ところが、却って本知行の3倍

2016年09月17日 20:16

85 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/16(金) 21:05:01.80 ID:SRMLoQW2
天正18年、徳川家康の関東入国にあたり、家康は彦坂元正を派遣して菅沼定盈にその所領分限を尋ねた。

その頃定盈は東三河でも2,3を争う大身であったのだが、課役の重くなるのを恐れ、彦坂元正と相談の上
所領三千貫(三千貫とあるが三千石の誤りか)と言上した。
ところが、却って本知行の3倍、一万石を賜り、上野国阿保(一節に阿布)に移った。

菅沼定盈は阿保において隠居し、家督を嫡子新八郎定仍に譲った後、定仍に与えられた伊勢長島において
慶長九年七月十八日、六三歳にて逝去した。


(野田戦記)

軍役が嫌で所領少なめに申告したらその三倍もらっちゃったでござるの巻



86 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/16(金) 22:41:53.10 ID:3G+Fzqpe
三千貫なら一万石でだいたい合ってる気もする
スポンサーサイト

村松芳休の笛

2016年09月16日 14:55

81 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/16(金) 00:06:48.75 ID:SRMLoQW2
武田信玄に攻められていた三河野田城に籠城する者の中に、村松芳休(一節に法休)という者があった。
彼は伊勢国山田の出身で、笛の名人(異名を小笛芳休といった)であった。

この者、武田軍に包囲された野田城にあって、毎夜櫓に上って笛を吹いた。寄せ手の諸将も
これを聞いて、大いに感じ入ったと云う。
ある夜、芳休が例のごとく笛を吹き、その妙を極めた。この時武田信玄が陣廻りをしていて
この笛の音を聞き

「優しくも、明日を限りと覚悟して吹いているように感じる。しかし当世の笛の上手の中で、
これに過ぎる者があろうか。」

そう語ると、矢文を城中に射込ませた。その上書きには『笛の殿へ参る』と書かれていた。
その内容はどのようなものであったか、今に伝わっていない。きっと笛の妙技を賞美したのであろう。

菅沼家譜によると、この村松芳休が毎夜笛を吹き、敵もこれに聞き入る中、2月9日、竹を立て
紙を張り巡らせた中で堀端にて笛を聞く者が居た。これを鳥居三左衛門が訝り、この竹を目印にして
鉄砲を仕掛けおいた。

その夜、芳休がまた笛を吹くと、あの竹のあたりに人声が聞こえた。鳥居は敵が笛の音を聞きに
現れたことを知って、矢場より鉄砲を撃った。目当ての竹のあたりで、「大将が撃たれた!」と
叫ぶ声が上がり、敵陣は暫くの間驚動した。この時の鉄砲は、信玄に当たったのだと言い伝わる。

(野田戦記)



82 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/16(金) 10:12:01.06 ID:NIv0BKyK
尼子政久「無粋なやつめ」

83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/16(金) 11:09:41.21 ID:BKFh2dMD
三村家親「まったくだぜ」

十三匁の大鉄砲で

2016年09月14日 11:20

184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/13(火) 22:35:22.83 ID:hfbveeZ4
武田信玄による三河野田城攻めの最中、野田城の者達が会合していた時に、
戯れに「敵の陣屋を焼いて、あいつらが慌ててる所を見たいなあ。」という発言が有った。
ここに、城主菅沼定盈の下僕(草履取り)に喜徳という水練の達人が有った。
この話を聞いていた喜徳はある夜、闇に乗じて忍び出て、桑淵の堀をやすやすと泳ぎ越えると
城外に出て、密かに敵の陣小屋に火を投げ掛けた。

この時風激しく、見る見るうちに假屋百軒あまりを焼き払った。
敵は「それ、夜討ちだ!」と上に下に騒動した。

この時、野田城には鉄砲の名人、鳥居半四郎という者があった。彼は徳川家康
浜松より、籠城前に送られた十三匁の大鉄砲を装備していた。彼は武田の陣が火災にて
おおいに騒動しているのを見ると、城中よりこの鉄砲にて敵陣に向け、誰かは解らぬが
大将分と思しき者を目掛けて撃った。
この語、敵の陣は暫くの間大騒ぎと成った。
後で聞こえた所によると、この時の弾丸が、武田信玄の股に当たったのだという。

(野田戦記)




菅沼”柄漏”

2016年09月13日 21:22

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/12(月) 21:04:38.50 ID:LvRoFsZ9
野田城主・菅沼定盈の一族に、菅沼柄漏(えもり)という人物が有ったが、彼は本来「弥太郎」という
名であった。

ある年の正月二日、柄漏は定盈に従って岡崎城に参った。この時の御謡初めの酒宴があり、
ここで徳川家康の前で一曲を奏し、柄漏は立って舞った

『指す傘は、えもりはせまい』

という謡であった。家康はこれを大いに気に入ったか、その後彼をいつも”柄漏”と呼んだ。
これにより、彼は本名弥太郎を改め、柄漏と称した。以後その子孫はこの名を相続している。
元祖柄漏は武田信玄の野田城攻めの時には、既に隠居しており籠城しなかった。
二代目柄漏は武田軍の銃撃により戦死した。

(野田戦記)

まだあった権現様命名シリーズ



遂に矢種が尽きて

2016年09月12日 09:29

74 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/12(月) 00:02:56.43 ID:LvRoFsZ9
三方ヶ原の戦いの後、武田信玄によって行われた野田城攻め、この戦いの中である夜、
武田方は不意に城を乗っ取ろうと寄せてきた。

野田城中ではこれに気がつくと、敵が近づくのを見計らい。弓鉄砲を一斉に放ち、近づいて
塀に取り付くものには大木を使って突き落とし、必死の防御をした。

ここに、小楠又右衛門という者が野田城南の曲輪を守っていたが、敵がそこに攻めてくるのを見ると、
彼は女房に矢櫃を持たせ、矢継ぎ早に敵に射かけた。彼は弓術の達人であり、あだ矢なく
射続けたが、遂に矢種が尽きてしまった。

ところがここで、矢櫃を持っていた又右衛門の女房(彼女は無双の大力であった)が大石を
礫のように投げ下ろした。これによって、敵には兜の鉢を打ち割られた者、或いは手足を
打ち折られた者が夥しく、慌てて引き退いたという。

(野田戦記)

敵の矢が尽きたと思ったら女ドンキーコングが居たでござるの巻



75 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/12(月) 00:11:04.55 ID:Ml1ss3zT
矢の方がましだったでござる

77 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/12(月) 17:17:18.94 ID:d/81xp/w
>>74
大石ってのが凄いなw

78 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/12(月) 18:14:36.53 ID:bVa6Ctst
巨石じゃないけど…そんなにすごいの?

79 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/13(火) 01:17:27.18 ID:Q/4NsHvX
人間の骨が折れるってことは最低でも大きめの漬物石くらいはあるな