「義祐様を押し籠めよう」

2016年05月30日 18:04

773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/30(月) 09:45:32.35 ID:v9uyzl3r
天文20年(1551)、日向の三位公(伊東義祐)は大仏堂の建立を思い立ち、先ず南都(奈良)の
仏師・源五郎兄妹を召し下し大仏を造らせ、大仏堂は大工の奥野筑前守に命じて、同年6月8日より
柱立した。何れも程なく成就したため、その年の12月28日に大仏を安置した。

翌天文21年、今度は佐土原に寺を建立し、金柏寺と名付けた。
同年10月28日、大鐘を鋳てこれを寄付した。その銘文に『日薩隅三州太守藤原義祐』云々の文字があった。

また、海道衆と号した10人の僧侶に笈(修験者や行脚僧が仏具・衣類・食器などを入れる箱)を背負わせ、
昼夜仏名を念じて歩行させ、或いは5人づつ左右に分かれて終日仏論を論議させ、三位公自身も
袈裟を着て捨身の行を行った。
また、或いは諸僧を集めての法問を行った。

三位公のこのような仏教への耽溺は、伊東家中の行儀を乱し、我儘の事のみであったため、国内からの
嘲りも多く、諸大将も国家の大事と思い、密々に評議を行って、「義祐様を押し籠め(強制引退)よう」
となった。

しかしここで、落合源左衛門尉兼永が異論を唱えた。彼は伊東家諸将の中でも忠勇無双の男であり、
諸将の評議を聞いた上で

「一度諌めてそれでも承知なければ、そういうやり方もあるだろうが、最初から少しも諌めず
押し籠めを行うのは、臣たる者の道ではない。とにかく私に任されよ。」

そう言って家にも返らずそのまま君前に出て、諸将の疑念をありのままに言上した。
彼は三位公の顔を見て声柔らかに諌めると、三位公も自分の行いを大いに悔悟し

「以後は何であっても各々の異見に従う。」

そう言って以後行いを改めた。
「思っていたのと違い、賢君であられる。」これに日向の人々は安堵の思いを成した。

(日向纂記)



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