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即時都よりパードレを追放するを可とする

2020年11月08日 18:48

446 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/11/08(日) 17:47:29.53 ID:GYyWhxaL
然るに今より八日、又は十日前、日本人イルマンのロレンソが堺より一書を送り、同地に於いて
起こっていることを通知したが、その中に、次の記事があった。

三好殿の書記官コスモが、我等の旅宿の主人ローケと語って伝えた事によると、篠原殿(長房)の重臣の
一人であるキリシタンの語った所に依れば、過日、阿波の大身及び主だった人々が集まって会議した時、
話し合いはパードレのことに及び、
『これらパードレの居住する国には、戦争、叛逆、不和、その他の不幸が起こるのみ成らず、
彼等を庇護する領主及び大身は、必ず名誉、地位、収入及び生命を失うが故に、今回自分たちが
勝利を得れば、即時都よりパードレを追放するを可とする。』
と云ったという。

これは堺の異教徒にして、阿波の大身たちに就いて、パードレ及びキリシタンの迫害のため
努力すること、我等の敵であるかの坊主(朝山日乗)が信長に就いて尽力したことに劣らない、
ベンジャノソウゼの成した所である。もし我等の罪により、彼等が勝利を得れば、彼等に劣らず、
我々に憎悪を抱く大阪の坊主と同一であるから、我等を都よ追放すること疑いない。

このような状況であるが、尊師は我等が、デウスの教えの敵に貶められて、豊後に帰るだろうと
想定すべきではない。何故ならそのような行為は、キリシタンにとっての失望となり、教化の障害とも
成るからである。

信長がもし存命したならば、たとえ都より遠き地に在っても、我等は信長領の内地に侵入して、美濃の国に
至るだろう。そしてもし信長の庇護を受ければ、その領内に帰依する者もあるだろう。
さらにデウスが再び彼に勝利を与え、都に帰ることを許し給う時は、我等が復帰するのも容易だからである。

(一五七〇年十二月一日附、パードレ・ルイス・フロイス書翰)

志賀の陣で信長が追いつめられていた頃、阿波三好家(?)で、京に復帰したらキリシタンを追放する、と言う
話があったらしいという内容



447 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/11/09(月) 12:33:28.35 ID:6xo3ofEz
天皇は一貫として伴天連追放の姿勢だったし、公家と仲のいい日乗は信長に重用されて安土宗論後でも発言力があった
伴天連追放に関しては信長と幕府の義昭(義輝は庇護)は取り合おうとはしなかったので朝廷に働きかけて綸旨を得るに至る
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革島ジョアン不敬事件の顛末

2020年10月25日 17:30

429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/24(土) 23:49:21.44 ID:fcrr8HEw
前に述べたように、三箇に於いてキリシタンと成った者の中に、17、8歳の青年の武士が在った(革島ジョアン)。
三人の執政(三好三人衆)の一人(三好宗渭)の親戚であり、彼はその父の残した収入、毎年四、五千クルザドに
上がりしものを、己に交付するよう懇願していたが、デウスのことを良く解しており、至る所で異教徒と、その宗旨の
欺瞞について議論していた。

彼はシノワラドノ(篠原長房)、及び三人の執政の居るコイミズ(越水城)と称する城に在り、他の青年武士らと
遊山のため、異教徒より大いに尊崇されている寺院に至った時、同行者は彼を侮辱し、「キリシタンと成った事で
神々の罰を恐れないのか」と言った所、彼は
「どうして死せる人、及び木石の像を恐れることが有るだろうか」
と答えた。しかしこの事についてしきりに攻められたため、この青年のキリシタンは、受洗後一ヶ月に及ばない
こともあり、大いに怒り、これによって「木石の恐るべからざるを見るべし!」と言い、偶像に近づき
大いなる不敬を行った。

この事は国内各地に伝わり、前代未聞の甚だしき不敬であるとされ、執政の耳にも達したため、我々を好まず、
これよりもずっと小さな機会であっても我々への攻撃のため利用しようとしていた(反キリシタンの)者達は、
青年を呼び出し、「パードレがあのようなことを成すことを勧誘し、又は指示したのか。或いは。キリシタンは
あのような事を常に行うのか。」と尋ねたが、青年は答えて「パードレは自分の成したことを知らず、また
之を進めたこともない。」と述べ、「同伴者の甚だしき糾問によって、自分の発意を以て之を行った。
もしこの事が罰に当たるのなら、自分はすぐにそれを受けるだろう」と答えた。

キリシタンの甚だしき敵である、三人の執政の中の一人(岩成友通か)はこれに対し、「もし己の従兄弟にして
外二人の執政の親戚でなければ、直ぐに十字架にかけることを命ずるべきだが、自身の好意、および親戚関係
により除外し、希望していた収入を与えないことまでとする。」と云った。
これによって青年は三箇に向かい、サンチョ(三箇頼照)は食を与えてこれを支持した。

執政たちはこの機会に於いて、デウスの教え、及びキリシタンに対する多くの悪言を述べた、
シノワラドノもまた、偶像に対する罪を憤ったが、温和なる言葉を以て彼等に説き、また私がこの事に
関係ないことを知らしめ、その後、約十五日を経て、都の公家に書簡を送り、私が都への復帰の許可を
内裏に求めることを懇請し、また三人の執政をして、彼の書簡により庇護の書簡を認めることを請うた所、
彼等は甚だ之を好まなかったが、その希望に応じた。

二人のキリシタンがこれらの書簡を携えて都に到ったが、悪魔は又、他の妨害を加えた。即ち書簡の宛名に
誤りがあったのだ。そのためキリシタンの一人は之を訂正するため十二、又は十五レグワの道を引き返す
必要が生じた。しかしデウスの御慈悲により、この事は困難な事態にならなかった。シノワラドノの宮廷の
武士が大いにこの事に尽力し、即日訂正、押印したため、キリシタンは直ぐに之を携えて都に着いた。

悪魔がこの上妨害を加えることは無いと思われたが、公家が我等に返答を与える前に、三好殿(義継)および
弾正殿(松永久秀)が堺を出て、四、五千人を率いて都の国を占領しようとした。彼等はシノワラドノ、及び
三人の執政の敵であり、戦闘のため公然大軍を集めた故に、公家は戦の結果を見るまで、回答を中止した。

『一五六七年七月八日附、パードレ・ルイス・フロイス書翰』(日本耶蘇会通信

革島ジョアン不敬事件の顛末



この人はシノワラドノと称し

2020年10月24日 17:26

428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/24(土) 15:11:34.23 ID:fcrr8HEw
私は神の御意により、一、二コント(万)の兵を有する強勢なる大王の力により、新公方(足利義栄)が
都を領することを期待している。
この人はシノワラドノ(篠原長房)と称し、貧欲、その他悪徳無く、デウスの事を数回聞いたことが有る。
彼は我等を庇護することを希望している。

その国(阿波)に一人のキリシタンがあり、パードレが都に於いて洗礼を授けた者で、高貴にして勢力があり、
王の寵愛する者である。我等はこの人の尽力によって阿波の国王(三好長治)の免許状を得て都に帰ることを、
我等が主デウスに於いて期待している。何故ならば、北方の諸侯は、今悉く彼に服している故である。

但し都は(前に述べた如く)目下擾乱し、戦争のため不安にして、同地には頭が無く、これを治めるべき君
無きが故に、同所に滞在する事は著しい危険がある。公方様を得、戦争が止んだ時に、更に請願すべきである。
我等の主の愛により、これら一切の必要に付き、兄弟の捧物、および祈祷において祈れ。

暴君弾正殿(松永久秀)は前に述べた如く。都に於いて我等を殺すことを命じ、叛逆によって公方様を
殺した後、彼の勧告によって我等は同所より追放されたが、その後、我等の主デウスは正しき判官なるが故に、
戦争及びその兄弟、并びに家臣の死去(弟・松永長頼らの討ち死にの事であろう)、財産の大いなる損失により、
大いに彼を苦しめ迫害し給わった。

『一五六六年六月三十日附、パードレ・ルイス・フロイス書翰』(日本耶蘇会通信)

京都追放後、阿波三好家などの足利義栄派に期待をかけるフロイスの書状



篠原長房と十河一存の対決の顛末

2015年07月20日 13:17

80 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/20(月) 02:31:08.71 ID:e5AVgIyj
三好実休が事実上の国主として阿波を治めていた頃のこと。
実休やその弟・十河一存をはじめ多くの家臣が新当流の内藤
太郎兵衛という武士から武芸を習っていたが、篠原孫四郎は上方
からきた式部なる者から指南を受けていた。

ところがあるとき式部が「新当流は実践の役に立たない」と批判したことが
実休の耳に入り、それならばと、それぞれから教えを受ける一存と孫四郎に
立ち会いをさせ、それが事実かどうか確かめようということになった。
試合の結果は、孫四郎があっさりと勝利し面目を施したが、悔しいのは
敗れた一存である。

その後、御番として一存が妙永寺に勤めていた時に式部が見廻りに来た
ときのこと。一存は悔しさから「なんとかならんか」と家臣の十河新左衛門に
ささやいたが、これを聞いた新左衛門は式部を殺すように命じられたものと
合点し、式部を不意打ちして斬り殺してしまった。

武芸の師範を殺された孫四郎は激怒し、「一存を討つ」と息巻いて、2日のうちに
五十騎が孫四郎のもとに参上する事態となった。
この状況に実休は「一存のことについては、長房の納得の行くように処置する
ので、今回のことは堪忍してほしい」と長房をなだめるとともに、彼を惣侍頭に
取り立てて事態の解決をはかった。

すると、一存の配下にあった者達が軒並み一存の元を離れて孫四郎の配下に
なることを望んでしまったため、やむを得ず実休は侍衆を二分し、半分を孫四郎配下に、
もう半分を叔父の三好康長の配下にしたのだった。
なお、この孫四郎こそ、後に三好実休・長治父子のもとで手腕を発揮し、畿内で活躍することに
なる、篠原長房の若き日の姿である。

『昔阿波物語』より、篠原長房十河一存の対決の顛末。それにしても、鬼十河さん、カッコ悪いっす・・・



84 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/20(月) 23:21:36.49 ID:adbEZRuN
>>80
なんかこう、何とも言いがたい微妙に悪い話…
鬼十河にはとても悪い話なんだろうけど。

86 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/21(火) 02:12:14.56 ID:GULIsTHj
さすが篠原さんは若い頃から人望あるな

1568年10月4日付、堺発 パードレ・ルイス・フロイスの書簡

2012年07月03日 20:59

327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/03(火) 18:29:57.43 ID:cENsvTv3
『1568年(永禄11年)10月4日付、堺発、パードレ・ルイス・フロイスの書簡の一節

私が都に復帰することは、大いに努力したにもかかわらず、今日に至るまでそれは叶っていない。
都は甚だ混乱し、少しも安全ならざるが故に、この事は神の御許におすがりするしか無い。

シノバラ殿(篠原長房)と云う大なる異教の領主(当地方のキリシタンの武士は、多く彼に属せり)は、
我々を都に復帰せしめんために大いに努力されているが、戦争のため未だこれを了せず。

都の(キリシタンの)会堂は、昨年まで我々の敵にしてキリシタンの大迫害者たる弾正殿(松永久秀)の
掌中にありて閉鎖させられていたが、篠原殿はこの事を聞き、私が都に入る事が可能になるまで、現地の
キリシタンに託すことを命ぜられた。これによって会堂は我らキリシタンの手に帰し、都の信者たちは
従前のように同所に来て祈祷を行なっている。

篠原殿は今の都の王に使いを遣わし、もしパードレ等が都に帰ることを許さないのなら、彼の絶対権力によって
彼らを復帰させる。何故なら彼らを追放すべき何らの理由がないからである、と伝えた。

そのような中、5,6日前に尾張の王(織田信長)が、殺されたる公方様(足利義輝)の兄弟(義昭)を、
武力を持って都に入らしめんため、6万の兵を率いて突然都に向かって進軍を始めた。
これにより、必ず大戦があるだろう。

主よ、平和を来たらしめ給わん事を祈る。
何故かと云えば、この諸国(日本)でデウスの教えを弘布するにおいて、戦争にまさる障壁は無いからである。』

信長の上洛直前の情勢を伝える、ルイス・フロイスの書簡である。
(日本耶蘇会年報)




328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/03(火) 21:23:52.41 ID:HU9wdxzM
相変わらずキリスト教が関わってるかどうかが話の主軸なのね
宣教師だからと言われればまあそうなんだけど

329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/03(火) 21:33:11.76 ID:IDaq8dwx
まあ布教報告書だからキリスト教絡み以外はあんまり関係ないし。


330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/03(火) 21:34:16.95 ID:hejL88An
これって教会の報告書なんだよね?

篠原長房謀殺未遂事件

2011年12月25日 21:59

篠原長房謀殺未遂事件

篠原長房


497 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/25(日) 16:49:04.38 ID:SMAAy7mw
三好長慶の死と、足利義輝暗殺後の三好家の分裂は、三好三人衆と松永久秀の対立と
俗に言われているが、実際には松永久秀は三好宗家当主である三好義継を押し立てる立場であり、
三好三人衆のバックには、阿波三好家を支配する篠原長房があり、実態としては畿内の三好宗家と
阿波三好家との対立、というべき物であった。

永禄11年11月、
その、阿波の実質的な支配者である篠原長房の弟某というものが淡路において、敵対する三好義継方に寝返った、
そして兄長房の暗殺計画を進めていたが露見、そこでこの弟某は堺へと逃亡した。
これは10日のことだったという
(多聞院日記)

分裂状態の三好氏における、暗闘を垣間見させる事件についての記録である。