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籠沢采女の出奔と帰還

2019年10月03日 16:35

244 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/03(木) 13:33:39.89 ID:EPkCNTiA
弘治三年五月七日、長尾景虎は川中島での武田信玄との対峙より兵を納め(第三次川中島合戦)、
高井郡小菅山の元隆寺へ引き上げ、鳥居峠を超えて平井城へ入った。

そのころ北条氏康は武州岩槻の城を取り囲んでいたが、城主太田美濃入道資正が良く防いで
一歩も近づけず、氏康は諦めて兵を退き、帰途、東上野の沼田城、厩橋城を小当りすると、
そのまま小田原に帰った。

景虎はその機を待っていたように又しても金山、桐生筋を攻めんと利根川の東へ進出した。
この辺りは路が険しく駆け引きが自由にできず、その攻略に二度も三度も失敗していた。
景虎は先ず自身で数騎を引き連れ物見に出かけた。しかし坂道を六、七里行った所で桐生の
城兵に発見された、城兵は彼等を鉄砲で仕留めようと、選り抜きの射手を物陰に伏せさせ
待った。

景虎は何も知らず、例の半首(はんつぶり)の兜に連銭葦毛の馬に乗り、一騎当千の武者である
鬼小島弥太郎、鬼山吉孫次郎、宇野左馬之介、織部入道の主従五騎で静々と打たせてきたが、
くだんの伏兵が居るところから5、六町の所まで来た時に、突然一人の武者が横道より走って来て
景虎の前に平伏した。

はっと気がついて景虎が馬を引き止めて見ると、越後普代の家人、籠沢采女正景次であった。
彼は景虎に向かい

「この辺りは足場が悪く、不案内な者が動ける所ではありません。殿の敵を恐れぬ度胸は昔から
見上げたものだと思っていましたが、このような事は百害あって一利なしと思い、不詳籠沢采女正景次、
まかり出ました。」

そう断ってから、自身のこれまでの行状を語った。それによると、彼は三年前自ら降人となって
桐生の城中へ入った。しかし今日の城中の謀議を伺ったところ、鉄砲を以て殿を打ち取る相談が
まとまり、現にこの七、八町先にその伏兵が待ち構えていると話し、

「今日はじめて、降人として恥を忍んでいたかいが有りました。こんな嬉しいことはありません。」
そう、涙で袖を濡らしながら語った。これを聞いて景虎も感涙にむせびつつ、すぐに指揮して
三人の伏兵を討ち取った。

そもそもこの籠沢采女正は若年より景虎の膝下に仕え、律儀で機敏な若者であった。またその先祖は
治承の頃越後国鳥坂城で勇猛をうたわれた長尾太郎資永の家来・籠沢左衛門尉景俊の末で、二心を
抱くような武士ではなかったのだが、景虎が関東へ出陣した折に逐電した。何故そのような事をしたのか
理由がわからずに居たのだが、今日はじめてその謎が解けたのである。

ただし、これまで景虎は、采女正は生まれついての忠義者で、何か仔細があるのだろうと思っていた。
それが証明されたのであり、まことに景虎が情に厚く、人を見る目の確かなことが解った。

(関八州古戦録)



245 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/10/03(木) 22:01:33.57 ID:GTNKmASQ
この先行ってはならぬで打ち取っちゃうのは景虎らしいよな

一度引き返して軍を率いたとなれば、伏兵が引き上げてるだろうとも思えたし

まあ間違った推理かな

246 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/03(木) 22:59:43.91 ID:vRMi2KoX
天才だから、なのかな

247 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/04(金) 00:51:07.48 ID:ZQ9PeFTA
とんでもない
ヨーロッパの騎士とかでもこういう向こう見ずなのは居る
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