関ヶ原のあと、細川忠興は憤っていた

2015年11月16日 16:33

649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/16(月) 07:30:32.74 ID:zgdpCvHx
関ヶ原のあと、細川忠興は憤っていた

「父入道(幽斎)が、いかに勅命だからといって、城を退去したことの口惜しさよ!
また嫡子与一郎(忠隆)の妻が、如何に女の身だからといって、正しく姑(ガラシャ)の自害するのを見捨て、
逃げ落ちたことの不覚さよ!」

そして与一郎に「お前の妻を必ず追い出すように!」と命じた。

これに与一郎は
「父上の仰せ、謹んで承りました。私もこのことを知って、すぐに推問に及んだ所、我が妻、ならびに
それに付き従う者達の証言によると、当時、事態が急変する中、母上は我が妻に対し、
『このような時に大勢うち連れて落ちるのは現実的ではありません。まずあなたが早く忍び出て、
その後私達が追いつきます。』
と仰せられたため、屋敷を出たのだということです。妻は
『あのように御自害するのだと知っていれば、どうして忍び出たでしょうか!』と申していました。
であれば、妻には誤り無きに似ていると存じます。」

この答えに忠興は激怒した。
「父の命に背くとは、甚だ以って奇怪である!今後、長く対面に及ぶべからず!」
そう言って即座に勘当した。
これより細川忠興は、父とも子とも、良からぬ仲となった。

その後、細川与一郎は妻に向かい
「私は思いも寄らず、御身のためにかかる不孝の身となった。こうなった上にも連れ添っていては、
世の人、この忠隆が妻に惑ったため、父から勘当を受けたのだと思われてしまう。それはとても
恥ずかしいことだ。

また、この忠隆は既に貧賤の身となった。妻の兄である加賀中納言(前田利長)が大名であるのを
頼っている、などと言われるのも口惜しい。」

そう言って妻を実家に返し、やがて入道して休無と号した。

(藩翰譜)




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婦人とはいえ比興

2014年06月17日 18:54

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/16(月) 23:45:47.60 ID:qZcyAmqC
細川三斎の嫡子(忠隆)は利家の婿である。三斎の内室(ガラシャ)が
大坂において焼死の時、利家の息女(春香院)は無事にお逃げになった。

三斎は「姑が死ぬのを見て逃げるのは婦人とはいえ比興(卑怯)だ。
離別するべきである」と嫡子にうながしなさるが、嫡子は同意しない。

三斎は「そのような女房と夫婦である者は我が子にあらず」と
言いなさって嫡子を勘当いたされ、家督は二男越中守(忠利)が継いだ。

――『武功雑記』




530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/17(火) 10:39:46.80 ID:RyJrocz7
さすがに子供を37人目にするほどDQNじゃない

531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/17(火) 11:58:47.53 ID:k6Wk3ikE
つ次男

532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/17(火) 12:18:56.45 ID:mCQ1mVel
幕府は許すって言ってるのに切腹させたり

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/17(火) 13:47:31.28 ID:ZCjU5JiM
ガラシャの代わりに人質として宇喜多屋敷に赴いたんじゃないかって話もあるんだっけか?
まとめだかここの推測だったような気もするが

534 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/06/17(火) 15:32:05.75 ID:tJyWt9wA
山田風太郎の小説ではラマ仏と言う話の主人公でしたな、三歳様の次男は。
せがわまさきの漫画版は良かった。