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鈴張

2018年10月14日 18:14

313 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/10/14(日) 14:44:33.30 ID:EdAdicSZ
その昔、飯錫の里(広島市安佐北区飯室、鈴張の周辺)は砂鉄がよく取れこの地には腕の良い鍛治職人が沢山いたそうだ。
その中に茂左衛門と言う鈴作りの名人が居たが、茂左衛門の作る鈴は評判が良く彼が作る鈴を馬に付けて戦をすると負ける事が無いと言う評判だった。

ある時、茂左衛門の鍛冶場へ200頭の馬をつれた立派な殿様の行列がやってきた。
 殿様は茂左衛門に鈴をできるだけ沢山作ってほしいと頼んで馬に載せてきた金を前金として渡し、少なければまだやろうと言ったそうだ。
 その代わり、これより三年間は他所の殿様が鈴を頼みこんでも一つも売るなと命じて鍛冶場を後にした。

それからと言うもの茂左衛門は朝早くから夜遅くまで鍛冶場から槌の音が絶える間もないほどに働いて多くの鈴を作った。

三年後、殿様の行列が再び茂左衛門の鍛冶場を訪れた。殿様はこの三年、茂左衛門が誰にも鈴を売らなかった事を聞くと満足して鈴を受け取り馬に付けさせ、礼金を払って鍛冶場を後にしようとした。

その時、殿様は茂左衛門を「こちらに来い」と手招きして呼び寄せた。
茂左衛門が前に出て膝をつき首を垂れた瞬間殿様は刀を抜くと茂左衛門の首を切り落としてしまった。
他の殿様に鈴を売られぬ様に茂左衛門を殺してしまったのだ。

しばらくして殿様は何千騎と言う味方の馬に茂左衛門の作った鈴を付け、意気揚々と敵対する殿様の領地へ攻め入った。

しかし、茂左衛門の作った鈴は鳴る事なく殿様の軍は散々に打ち負かされてしまったそうだ。

今でも大晦日の丑三つ時になると茂左衛門の鍛冶屋敷跡からシャーンとそりゃあきれいな鈴の音が聞こえてくるという。

飯錫の里が鈴張と呼ばれる様になったのは昔、茂左衛門のような鈴職人が沢山居たからといわれる。

(広島県の民話)

この戦に敗れたお殿様は毛利・吉川連合軍に有田中井手の合戦で敗れて戦死した、武田元繁では無いかと言われる



314 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/14(日) 17:38:48.03 ID:ocNGDShA
>>313
鈴の音でそんなに士気とか変わるんだろうか、むしろないほうが安定しそう。

315 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/10/14(日) 18:15:31.62 ID:LpAKMWMr
>>314
装飾品でしかないんだろうけど、華美に見えたり味方で統一して装備してたら士気が上がるとか、敵味方の区別をつける為に役立ったとか?
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