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一生の期はここにあり

2018年09月06日 21:10

97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/06(木) 07:40:35.46 ID:4nhJDA70
織田有楽の子、河内守(長孝)の所へ出入りする浪人に鈴木道休という者があり、彼は以前には
侍の役も勤めた者にして、大名貴人であっても侮らせないものがあった。

或る時、河内守の所にて人々寄り合い咄の有った時、河内守弟の左門(頼長)が鼓を鳴らした。
道休はそれを褒めたのだが、その褒め方が気に入らなかったのか、左門は鼓を道休に投げつけた。

道休もさしもの者故、その場にて左門を討ち果たそうとしたが、大勢が押し留めあつかいとなり、
その場は治められた。

道休はこの時不首尾に終わったため、返報の機会を待っていたが、その冬、大阪冬の陣が起こった。
織田左門は大阪城へ向かい、道休はこれをつけた。しかし左門は大名故に、道中で襲撃すること
叶わなかった。ここに於いて道休は思い究めた

「私は既に年老いている。もはや左門を討つ機会はないだろう。明日は左門が城中に入ってしまう
以上、一生の期はここにあり!」

そう言って、枚方において切腹した。

その後、織田左門はどう思ったのか、無頼漢と成り、冬の間城中に於いて戯け者となって、牛の角に
金銀の箔を貼り、自身はその牛に乗り、遊女にその牛を引かせるなどした。故に城より追い出され、
左門は入道して雲生寺と号して、武士を止めたという。

(士談)



98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/06(木) 10:15:29.07 ID:Ww/zjHKh
かぶいてるな
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村正伝説(関ヶ原編)

2011年08月14日 23:02

407 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/14(日) 19:53:06.93 ID:tkOldn/O
村正伝説(関ヶ原編)

慶長5年(1600年)9月、関ヶ原の戦いの時の事。
東軍に属して戦った織田有楽斎の長男、織田長孝は西軍の将である戸田勝成の頭部を兜ごと槍で突き刺し、
討ち取るという功を挙げた。

戦後にそれを聞いた家康は長孝が戸田を討ち取った槍を検分しようと槍を見せるように言ったが、
長孝の家臣が槍鞘を抜き放った時に誤って手を滑らせてしまう。
取り落とされた槍は家康の指を掠め、わずかに傷をつけるとそのまま地面に転がり落ちた。

家康は思う所あって槍の作を尋ねた。それに長孝は「村正」の作であると答える。
すると家康はひどく不快そうな表情を浮かべ、怒りながら長孝の前から立ち去った。
その後で徳川家にまつわる村正の因縁を知った長孝は功をもたらした村正の槍を躊躇う事なく
へし折ってしまったという。



村正伝説の中でも知名度の低いやつを一つ




408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/14(日) 20:53:09.24 ID:V+YrYcPM
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4133.html

こっちの話だと不快になるどころか上機嫌だなw