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松平忠直配流後の話

2022年06月14日 19:36

511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/06/14(火) 16:47:35.44 ID:e2XuRu8B
続片聾記」から松平忠直配流後の話

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-13455.html
続片聾記」から「忠直公御乱行の事」
で忠直の乱行の原因となった愛妾・一国について
元和九年(1623年)三月二十九日、忠直が越前から配流された同日、
忠直公の愛妾・一国女を何者かが駕籠の内で殺し、金子を添えて一乗寺の門前に捨て置いたという。
こうして同寺に葬られたと言われるが、大きな石の祠があり、毎年大奥の方から弔いがあるという。
法名は理性院真如観月大姉。
一乗寺の一国塚(上記の石の祠か)には蛇がいつも満ちているという。
また乱行の手先となった小山田多聞の屋敷は奇怪なことが多いため住む人もなく、寺となっている。
寺の庭の沼には石臼などがあるそうだ。石の人切りまな板も蔵の近くに埋めてあると聞く。

なお忠直公は豊後国・萩に配流となったが、ある人が近年豊後に下り、忠直公の御廟所を拝した。
海端に御石塔の辺瑞籠を結び、里人は神として崇め奉っていたそうだ。
里人は「(将軍家につながる方でありながら)なぜ御代参もないのだろう?」と申していたそうだ。



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「続片聾記」から「忠直公御乱行の事」

2022年04月04日 19:02

426 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/04/03(日) 20:46:46.65 ID:1Ul4dzbi
続片聾記」から「忠直公御乱行の事」

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4468.html
とだいたいのあらすじは同じで
松平忠直がある時天守に登ると美人の絵姿が風に舞って忠直の所に来た。
その美人に一目惚れした忠直は家臣にこれとそっくりな美人を探せと命じたところ、関ヶ原におむにという女がいたため、
一国にも替え難い美しさ、ということで「一国」と名づけた。
しかしこの女は罪人が首を刎ねられるのを見ると悦んだため、忠直は死罪に当たらないような者でも一国の前で首を刎ね、気に入らない小姓や家臣も死罪とした。
そのうち首を刎ねるだけでは飽き足らず、平たい石で人の天窓(あたま)を叩き割る、白洲で磔にする、妊婦の腹を裂く、といった悪行を重ねた。
これに対して眉を顰めた、秀康公から仕えている武士をも死罪としたため、家臣たちは毎朝家を立つ時は最期の盃をかわして登城するようになった。

427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/04/03(日) 20:48:52.87 ID:1Ul4dzbi
忠直の家臣に縣茂左衛門という者がいた。昔年大坂の陣で忠直に供をし、城中に入った十七騎の一人であった。
ある雨の夜、草履取りを供にして歩いていると、向こうから忠直公の駕籠が来たためあわてて平伏したが、
忠直公は「茂左衛門、供をせよ」と言ってきた。
茂左衛門は今度は自分が斬られるのか、と覚悟を決めた。
そのまま城中に行き、白洲に入ったため、茂左衛門は「もはや死は逃れられぬ」といよいよ覚悟した。
白洲は月明かりに照らされ、そこには老若男女の死骸が三十人ほど山のように積み重なっていた。
そのほか死骸がかけられた磔が林立していた。
茂左衛門が観念したところで、忠直公が「からめたる奴原を一々斬り捨て、我が慰みとせよ!」
と言ったため、茂左衛門は「案に相違し、身の逃れる嬉しさよ」とむごいことを思いつつ、連れられてきた二、三人の首を切った。
その後は忠直公に命じられるまま、あるいは袈裟懸けに、あるいは打首、と二十七人を斬った。
この褒美に忠直公から刀を授けられ、虎口を逃れた気持ちで城を出て家に帰った。
すると念仏が仏間から聞こえてきたため、茂左衛門が何があったのか聞くと、親も弟も妹も涙を流しながら
「茂左衛門が忠直公に斬られたと思い念仏を唱えていたのです」と答えた。
茂左衛門も自分の罪業のあまりの深さに恐ろしくなり、後に隠居して道甫居士と号したという。
かれから直に聞いた物語をここに記す。