菅沼”柄漏”

2016年09月13日 21:22

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/12(月) 21:04:38.50 ID:LvRoFsZ9
野田城主・菅沼定盈の一族に、菅沼柄漏(えもり)という人物が有ったが、彼は本来「弥太郎」という
名であった。

ある年の正月二日、柄漏は定盈に従って岡崎城に参った。この時の御謡初めの酒宴があり、
ここで徳川家康の前で一曲を奏し、柄漏は立って舞った

『指す傘は、えもりはせまい』

という謡であった。家康はこれを大いに気に入ったか、その後彼をいつも”柄漏”と呼んだ。
これにより、彼は本名弥太郎を改め、柄漏と称した。以後その子孫はこの名を相続している。
元祖柄漏は武田信玄の野田城攻めの時には、既に隠居しており籠城しなかった。
二代目柄漏は武田軍の銃撃により戦死した。

(野田戦記)

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