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香西元盛謀殺事件

2018年08月12日 17:38

29 名前:1/2[sage] 投稿日:2018/08/12(日) 12:26:16.87 ID:8OW2F72Q
大永6年(1526)の頃、それまで京都は暫く静謐であったが、不意の乱が起こった。
細川家の領国である丹波国の住人、香西四郎左衛門元盛は道永禅門(細川高国)の家臣であり、かの家の
沙汰を執り行い、威勢諸人の上に立ち驕りを極めていた。
この者の弟に柳本弾正忠(賢治)という者が居た(実際には兄)。彼は若年の頃は美童であり、高国は
彼との男色にひたられ、この者を寵愛し、成人の後、今に至りて俸禄身に余り、栄耀人に超えて、
香西・柳本兄弟の権勢は並ぶ者なかった。

この頃、細川右馬頭尹賢の所領である摂州尼崎に城を築く事を、高国は諸家に命じた。細川一門一党の
人々は日夜土石を運ばせ造営の役を勤めた。香西兄弟も尼崎に下ってこの役を勤めていた所、彼らの
下部の者達が、細川尹賢の人夫と、土一貫の事について争い口論に至り、やがて双方数百人に分かれて
瓦礫を投げ合う騒動と成った。しかし他家のの人々がこれをどうにか取り扱い和平をさせて、両方を
別け隔て、尹賢の者達は城中に入り、香西の人夫は丁場へと帰った。ところが、香西方のあぶれ者の一部が、
下知を聞かず尚も居残り、戯れに城中へと石礫を投げ入れた。

しかしこの行為に細川尹賢は怒った。
「和平の上に、さらに狼藉を働くなど以ての外の奇怪である!しかしこれは香西の慮外であるから
下部の者達を咎めるべきではない。」
そう、一旦は怒りを収めたが、香西は驕りの故であろうか、その後この事について細川尹賢への陳謝が
無く、そのような事は無かったかのように接した。

これに尹賢は鬱憤を重ね「あの兄弟、日頃の驕りに加え、さらにまた今回の事があった上は、彼らを
亡き者にしなければならない。」そう考え陰謀を巡らせた。
この香西元盛は文盲不学の者であり、常々料紙14,5枚ごとに判形を押しておき、手書きの部分は
彼が召し使っていた矢野宗好という者に、かの判紙を預け置いて、諸方書通のたび毎に宗好次第に
状を書かせ、書礼を進め返した。ところがこの頃どうしたことか、この宗好は香西の命に背き牢人
していた。

これについて、尹賢はハッと思いつき、密かに宗好を招き寄せ色々と語らい、彼の元に香西の判紙が
残っていることを確認すると、そこに秘計の状を書かせた。

その内容は、細川高国の仇敵である阿波の故細川澄元の残党である三好家の者共と、香西元盛が一味している、
というものであった。香西の判形紛れも無いよう拵えさえ、尹賢はこれを密かに高国の元へ持参し
「香西の謀反紛れもありません!」
と、その偽造した書状を証拠として誠らしく言い立て讒言をした。これに高国は、心浅くも真実と
判断し、「事を起こされる前に、早急に香西を誅さねばならない!」と、尹賢と示し合わせた。

しかし、突然高国は思った
香西元盛を誅殺すれば、弟の柳本は私に仕えることが出来なくなってしまうだろう。年来、この柳本は、
この道永(高国)が『命に変えても』と契約した仲であり、いかにも名残惜しい。」
高国は様々に思案し、漸く思いつき、柳本へ起請文を書いた

『香西を誅殺するが、彼は謀反の者であるから是非に及ばぬ次第である。しかし柳本弾正に対して、
道永は少しも異心を持っていない。」

そう心情を顕し、これを文箱へ治めた。

30 名前:2/2[sage] 投稿日:2018/08/12(日) 12:27:31.73 ID:8OW2F72Q
さて、香西を討つと雖も、まずは謀反の実否を直接問い糾した上で真実ならば誅すべきと、討ち手の
者達を定めておき、大永6年7月13日、高国の館へ香西は召された。香西元盛は自分がそのような
状況に置かれているなど夢にも知らず、何の警戒もなく急ぎ高国の館へ参り、遠侍に入ると、
若殿原二人が出迎え、「太刀と刀を渡されよ」と言う。香西は少しも騒がず太刀と刀を渡し
「何事があったのだろうか」と不思議に思う体にて座っていた。

その間、暫く時刻が過ぎた。細川高国は待ちかねて「香西は遅きぞ」と言った、
これを細川尹賢は聞き間違えたふりをして、かの討ち手の二人に云った
「香西は遅いと言われた!早く斬るのだ!」
二人は即座に走り寄って香西を斬り倒し、その頸を落とした。無残と言うも愚かである。

細川高国はこれを知ると「一体どう言うことなのか!?」と驚いたが、もはや力及ばず事は済んでいた。

その後、高国よリ、あの文箱を柳本賢治の元へ遣わした。書中に
『その方の兄である香西は謀反人であるから、国家のために誅するのだ。その方に今更恨みを含む
事ではない。年来の契約は忘れていない。今後いよいよ、忠義を尽くしてほしい。私は今までと
少しも変わらず、お前を懇ろに扱う』
これを誓詞に認め言い送った。

柳本は起請文を開かないまま高国の館へ持参し、「これは勿体なき仰せです。兄の香西元盛
逆心の罪科にて誅せられた事であり、私は少しも恨みを含んでおりません。
兄の罪科にお構いなく、前々のごとく私を召し使って頂けるとのこと、その御厚恩は生々世々に
報いがたいものです。この上は私に置いては、今後一層の奉公の忠を尽くして勤めます。」
そう感涙を流し宿所へ帰った。

その後、柳本は実際に努めて忠義を尽くしたため人々も感心し「流石道永禅門が年来目利きして
柳本を寵愛していたのは尤もの事だ。これほどの忠臣は世にも稀である。」
そう褒め称えたという。
(續應仁後記)

香西元盛謀殺事件のお話。だがしかし


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