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“勝千代殿”

2020年05月05日 16:53

146 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/05/05(火) 02:24:52.45 ID:iO/doWIk
一、それ、信玄公幼き時の御名を勝千代殿と申す。子細は御父の信虎公28歳の時、駿河のくしま
  (福島)という武士は今川殿を軽視し、結果甲州を取って己の国に仕らんと遠駿の人数を引き
  連れ甲州飯田河原まで来たり、しかも65日余り陣を張っていた。

  その時、甲州御一家の衆はことごとく身構えをして、「武田の御家はもはや滅却するだろう」
  と仕るところに、信虎公の家老・荻原常陸守(常陸介昌勝)と申す大剛の武士の武略をもって、
  信虎公は勝利を得給う。

  敵の大将のくしまを討ち取りなさったその日のその時に誕生なさった故、“勝千代殿”と信玄
  公に幼名を付け申す。すなわちその時の合戦は勝千代殿の合戦である。武田信虎公の家老の沙
  汰なり。勝千代殿誕生前に諸々の不思議が信州諏訪明神より告げ来たるという。

一、荻原常陸守は信虎公御幼少の時に弓矢の指南申し、信玄公御幼稚の時分も弓矢の物語りを申し
  上げられた。信玄公12,3歳の御時分に常陸守は70余歳で死去なり。

――『甲陽軍鑑



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