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黄金百枚の儀

2020年03月25日 18:11

787 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/24(火) 20:24:30.66 ID:K2dn1Ud1
細川忠興様は豊臣秀次公より別して御懇にされており、どうしたわけか、黄金百枚を拝領していた。
その上秀次の家老である前野但馬守(長康)殿の子息・出雲守(景定)は忠興様の聟であり、
秀次事件が起こると、御縁者故「秀次の一味である」と治部少(石田三成)の申立があり、これに
是非無く思し召され、聚楽の屋敷へは米田助右衛門(是政)殿が遣わされ、伏見での状況次第では、
御上様(正妻)、御子様たちを仕舞(生害)させ、御屋敷へ火を掛け、助右衛門殿は切腹するようにと、
忠興様は命ぜられた。

伏見に於いて、黄金百枚の儀は、「薬院法印(施薬院全宗)の肝煎りで秀吉公(秀次の間違いか)より借用した
ものであって、拝領ではない。」との弁明を、米田助右衛門、徳善院(前田玄以)より、太閤様へ申し上げた所、
太閤様はこのように仰せになった

「先年、明智謀反の時、信長公への御恩を存じ出、明智に一味しなかった。
たとえ今度、秀次と一味したとしても、その時の忠節により赦免しよう。」

この旨を徳善院が仰せ渡すと、忠興様は御安堵なされ、この時も助右衛門殿の一命をとした御奉公であったと、
忠興様より度々そのお話を承った。

細川忠興軍功記



788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/24(火) 20:29:19.10 ID:5/kImDAj
>>787
しれっと治部と太閤を貶める悪い話。

789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/24(火) 20:36:18.45 ID:airvD0sC
金借りただけなんですもらってないんです、って言い訳になるんだろうか

790 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/24(火) 20:39:25.29 ID:/mRIgf+N
佐吉があえなく負けた理由がよく分かるな

792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/24(火) 21:37:06.12 ID:NfHJ2VF6
この話へうげものにあったね

793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/24(火) 22:54:05.24 ID:aUbdaYvf
>>789
猪瀬直樹、徳洲会の5000万円事件思い出した

794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/25(水) 13:15:13.15 ID:jvpr6x/q
口先で借りただけだから許せやって話じゃなく
だから御公儀にお返しするので許してください
って話なので

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/25(水) 19:33:11.35 ID:5lQO7ZEJ
>>794
なるほどそういう文脈なのか
これは勉強になりました

797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/26(木) 20:29:48.46 ID:MxcE7X8S
石田さんほんとにどういう人だったんだろな
全員にこんな感じでちょこちょこ当たってたんだろうか

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秀次事件と細川忠興

2015年01月26日 18:44

299 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/25(日) 18:01:25.88 ID:WdkrArKW
文禄四年七月中旬に、摂政関白秀次公御身体、果て申す次第

前野但馬守長康殿、同出雲守殿(景定)、木村常陸、白井備後、石河伊豆、羽根長門守と言った人々に、
秀次公は『何事にても、申し付けた事に異議を立てない』との内容を書き物にして提出させていた。

この事を石田治部少輔(三成)が聞きつけ、太閤様(秀吉)に申し上げたため、太閤様は秀次公に、
遣いを以ってこの件を糾明させた。

これに秀次公は大いに驚き、聚楽より伏見に御出でになり色々と弁明したものの、太閤様は納得
しなかったので、伏見から高野山へと上られた。
そして福島左衛門大夫正則殿が検使に遣わされ、秀次公は切腹なされられた。
かの書き物を提出した人々も、残らず切腹が仰せ付けられた。中でも前野但馬守殿父子は、中村式部少輔(一氏)
預りとなり、駿河府中にて、但馬守殿、その子息出雲守殿、切腹と成られた。

細川忠興様は右の書き物の件には関係していなかったが、秀次公より別して懇ろにして頂いており、
どういうわけか黄金百枚を拝領していた。その上前野但馬守殿の子息出雲守殿は、忠興様の聟であり
縁者であったため、石田治部少より「彼も一味している」と申し立てられたため、太閤様も是非無く思われた。

聚楽の細川屋敷に忠興様より米田助右衛門殿が遣わされ、伏見より急報が有れば、息子たちを殺した上で
屋敷に火をかけ、助右衛門も切腹するという事に決まったと、忠興様の御意が伝えられた。

黄金百枚の事は施薬院法印(全宗)の肝入で、秀次公より借用したものであり、拝領したものではないとの
弁明を、米田助右衛門が徳善院(前田玄以)を通じて太閤様へ申し上げると、その時太閤様が仰せになったのは

「先年の明智謀反の時、信長公の御恩を知り、明智に一味しなかった。たとえ今回秀次に一味したとしても、
その時の忠節により赦免いたす。」

この言葉が徳善院より仰せ渡せられ、忠興様もご安堵なされた。

細川忠興軍功記)

秀次事件の折の、細川忠興の様子である。