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北陸道の大蛇

2021年10月26日 18:13

738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/10/26(火) 16:16:39.66 ID:7icELIdo
佐々内蔵助(成政)殿が越中を領せられ、国が繁盛するようにと思われて北陸道の道を
作られたのだが、この街道の半ばに両方が山の深い淵があり、谷底において三十間(約55メートル)
ばかりあると思われ、下は青淵にて非常に深いと見えた。内蔵助殿はこれに大橋を架けて往来の
旅人を心安く通さんと考えられていた所に、その土地の住人が申すには

「昔よりこの淵には大蛇が棲んでおり、必ず一年に二、三人づつ取らぬ年は有りません。
その事を諸国の者達も聞き伝え、この街道を取りません。」

「それは本当なのか」

「この事は近年に始まったことではなく、昔より続いてきた事です。」

内蔵助殿はこれを聞くと怒った
「何という憎き奴だろうか!昔はそれをやっていたとしても、今この地は私の領分である。
どうして往還の妨げを成す必要があるのか。ならば急ぎ退けん!」

そしてこの淵の傍に井楼を上げて石火矢を仕掛け人数を寄せて、内蔵助殿は申された

「いかに淵の底なる大蛇、物を聞け!我はこの国の主としてこの街道を心安く行き来し、旅人を
通そうと思うに、汝はこの淵に在って毎年人を喰む事、奇っ怪である!急ぎこの淵より何処でも
罷り退くように。退かなければ悪しかるべし、先ず手並みの程を汝に見せよう!」

そう言うと石火矢を天地も動くばかりに淵の底へと撃たれた。すると淵は逆波立って振動し、
俄に霧が降りて暗闇と成ったが、淵の底より一直線に辰巳の方へ十六、七町(約1800メートル)飛んで
山の尾根の先に落ちると、大地振動してその場所は五十間四方の深々とした淵と成り、そして大蛇は
そこに棲んだ。これによって先の淵には橋が架けられ、心安く行き来が出来るように成った。

まことに夥しき大蛇と雖も道理によって折れたのであり、また石火矢を恐れたのであろう。
不思議にぞ覚える。

義残後覚

佐々成政の大蛇退治
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6712.html

おそらくこれの元ネタですね



739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/10/26(火) 16:28:43.21 ID:Tap1+08u
佐々成政と大蛇といえば
佐々成政の居城の近くのあまが池に大蛇が出るというので
信長が「池の水ぜんぶ抜く」作戦を実行して大蛇の不在を確かめてたっけ

740 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/10/26(火) 16:47:42.64 ID:oNvdwBUh
池の水を抜くテレビ企画すっかり振るわなくなったな
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秀吉公御功宮にて御首途の事

2021年05月18日 16:33

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/05/18(火) 00:16:03.82 ID:lzB+YcA5
秀吉公御功宮(御香宮神社)にて御首途の事

高麗国、その他諸方への手配りが定まったため、秀吉公は肥前国名護屋へ御出陣あるべき吉日を、
若杉金ノ太夫に仰せ付けられると、文禄元年三月朔日が最上の吉日と申すに寄って、その前日に
太閤は、伏見御功の宮にて、御首途あるべしとて、諸臣を御供にて御参詣された。
その威儀まことに厳重であり、神主もかねて承っていたため、神前を飾り座席を設け、御前に
伺候した。

太閤は神前の向かわせられ、御立願の事ども、信心肝心に徹している様子であった。
その後仰せられたことには「一は当社の神主なるか」、
そうでございますと申すと

「私は本朝の武将として、四海静謐の功を立て、万民無事の政法をまもる志のみならず、
高域(高麗)を退治して本朝の威を一天にかかげんと思うのだ。
しかれば、当社は往時、三韓を罰し給い、今に至るまで我が朝は無為である。
その旧例を引いて、当社にて首途をなり、心のままに従えるにおいては、帰陣の後一門造営いたす
べきぞや」と仰せられた。

一殿は承って、「御諚の如く、神功皇后の高麗、新羅、百済国まで威を輝かし給い、その後、御功の
神社と顕れ、長く本朝の守護神たるべしとの御誓いであれば、どうして功が無いという事があるでしょうか。
人の国より我が国、他の人よりも我が人を守らんとの御宣託なれば、この度の弓箭、御利運疑いあるべからず。
御頼もしく思し召し候へ」

と申されると、太閤大いに御感悦あって、打鮑にて三木を三々九と祝わせ給いて、その後諸臣へ
下された、かくて御盃も収まられると、一殿御前をつっと立たれて、神前に立てた金帛を持って、
秀吉公を三度祓い奉ると、太閤は如何思し召されたのか、笑われながら

「一は心も賢く見目よき女房かな。我帰陣の後、いよいよ見目をよくして取らすだろう。
丹誠を一層励むように。」と仰せに成られると、人々興し奉り、御機嫌よく還御された。

その後、住吉大明神へも御立願の旨、並びに高域追罰の擁護丹誠を一層励むようにと仰せになられた
ために、神主承って、「今度三韓御退治の事、そのかみ、当社大明神は神功皇后より左将軍を賜らせられ、
夷狄を御心のままに滅ぼし、今に至って国土安全であります。御祈念深重においては、どうして加護が
虚しいということがあるでしょうか。一心誠を励み、丹誠油断あるべからず。」との内容を
返答申し上げた。

義残後覚



高麗亡国すべき瑞相の事

2021年05月16日 16:38

718 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/05/16(日) 16:24:47.63 ID:o0DuMVtq
高麗亡国すべき瑞相の事

朝鮮国にて、東束という所の住人で、(朝鮮の役で)日本に捕虜として送られ、後に剃髪して
医師となった人が有った、文才有る人であったが、彼曰く

「いずれも高麗滅びること、時節到来と見えたり。全て人の業ではない。
その仔細は、この三年前に表示があった。

釜山浦より三里ばかり奥に、仙庵という山があり、この山に向かって、日本よりカラスが大量に
渡ってきた。空も見えぬほどに群がり、この現象は十四,五日の間引き続いた。
これは怪しく珍しき事であると、人々明け暮れにこれを見ていたが、これに対し、高麗のカラスが
雲霞のごとく群がって、この仙庵を襲撃し、日本のカラスと凄まじい食い合いをした。

これらは死期を知るが如くに戦った。或いは眼を突き潰され、胃袋を蹴り込まれ、或いは羽ふしを折られ、
蹴爪を損し、そうして死ぬカラスは、幾千万と数が知れなかった。
これを人々が寄って見た所、死んだカラスは皆々、朝鮮国のカラスであった。
カラスたちは十日ばかり戦った果てに、辰巳を指して皆々落ちていった。

諸人大いに怪しみて、この事を帝に奏聞した。そこで高位の大臣たちが集まって詮議あり、
とにかく博士に考えさせよとして、相応の人を召して占わせた。
それから暫くあって曰く、

「占文を考えるに、そもそも諸鳥が多いと言えども、カラスは日を司る鳥で、また扶桑国を日の本と
書きます。であれば、高域(高麗)を滅ぼさんと志すによって、先ずカラスが渡って、高麗国の武勇を
確認したのでしょう。今後、遅くとも五年、近ければ三年の内に干戈動揺の巷となるべきこと、占文の
表歴に顕れました。御慎み軽からざるよし。」

と奏聞すると、帝を始め奉り、左右の大臣「であれば、釜山浦に要害を拵えるべし。」とて、
大石を寄せ石垣を丈夫に取って、築地を突き矢倉をあげ、攻具を備え、水際の方に牛馬の尾の毛を取って
大綱に打たせ、乱杭に流しかけて、夜昼この港を守らせた。
さて又、鳳城の普請をすべしとて、人数を寄せて要害いみじく拵えた。

その他、所々のつまり、つまりをも普請を仰せ付けられて、かねてこういった用意をされていたにも
かかわらず、時節の滅ぼす所であったので、手立て、用心も当たらず、さしもの遠く久しく豊かで
めでたかりし(朝鮮)八州も、日本のために滅ぼされて、親類妻子散り散りに成りはてた。
旧里を思い出すと血の涙も出る思いで、肝に銘じて悲しいことだ。」

と、語った。

義残後覚