったら逃げろ」
筑紫家の居城・勝尾城の峠を挟んだ筑前国側の五箇山に一ノ岳城という城があった。
五箇山は非常に山深く天険の地であり、大軍が攻めても狭い道で少人数しか通れない。
そのため一ノ岳城は要害とされ、勝尾城が落ちた時の「逃げ込み城」の役割があった。
勝尾城から五箇山までは地元の人間しか分からない無数のけもの道があり、
さらに五箇山からは博多や唐津など海へ抜ける逃げ道までも確保されている。
筑紫家の家風としては「城を枕に討ち死」などありえない考えであり、
とにかく危なくなったら逃げて再起を計れという思いがこの城の存在から見てもわかる。

筑紫惟門が大友軍に敗れ毛利氏を頼って落ち延びた際もこの道を通り唐津から出航したらしい。
その後九州に再上陸した時は大友方の博多代官を殺害し、旧領に戻っている。
高橋鑑種と共に反乱を起こした際はさすがに逃げ切れなかったのか一族の助命を条件に自害。
このとき筑紫惟門が腹を切ったのも一ノ岳城だったそうだ。

筑紫広門が島津軍に降伏した後も、家人の園部財部が五箇山周辺に立て篭もり、
一ノ岳城自体は秋月軍に占領されていたものの、広門が幽閉先から脱出してくると
秋月勢を追い出しまず一ノ岳城を占領、そして翌日にはもう勝尾城を奪い返している。
『上井覚兼日記』によると島津義久は「なぜ早く広門を処刑していなかったのか、
それが叶わないにしてもなぜ早く八代に連れて来なかったのか、言語道断だ」と怒り、
「御恥辱此上ハなく、人の申さぬ所にてハ、御落涙なさるる計也」とかなり悔しんだという。


このように大きな勢力への集合離散を繰り返し、
「逃げ城」まで作って家系を残そうとした筑紫家。
およそ一般的な戦国武将の「義理」のイメージとは離れているためかあまり人気がなく
大友家に忠義を尽くした立花道雪・宗茂、高橋紹運らと常に比べられるが、
戦国時代の小勢力としての生き様に親近感を感じるのは私だけだろうか。




952 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 01:18:27.24 ID:VDDbOaCm
義久、泣くほど悔しかったのかw
たしかこのあと捕まってた宋雲尼と娘まで奪還されたから
警戒が強まって立花統増夫妻は薩摩本国まで移送されちゃうもんな
本格的な島津攻めを前に折衝して取り戻したらしいけど

筑紫広門は常にこれらの城を攻略しようと策を練っていた

2012年10月15日 20:12

857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 20:43:47.80 ID:Lc9bBxPg
高橋紹運が宝満・岩屋城督、立花道雪が立花城督になって以降、
筑紫広門は常にこれらの城を攻略しようと策を練っていた。例えば…
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-856.html
立花城には計略を仕掛け、岩屋城には秋月種実とともに幾度と無く攻めるが、
その度に撃退されてしまっていた。そこで広門は一計を案じた。

↑のリンク先にも名前が出てくるが、筑紫方に武蔵城という城があった。
ここは宝満・岩屋城と、旧・大宰府の条坊があった広い平野(二日市など)を挟んだ
天拝山の麓にあり、その中腹の飯盛城とともに帆足弾正という武将が守っていた。
この山を越えるとすぐ肥前の筑紫居城・勝尾城に繋がり、
いわば筑前における筑紫方の前線基地である。
広門は帆足備後(弾正とも)に命じ、家臣を茶売りに変装させて岩屋城へと侵入させた。
戦時中の城とはいえ、城内には住居もあり、普段は商人なども行き交っていた。
まんまと侵入に成功した筑紫方の茶売りは、城内のいたるところに
「たまご火」を仕掛け、武蔵城へと逃げ帰ってきた。

この「たまご火」というのは、その名の通り見た目は卵なのだが、
卵の殻の中に一種の自動発火装置のようなものが仕込まれており、
それ自体に大した威力はないが、燃えやすいものの近くに置いておけば…
燃え移って延焼していくという仕組みだ。

岩屋城内は突然いたるところで起こった火事に大混乱。
この混乱に乗じて筑紫衆は観世音寺近辺まで詰め寄り、
このままでは岩屋城陥落も間近かと思われたが、
高橋方後詰の宝満山城の兵士たちが救援にかけつけたため、
筑紫方は自軍の損害も考えて、早々と引き返した。
しかし城内の家屋は残らず火災で焼け落ちてしまい、かなりの被害を受けたという。

858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 20:46:35.86 ID:Lc9bBxPg
攻め切れなかった筑紫勢、被害を蒙った高橋勢どちらにも悪かった話。


ちなみにその後も秋月・筑紫連合軍と大友軍の小競り合いは続く。
1584(天正12)年に立花道雪・高橋紹運が筑後へ出陣した隙を突いて
秋月種長(種実が前年に家督を譲る)が留守中の立花城を攻めるも、
立花統虎(宗茂)がこれを見事に撃退している。

しかしついに城攻めが成功する時がやってくる。
立花道雪が筑後の陣中で病没し大友軍が陣引きしようとしていた頃、
筑紫広門は今度は兵300人全員を山伏修験者の姿に変装させて宝満山に侵入、
不意を襲って山上の僧坊や城に放火して、これを占拠してしまった。
宝満山は元々修験道の霊場で山中いたるところに僧坊があり、
山伏の姿になって入れば怪しまれなかったのだろう。
広門さんは放火とか変装とか鉄砲盗人とか、そういう計略が得意みたいですね。

そしてこの5ヵ月後に、「筑紫の押しかけ姫」の逸話と繋がるのである。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6441.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-828.html
上の逸話では本当にいきなり姫が押しかけたように書かれているが、
筑紫広門は大友家との和睦の交換条件として宝満山城を手に入れておきたかったようだ。
島津軍が北上するという時に、すぐ後方に敵の城があっては
岩屋城を守ることもできないため、高橋紹運としても婚姻は渡りに船の話だった。
宝満山城はその後、筑紫家と高橋家の相城となる。そしてかの有名な岩屋城の戦いへ…。




859 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 22:05:02.78 ID:TDtkLp3S
長繁「あれ?あいつら敵だっけ味方だっけ?・・・とりあえず攻めとくか」

860 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 22:27:12.93 ID:xnTH6Cms
たまご火かぁ
そんなのが当時あったんだね
さすがノブヤボで知謀の数値高いだけのことはあるな

861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 23:55:42.01 ID:nJktpLb6
ええっと筑紫さんが秋月さんんを裏切った悪い話?

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 00:09:12.18 ID:60ZXLO6g
自動発火ってどうやったんだろうか
火薬や硝石は輸入物使ってたから黄燐とかも手に入ったのかな?それなら可能かもしれないけど
夕方くらいに仕掛けておいて翌日、日が上って気温上昇とともに発火とか

863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 00:21:44.97 ID:z9QFnsn3
天かすとかでも応用すれば

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 00:47:44.52 ID:IfDTvJXs
>>862
大友家の朝倉一玄も「留守の火縄」って
自動発火の計略をやってた話もあるし
そういう研究してる人は結構いたんじゃないかな

866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 09:21:10.57 ID:2uUmQsPB
幕末に鳥羽伏見で負けて幕軍が立ち退き、もぬけの空になった大坂城でも
器物目当てに町民が入り込むのを官軍はあえて制止せず
案の定幕軍が仕掛けていった地雷火が爆発して町民が吹っ飛んだのを確認してから入城したという。

地雷火ってどんなんだろう?砲術の伝書とかに書いてあるのかな。

867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 15:59:22.12 ID:DCFAPyWL
接触地雷はその当時もうあったよ。
確実性にかけるので、電線張っての
遠隔操作の地雷火の方が多かったけど。

筑紫広門娘、高橋統増に嫁ぐ

2012年05月25日 21:00

477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/24(木) 21:46:22.21 ID:bfmd+RLY
立花道雪の死後、長年対立関係のあった高橋紹運秋月種実との間に和平を望む機運が高まり、
種実の娘と紹運の二男(統増)を婚姻させようとの動きが出てきていた。
そしてその動きは秋月種実の盟友筑紫広門を驚愕させる。
筑紫広門は道雪の死後のどさくさにまぎれ、高橋家の宝満城を攻略していたのだった。
もし秋月と高橋・立花が結び筑紫に攻めてくれば当家の命運は尽きる・・・

居城勝尾城に重臣を集め方策を練ったが、これと言った意見が出てこない。
そんな中、一族の筑紫六左衛門より
「当家が高橋家と婚姻をむすぶしかありません。姫を私にお預けください。
姫とともに岩屋城に参り紹運公に姫と統増どのの縁組を直訴してまいります。
紹運公は情け深きお方とのこと、こちらが真心を持って誠心誠意懇願すればあるいは・・・
もし紹運公に承認いただけない時にはその場で姫を刺し、私も腹を切ります。」
広門もこの六左衛門の気迫を見て賛成するのだった。

478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/24(木) 21:47:07.69 ID:bfmd+RLY

岩屋城の高橋紹運、敵対している筑紫広門の娘が訪ねてきたとの知らせに訝りながらも目通りする。
「筑紫上野介の娘かねでございます。不躾ながらお願いの儀があり参上いたしました。
女子の口からお恥ずかしいことですが・・・・・」
と言って目を伏せてうつむいてします。その後を六左衛門が続けた。
統増とかね姫の婚姻による和平の提案、突然の押しかけ女房の提案に困惑する紹運。
六左衛門は
「ご当惑はごもっともと思います。しかし我が筑紫も滅亡の危機にあるのです。
もしこの件どうしてもお許しいただけないようならば、庭先をお借りし切腹を致します。」

六左衛門の熱意に押されたか紹運も婚姻を承諾、15歳の統増もとに17歳のかね姫が輿入れしたのである。
その後の2人は九州征伐時に島津軍に夫婦そろって拉致られ薩摩祁答院での軟禁生活を夫婦で乗りきることになる。

で、なぜ悪い話かと言えばその後広門が島津軍に宝満城の秘密を洩らしたため離縁することになったから。




479 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/24(木) 21:55:35.31 ID:KJ+phi8a
うちにも17歳の美人女子高生が結婚してくれなきゃ死ぬって押しかけてこんだろうか

480 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/24(木) 21:57:48.44 ID:WpP6JSoO
>>478
戦国時代らしいオチだな

481 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/24(木) 22:02:08.38 ID:4+4hjbf4
美人とは限らんで

482 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/24(木) 22:03:39.48 ID:Tcsniuyu
秋月の娘は楢柴と一緒にラスボスに差し出された人か

483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/24(木) 22:58:41.16 ID:J9GtnOfy
古田殿、出番ですぞ

484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/25(金) 00:20:26.07 ID:SLb8P8dH
>>478
離縁したって話だけど、してないとか復縁したとも言われてるんだよな。
1604年生まれの統増の長男の種次は加袮姫の子らしくって、
朝鮮とかでも高橋家と筑紫家は一緒に行動してて縁戚関係が続いてた様だから。
母親が姉妹で従姉弟同士らしいから、離縁されそうになったけど結局許されたって
とこじゃないかな。

485 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/25(金) 06:58:10.47 ID:/00Z07jC
筑紫は関ヶ原で親戚の高橋・立花家と行動を共にして改易なんだよな

486 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/25(金) 07:42:22.66 ID:srftelVj
>>481
筑紫広門の自慢の娘で美人だったらしい
ちなみに次女は黒田長政の側室になってて姉妹揃っての美人らしい

488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/25(金) 19:35:35.46 ID:pjV0/fy7
>>485子孫は旗本

489 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/25(金) 19:36:47.32 ID:bNEa8zYz
改易されたがお情けっぽく旗本で再興、という大名って結構いるような。

490 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/25(金) 19:38:06.62 ID:ytjZzz6i
筑紫みたいに変わり身が早すぎてもかえって立場が悪くなるし
高橋みたいに頑なでも城を枕に討ち死ぬ羽目になるし
立ち回りって大事

491 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/25(金) 19:55:00.19 ID:HS5j1PSZ
忠臣蔵みたいに変に意固地になって敵討ちだなんだやられるより、
捨扶持あげて体制内に組み込んで置く方が安心できるってのはないかね?

忠臣蔵が例として正しいか知らないけど

492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/25(金) 20:10:26.18 ID:srftelVj
立花宗茂、高橋統増兄弟も旗本からの復活組だもんなあ

493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/25(金) 20:30:16.74 ID:BLZx4OMx
真田パパンは敵にいたほうがマシじゃないのか?

494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/25(金) 20:36:03.69 ID:HS5j1PSZ
真田パパンは、敵にも味方にもいて欲しくないかなぁ~

495 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/25(金) 20:37:12.60 ID:zBDwHfCp
家康「信之とかの願い聞いて助けたら、一緒に助けた次男が仇で返しにきた。訴訟」

496 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/25(金) 21:05:08.94 ID:HS5j1PSZ
高野山じゃなく、成田山あたりにしとけばなぁ~

497 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/25(金) 21:28:32.05 ID:X1t+JEUH
3000石くらいの旗本にしておけばよかったのに