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花房助兵衛職之、友人への書状

2011年12月18日 22:01

67 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/18(日) 15:53:40.71 ID:2PhTy4Yv
主君、宇喜多秀家の怒りをかって殺されそうになった花房助兵衛職之は、
家康の仲裁でお預けとなった佐竹義宣の領地から、友人に手紙を送った。

「このあいだ御状をいただきましたが、片便につきお知らせが遅くなってしまいました。
 拙者は思いがけずこちら(常陸)に罷り下り、遠国に住むことになりました。
 罷り退くことになった事の次第はきっとお聞き及びでしょう。
 これ以上生きても仕方のない身ではありますが、是非もありません。
 しかしながら、上様が御慈悲で少々堪忍料を仰せ付けられ、かたじけなき次第です。
 
 ああ、今一度お目にかかりたい!(哀々今一度懸御目度念願迄候)
 御事が親しい仲と思し召されてご連絡をくださったのは本当にありがたい。
 できたら、隆景様にお取り成しをお頼みしたいと思っております。
 
 道三(曲直瀬玄朔、秀次事件で連座して佐竹に預けられた)もこちらに逗留しています。
 拙者が居住しているのはいかにも人通りの絶えた山中ですので、
 折につけ道三と行き来して、寂しく語り合っています。どうかお察しください。
 せがれ(職則)も連れてきており、一緒にいます。ご承知おきを。
 それではまた。恐惶謹言
 
  広家様へ      花房助兵衛尉入道 道恵より」(吉川家文書)

秀吉に悪態をつき、秀家に果敢に諫言し、後には家康にも噛み付いた助兵衛さんだって
虚しかったり人恋しかったり友への懐かしさに胸震わせることもあるんだね。

68 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/18(日) 16:24:06.14 ID:2PhTy4Yv
>>67の余談ですが。
助兵衛さんは黒田長政とも仲が良かったようで、
同文書を見る限りでも、長政から広家宛の自筆書状に
「花助兵と談合します。私のところでは人が多いから、夜に助兵のところに来てください」
てな感じで登場している。時期が不明なのが惜しい。
このメンツでいったい何の密談をしてたのか激しく気になる。
豊臣政権下で築かれた武将同士の横のつながりって面白そうだ。




69 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/18(日) 16:48:56.73 ID:23WqZsF8
>67
また「広家様」か
名前を書くのさして珍しくないのか
それとも広家だけの現象なのか、どっちだ

70 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/18(日) 16:55:18.81 ID:PyQIR91i
>>69
珍しくないよ
口に出して呼ぶのは憚られるが
書状ならOKって感覚なのかな

71 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/18(日) 18:52:12.47 ID:7NMiqQFQ
諱って文書や書類用の呼び名なん?

72 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/18(日) 19:50:43.33 ID:xGSQNhVv
書状に諱を使うのは、現代でいう欧米でファーストネームを呼ぶような、親しみを込めた表現。
当然ある程度以上親しい人でないと、使うのははばかられるし、逆にある程度以上親しいのに
諱を使わないのは、ちょっと空々しいと取られる。

書状も出す人それぞれで、色々と空気を読んだ表現を使わないといけないのだ。


73 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/18(日) 20:16:03.81 ID:8efod3Ub
広家って吉川広家の事か
>>68は助兵衛がまだ上方にいる時期って事だろうから1595年以前かな?
文禄と慶長の間くらい?
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