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信長明後日爰元ヘ下向也、如何ゞゞ

2022年04月01日 18:41

114 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/04/01(金) 17:06:42.17 ID:wHBWm+ci
天正二年
三月二十五日
織田信長が明後日こちら(奈良)に来るという。一体何事なのか
(信長明後日爰元ヘ下向也、如何ゞゞ)

二十七日
信長が多聞城に来た。人数は三千余りという。そして配下の者達に、奈良中の僧坊以下への陣取りを停止した。
宿所を縁を以て借りることも禁止した。一段の善政の下知に、奈良の上下は安堵した。

大乗院の新御所が、宇治まで昨日、迎えに出られたという。当国衆も悉く迎えに上がった。
(春日大社の)神人百人、地下衆は一町より十人づつ、肩衣・袴姿にて木津まで迎えに出た。
六方衆(興福寺末寺衆徒)少々が般若寺まで、公人(興福寺の下級職員)は専ら供の者を付けて
迎えに出た。事々しい事であった。大雨が降っていた。

二十八日
東大寺の蘭奢待が、信長へ切り取られた。五つ切り取り、再び三庫(三蔵)へ返し入れられた。その他のものは
取り出されることはなかった。勅使は三人。三庫に返されると再び勅符が付けられ封じられた。
蘭奢待全体の長さは五尺、直径一尺ほどの木であるという。
もう一つの香木である紅沈(紅沈香)も同じく取り出そうとしたが、これは切り取ることについて先規が無い
ということで返された。こちらは三尺あまりの沈香であるという。

三庫へ、東大寺満寺の衆が、法眼以下まで出仕しこれを見た。
蘭奢待は大仏師が切ったという。

四月一日
信長は今朝早々に帰った。先ず以て珍重である。
(信長今朝早々被帰、先以珍重ゞゞ

多聞院日記

多聞院日記から信長の蘭奢待切り取りの様子。奈良の人たちに対しても相当気を使っていた感じがしますね。



115 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/04/01(金) 17:22:09.94 ID:dU0uKnNY
三好と比較させて評判を上げようとしたんだろ
上洛の時にもやった使い古した手だよ
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