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重ねを厚く、大平に御打たせなさり

2019年08月26日 19:36

158 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/08/25(日) 18:02:06.81 ID:lxfhKvwH
ある時に信長公は御成敗人(原注:信長の舎弟・武蔵(織田信勝)という)を仰せられた。仕手
(刺客)は討ち損じて(原注:3人に仰せ付けたが、討ち損じたという)かの者が逃げるのを、
廊下で勝入様(池田恒興)が刺し殺しなさった。

その後、(恒興は)御家来どもに御物語りされ、「脇差は何が何でも手強きものを用いるべし」
と仰せられ、前述の時は薄き御脇差で、ひわひわして(細く弱々しい様)御難儀であったとして、
その後に新身を大道(刀工の名)に重ねを厚く、大平(大平造)に御打たせなさり、御陣刀に御
用いとなられた。

御討死の時まで御差しになられ、今は永井家にあるはずである。

――『烈公間話』



159 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/08/27(火) 12:56:02.40 ID:lqWpBlnz
まあ実際使うのは脇差の方かもしれんな

160 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/08/27(火) 13:19:00.08 ID:4VVq4NdH
上意討ちされても脇差でなら反撃してもいいとか面白い決まりあるよね
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滝川雄利は安治を謀って

2016年10月26日 10:12

275 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/25(火) 22:59:30.30 ID:9xpVU5sN
天正12年、織田信長の二男、信雄の家臣である滝川雄利の子を、羽柴秀吉は人質に取り、
脇坂安治に預けた。この後、織田信勝と秀吉は交戦を始めた。滝川雄利は安治を謀って
人質を取り返そうと、偽って『あの子の母が重病に陥りました。どうか対面させてやりたいのです。』と
少しの間、暇を頂くことを願った。

安治はこれを偽りと思わず、親子の愛を憐れみ、私的に暇を許してしまった。
すると滝川雄利父子は伊賀国に逃走し、上野城に籠った。
秀吉は滝川雄利が伊賀上野城に入ったと聞いて、安治に人質のことを尋ねた。
安治は、人質を取られた有様を、ありのままに答えた。

これを聞いて秀吉は激怒した。安治は鬱憤を抱え
「私が伊賀に赴き、滝川父子が籠っている上野城を攻めて、そこで討ち死にいたします!」
そう申し上げた。
しかし秀吉はなおも腹を立てて

「お前のような小身が、滝川父子を攻め取れるものか!さては滝川に一味し、私に謀反を
するつもりか!?」

これを聞いて安治は涙を流し
「主君の厚恩を忘れ、叛逆した滝川に与する事などありましょうか!」と、自らの母親を人質として
残し、主従20騎にて笠木より伊賀に入った。そして伊賀国の兵に触れ回った

『羽柴秀吉の使にて滝川父子を討ち取る。味方を仕り、軍忠ある者には本領を安堵し、城中の人質も
返還しよう。』

こう云って国侍たちを一味させ、夜中、密かに上野城を取り巻き、その夜のうちに攻め立てこれを取った。
滝川父子は伊勢へと逐電した。

この旨を秀吉に注進すると、秀吉は御機嫌にて、はじめに山岡美濃守を使いとしてその戦功を労り、
後に増田長盛を使いとして、「国の事、堅固に仕るべし」と伝えた。

(脇坂記)

脇坂安治が、伊賀上野城を攻め落としたお話。




信長の尾張掌握と美濃攻めについて

2014年03月12日 18:58

728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/12(水) 00:05:54.09 ID:zwcXgUzi
彼(織田信長)の父(信秀)が尾張で瀕死になった時、彼は父の生命について祈祷することを仏僧らに
願い、父が病気から回復するかどうか尋ねた。彼らが回復するであろうと保証した。しかるに父は数日後に
世を去った。そこで信長は仏僧らをある寺院に監禁し、外から戸を閉め
「貴僧らは父の健康について虚偽を申し立てた。今や自らの生命に付き更に念を入れて偶像に祈るが良い」
と言って、彼らを外から包囲したあと、彼らのうち数人を射殺させた。

彼は好戦的で傲慢不遜であったので、兄が父の相続において自分に優先することが耐えられなかった。
そこで目的を果たすため病気を装って数日床につき、兄が見舞いに来ないと母に訴えた。
兄は信長の欺瞞を恐れてそうしなかったのであるが、信長からの激しい催促により終に訪問した。
そのさい、彼は脈を診てもらうために左手を差し出し、兄がそれを取った時、彼は大いなる迅速さで
既に用意してあった短刀を掴み、その場で直ちに兄を殺した。
(これは信長による弟信勝の暗殺についての事であろう)

彼は織田家を掌握した後、同国の3分の1を所有する他の一人の殿に対して戦を行い、容易に彼を追放して
尾張国の絶対君主となった。(斯波義銀追放のことか)

だが彼は隣国をも支配しようと欲していたので、突如、尾張に接する美濃国に対する攻撃を遅滞なく準備した。
彼が陣営を整えると、美濃国主(斎藤龍興)も同様に成した。そこで彼は戦略を用いた。

彼は夜間、家臣の内ほぼ半ばを退かせ、大いなる夜陰に乗じて、敵を7,8里側面から迂回し、彼らを
密かに美濃国主の背後に配置し、その際、敵方の家来の印のついた旗を持たせておいた。
美濃国主は眼前の信長の陣営を密かに偵察させ、自分の軍勢がはるかに優勢であることを聞いて攻撃した。
しかるに彼が攻撃を開始した時、信長も美濃国主の軍勢の背後に移動していた。
敵のこの動きから彼の背後に生じうる事態について、美濃国主はいささかも懸念しておらず、むしろ彼は
後ろの軍勢を見て、味方の旗を認め非常に喜び、目前の敵を攻撃することにのみいっそう夢中になった。

ところが両軍が刃を交え始めた頃、後ろから突如信長が現れ美濃国主を挟撃し、その多数の部下を殺し
軍勢に打撃を与えた後、直ちに美濃の主城(稲葉山城)へ突進し、かくて全ては難なく信長に帰伏した。
こうして彼は美濃国を獲得したのである。

ところが美濃国主は非常に苦労して騎馬で従った数名の僅かな貴人とともに脱出し、都に逃れ、
同所も安全でないと見ると、日本人すべての追放者にとって避難所である堺に赴いた。

ルイス・フロイス『日本史』)

フロイスの日本史に見える、信長の尾張掌握と美濃攻めについての話である。




729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/12(水) 00:49:01.65 ID:hQDTSnkr
親父生き返らせられなかった僧を殺した話は日本史が出展だったんだ?
信長の残忍さと神仏に対するニヒルな考え方を強調させる江戸期辺りの造作かと思ってたよ

730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/12(水) 00:50:33.10 ID:hTWr+4y/
信憑性はともかく具体的な美濃攻め近時代史料あったのか。フロイスとは盲点だった

731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/12(水) 02:04:28.94 ID:4NuqqxYq
信長公記と中島家文書ぐらいかなあ、美濃攻めで使い物になるのは

732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/12(水) 03:42:43.39 ID:+plAK+O6
>>728
「射殺」というのは、弓矢なのか鉄砲なのだろうか?w

ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4485.html
だと、火をつけて殺したとあるので、
「射殺」が原文ではどういう単語だったか気になるところだな

733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/12(水) 08:06:38.24 ID:G+ra/FOi
火矢でしょ、たかが僧侶に鉄砲使うと思う?
ゴキブリ殺すのに火炎放射器つかうようなもん

734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/12(水) 10:40:42.78 ID:n9DkdTvR
ひゃー

735 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/12(水) 13:17:20.40 ID:9wEctfnR
【審議中】
    |∧∧|       (( ) )   (( ) )  ((⌒ )
 __(;゚Д゚)___   (( ) )   (( ⌒ )  (( ) )
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    |.|=.=.||       ゝ人ノ  ゝ火ノ   ゝ人ノ
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                  `u-u'. `u-u'


736 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/13(木) 09:00:44.06 ID:F7HlC8Qi
>>734-735
最初意味が分からなかったw

織田上心は

2013年05月24日 19:52

695 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/24(金) 07:53:37.69 ID:BhoaUw4r
織田上心は大坂天満で秀頼公から数年間、御扶持米をお受け取りになられていたが
乱世の頃から家康様へ御一味されていたので北野へ引かれあそぱしました。

宇多にて五万石を遣わされ、夏の陣には出陣され大坂備前島へ攻め寄せられました。

(長澤聞書)

信雄さんのちょっと当て字が多すぎ・・・いやちょっと薄情なお話。




696 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/24(金) 10:44:28.65 ID:hgPphfC3
上申さんでもいいかもなぁ。