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松平の御家御相続繁盛となる事

2023年01月17日 19:07

567 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/01/16(月) 21:41:09.28 ID:Dz3TdecJ
武家閑談」の初めの話「松平の御家御相続繁盛となる事」

権現様は天文十八(十一)壬寅年十二月二十六日、岡崎の城にて御誕生。御胎内十二ヶ月という。
御童名は竹千代と称されたが、天文十三年三月の夜に御父・松平広忠卿の夢で
「神々は 永き浮世を まもるかな 薮のこころは 千代竹の宿」
という歌を金の短冊に書き、松につけたところで目が覚めたという。
広忠卿は不思議に思い、三河の大浜の称名寺十五世の住職・其阿弥に夢の話をしたところ、上人も同じ夢を見ていた。
そこでこれは竹千代殿が御繁盛するという吉夢だろうということで、御祝いの連歌興行をなされた。

また慶長三年(1598年)正月、伏見で権現様は吉夢を見られたため、二日に石清水八幡宮に詣でられたという。
すると正月十四日に、江戸の酒井忠則から使者があり、それによれば
米津清右衛門(米津正勝)の妻が元日の夜見た夢に、権現様が八幡宮に御参詣された。
そして烏帽子の神人が枝に短冊をつけて権現様に差し出して歌を詠んだという。
「盛んなる 都の花を 敬はで 東の松の 世をば継がるる」
この時から三年のうちに関ヶ原の合戦で天下を御手にされた。
また天正十年(1582年)五月二十八日、明智光秀が謀叛の企てをこめて開いた愛宕百韻の十一句と十二句にも当家繁盛の吉兆があるという。
「立ちつづく 松の梢や しげるらん」御子孫繁盛の吉兆
「浪にまがひの 入海の里」江戸繁盛の兆



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そう言うと取ってきた首を

2014年09月02日 18:55

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/01(月) 20:18:52.58 ID:wQw+R2C8
関ヶ原の決戦の折のこと。

徳川家康の旗本である米津清右衛門正勝は、敵の首を取って来て、小栗又一忠政に向かい
「俺は早くも高名をしたぞ!」
と言い放った。米津と小栗は、かねてより仲が悪かった。

小栗はこれを聞くと
「お前ががシラミ首を取るのなら、俺は兜付きの首を取って見せよう!」
そう叫んで前線へと向かった。

米津清右衛門はこの首を家康の御覧に入れたが、家康は見るなり
「清右衛門、お前は使番ではないか!使番は敵の先手の様子を見てすぐさま本陣に注進するのが
その役割である。首の一つや二つ取って何の用に立つか!」と叱りつけた。

米津が御前より下がると、やがて小栗又一が兜首を取って帰ってきた。そして米津に向かって

「これを見よ!お前に出来る程度の事が、俺に出来ないと思ったか!」

そう言うと取ってきた首を道端の谷川へと投げ捨てたのである。
(明良洪範)

米津清右衛門さん、せっかく首をとったのにふんだり蹴ったりというお話。


関連
「やあやあ又一よ。俺はもう名を上げたぞ」と自慢した。


103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/01(月) 20:25:35.97 ID:IBLbPvNW
首をとられた二人が可哀想

104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/01(月) 20:32:13.96 ID:i9DExyOu
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6415.html
前にも出てるようだが出典は書いてないな