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天庵様が評価されたいい話?

2017年12月02日 16:47

482 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/02(土) 12:50:43.86 ID:GOvwcdD1
天庵様が評価されたいい話?
https://i.imgur.com/y8K8GlR.jpg
https://i.imgur.com/6km3PPs.jpg
y8K8GlR.jpg

6km3PPs.jpg
「信長の野望・大志」小田氏治に、固有の志と新規顔グラが付いたようです


483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/02(土) 14:24:55.78 ID:JrO/NKpY

>>482
志ってのは武将ごとの特殊能力みたいなもんか?そのままだなw

484 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/12/02(土) 15:48:02.45 ID:lswRTCY1
割とこことかのネット人気が結実した感じはあるね

486 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/02(土) 20:56:41.41 ID:ahxGdGrj
>>482
該当スレを見てるとゲーム自体は相変わらずのPKで完成みたいだね

487 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/02(土) 23:24:01.56 ID:nH2o62HC
>>482
ノブヤボの新作か?
STEAMで買おうとしたけど評価がほぼ不評でやめた

488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/03(日) 09:45:39.57 ID:6njRx29M
>>487
大志はダメ。まだ創世のほうがマシ。
もしくは天翔記を武将数を増やして改変してほしい。

489 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/03(日) 10:20:50.81 ID:rUjZUDQr
は、覇王伝を…

490 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/03(日) 11:14:53.43 ID:oaLfCx1Z
大志はスマホ対応でうっすくなったみたいやね
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『多賀谷七代記』より、菅谷さん

2010年11月09日 00:01

457 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 00:19:55 ID:FY0qh4Ex

常陸国を巡って、佐竹と小田で覇権争いをしていた頃の事。
佐竹義宣は小田氏治の息の根を止める為に、小田家の家臣に調略の手を伸ばし、
内応の約束を得る。

彼は祖父の代に氏治の祖父に取り立てられ、今や近隣に知らぬ者のない、小田家の
重臣として名を馳せていた。
彼の名を菅谷左衛門尉と言う。

佐竹家に通じた菅谷は、土浦城主・信太氏に謀反の気配があると小田氏治に讒言。
それを信じた氏治の許可を得て、信太氏(名前は書いてません。範宗か?)を宴会
に呼び出して暗殺。土浦城を自分が乗っ取ってしまう。

その後も着々と小田家の切り崩しを進める菅谷は、「佐竹の攻撃が激しいから」と
言って氏治の身柄を自分の土浦城に引き取り、片野三楽斎(太田三楽斎)&梶原政
景を初め、真壁や北条と言った小田家臣を氏治から遠ざけた。
これにより、小田家の主だった家臣はすべて氏治から離れ、佐竹家に従うようにな
ってしまったのである。

「頃合は良し」
小田家中の詳細な報告を菅谷から受け取った佐竹義宣は、氏治が籠もる土浦城に二
千の兵を率いて押し寄せる。
重臣達は去り、唯一残った菅谷左衛門尉も敵に内通している。これでは氏治に勝ち
目はない。
一揉みに押し潰され、小田家は滅亡してしまった。

小田家滅亡の後、菅谷は佐竹義宣に仕え、以前と変わらず土浦城を領していた。
しかし、菅谷の智謀と、主家を裏切った性根を警戒した義宣は、菅谷に加増を与え
ず、やがて菅谷は佐竹から徳川へと寝返る事になる。


『多賀谷七代記』より菅谷正光となっていますが、菅えもんこと菅谷政貞さんの事
だと思われ。

どうしてこうなった!?


『七代記』の小田家関連の記載には、「『天庵記』の記述と違う」「『小田記』に
はこう書いてある」という注釈がやたら大量についてます。
挙句の果てに「この本は多賀谷氏について書いた本。小田氏の事は『小田記』を読
めばいいじゃない!」と逆ギレ気味の注釈。

じゃぁ初めから小田の事は書くなや!

記述の内容よりも、注釈に突っ込みたくなったのは初めてだよ……www





458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 00:37:03 ID:xrZf+405
小田に限らず、関東の軍記物って
なぜか戦国時代の話なのに佐竹義宣が活躍してる話が多いよね。
最初に書いた人が義重と間違えて、それを孫引きして軍記書いてるからそうなったんだろうけど。

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 00:41:45 ID:x5zuj3/G
>>457
>常陸国を巡って、佐竹と小田で覇権争いをしていた頃の事。


ダウト!!!

460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 00:48:51 ID:HTQlx/sJ
関東の軍記物は後世の人間が
自分の家の寝返り戦略を正当化するのに必死だからな

461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 07:22:17 ID:oB4MJDt2
軍記物の性だろ >正当化に必死

関東の場合は子引用孫引用を経てどんどん形を変えまくってるのがものすごく顕著だけどな。

462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 12:20:10 ID:ibln7Uv4
軍記モノで小田にかかわりがあるといったら関東の孔明と言われた栗原義長か
いったいこの時代に何人のいま孔明がいたんだろうな

463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 13:59:33 ID:310y7ftS
何人居ようが本物はただ一人
一度立てば軍神をも蹴散らす臥竜とはこの小田氏治のことである

と東関東の方より投書がありました

464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 14:38:51 ID:Qup+r9qV
たしかに居城の小田城付近の水辺で臥していたかもしれませんね

465 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 15:10:38 ID:04fiwgG4
伏せっぱなしや

466 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 15:20:17 ID:ctJ8EKtu
三楽斎「なんか伏せて寝てる奴が居たので鎖で縛っときました^^」

467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 15:24:25 ID:dc9qC969
悪久「足の腱を切っておくと、良きしんがりになり申す」

468 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 17:54:28 ID:kXij/fd1
天庵様の人気に嫉妬

469 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 20:19:49 ID:P9pZT7Sq
>>463
>この小田氏治のことである
匿名を装っているのに堂々と名乗りを上げてしまうとはさすが氏治様w

471 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 21:33:13 ID:qXNq1CEf
>>458
真壁久幹の手柄もほとんど氏幹に持っていかれてるというね。
鬼真壁自体久幹だとか。

手這坂合戦の後日談

2010年09月06日 00:00

767 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/04(土) 23:30:42 ID:BHBgJwmz
手這坂合戦の後日談

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3299.htmlの手這(手葉井)坂合戦で、小田家執権・
信太範宗の諫言を無視した小田守治とバカ息子の尻馬に乗った小田氏治は、テンプレ通りの負け戦
に終わった。
簡単に振り返ると目先の梶原政景憎さで周りが見えない守治に対して、「このまま対陣していては
挟み討ちにあうから小田城に帰還しましょう。」という範宗の諫言に対して
「うるさい。政景の首を見ず引き返しては小田は笑い者になる。梶原ごとき小敵相手に軍法知略は
無用である。」「むむ実に頼もしき息子じゃ。」と見事に無視されたのであった。

信太範宗は「守治公では小田家の社稷を保つ器量はない」と腹心に語り、病気療養と称して居城で
ある土浦城に引きこもってしまった。
小田家と言えばみんな大好き菅谷氏が有名だが、信太氏は小田家家臣では執権を務める筆頭家格で
それだけに小田家にとって深刻な問題となった。

一方、引きこもりの範宗に対して「逆意あり」と考えた氏治は菅谷政貞に範宗征伐を命じた。
しかし、「謀反の証拠もないのに兵を差し向けるのは性急に過ぎる。ここで内紛に明け暮れていて
は佐竹の思う壺でしょう。」と難色を示す政貞に氏治は策を授けた。
「そういえば、ワシは小田城を取られるたびに藤沢城に転進しているが、この藤沢城って実は要害
とはいえないんだよな。それに引き換え範宗の居城である土浦城は要害だからあの城を拠点にしたい。
範宗にこう伝えよ。『謀反の意思がない証拠に土浦と藤沢のトレードに応じろ』とな。」
早速使者が土浦城に送られるが、
「手這坂の合戦以降病気療養中である。謀反の気持ちは寸分もないが、先祖伝来の土浦城を譲る気
はまったくない。」と返事がきた。

「もういい。き奴の逆意は明らかだ。信太範宗を討つ手筈を政貞に任せる。」
さっそく策を練った政貞は、氏治にいつわりの無礼を働き氏治は政貞に蟄居を命じた。
いつわりの蟄居を命じられた政貞は、
「氏治公は武運を傾ける大将であのバカ殿に仕えるのは愛想が尽きた。しかし、菅谷単独では小田家
に太刀打ちできない。そこで、信太殿もそれがしの謀反に加盟して頂きたい。」と範宗に使者を送った。
それに対して範宗はあっさりと応じ、「ともかく二人で謀反の密談をしたい。」というはこびとなった。
二人は月見の宴にかこつけて密談を交わし、その後酒をたらふく飲ませて泥酔した信太範宗は政貞自ら
の手で惨殺された。永禄13年(1570年)の出来事であった。
その後、土浦城を急襲した菅谷家が信太家の領土を併呑することとなった。

時は流れて30年後。
常陸国筑波郡手子生村に「信田八幡」が建立され、毎年8月には祭礼を行われた。当時の手子生領主・
菅谷範政が(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-1178.html信太範宗を鎮魂するために
建立したという。




770 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/05(日) 08:46:54 ID:Jc0Yaxml
>>767
菅谷さんの先祖はもともと菅谷原の僧侶で、「この坊主は機転が利きます」といって還俗のうえ主君に推挙
したのが信太さん。
そして、菅谷氏が台頭するまでの天庵様の転進先は信太さんの居城だったな。