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芥川孫十郎の裏切り

2020年06月01日 18:13

98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/06/01(月) 13:32:21.62 ID:oLIH1Ibq
細川晴元入道は、元来愚蒙にして心軽き人物である故、今度の是非無く三好長慶と将軍・義輝の和睦が成立し、
心ならずも遁世者と成ったために、その心安からず、またかの家の浪人共は身の置所も無いままに、猶も
野心を含み、ややもすれば一揆を企て、騒動更に止むこと無かった。

そのような中、三好長慶はこの年、近国の乱を鎮めんとして、天文二十一年(1552)四月二十五日、自身
五千余騎を率いて丹波国へ発向した。摂州上下郡の者共も同じく丹州へ陣立てし、当国の波多野弥兵衛尉晴通
の館である屋上の城を攻めた。

ところが、如何したのか三好長慶の妹聟である芥川孫十郎は俄に心変りして、摂州の池田出羽守、小川某などと
語らい、羽多野と内通、一味して長慶への謀反を企て、剰え晴元方の諸浪人を語らい集め、晴元入道をも
一方の将に立てんと催した。

こうして、明日の合戦で裏切りを行い、長慶とその執事である松永弾正(久秀)をも討ち取ろうと企んだが、
猶も味方を語らんと、摂州の住人である有馬源次郎重則を頼んだ所、有馬は元より無二の長慶の味方であり、
すぐにこの企てを長慶に告げた。長慶は驚き「さては味方無勢なり。明日の軍は叶わじ」と、
同五月二十三日の夜、たちまち軍を引き払って密かに摂州の有馬郡に引き取った。
このため逆心の者共は手を空しくして屋上城中には引き入り後悔した。

このように、晴元方の浪人共は騒動し、また晴元入道も未だ野心を含めているという様々の雑説があり、
長慶は思慮を廻らせて、晴元の嫡男である聡明丸を京都に置いたままにしては敵徒に奪い取られ、後難出来る事
有るべしと考え、同六月三日、聡明丸を京都より鳥羽まで出し、船に乗せて川を通り、摂州の尼崎へ
差し下し、同五日、越水城へ入れ置き、ここにおいて養育し、聡明丸が成長するのを待った。

續應仁後記

芥川孫十郎の裏切りについて



99 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/06/01(月) 13:41:06.73 ID:HA9CZNui
昨日は妹婿の芥川が今日は敵、まこと畿内情勢は複雑怪奇
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