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一番乗りの軍功

2018年01月30日 18:06

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/30(火) 00:01:56.39 ID:Oi0Wy28c
秀吉の九州征伐における、豊前岩石城攻めにおいて、蒲生氏郷の家臣、蒲生小番(のち源左衛門と称す)
が、秀吉より一番乗りの軍功の褒美として、御腰の物を賜る折、小番は申し上げた

「岩石城への一番乗りは、栗生美濃と申す者でしたが、彼は黒い吹貫の指物であった故に、御前の
御目に立たなかったのだと思います。
私は白い吹抜を指していたため、遠くより目立ったのでしょう。だからこそこの御褒美に預かったのだと
思います。

一番乗りの御褒美ということであれば、栗生にこそと存じます。
また、そうではなく私自身の働きに対して御褒美ということであれば、もちろん拝領仕ります。」

秀吉は彼の正しさに感じ入り、腰の物は栗生美濃に与え、蒲生小番には、別のご褒美を下した、
とのことである。

(士談)



603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/30(火) 00:15:47.26 ID:VG1Khv5j
ガモウコバンでええの?

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/30(火) 05:44:12.20 ID:7JuNmf3l
警固の大番、近侍の小番からでしょう
だから"こばん"でいいんじゃないのかな

605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/30(火) 14:25:48.01 ID:8oUjZAlC
<家格>「小番太刀」由来

http://www.ito-ke.server-shared.com/kobantati.htm

「薩摩藩の職制表」の解説には、「小番」(こばん)とは「一所持(宗家子孫の私領持ち)または家老を務めた家の子孫」とある。

606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/31(水) 11:08:35.78 ID:gVpdezjR
誰かと思ったら蒲生郷成のことか
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これぞ聞こえる蒲生家の士大将

2014年12月22日 18:39

423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/22(月) 02:17:48.59 ID:lmsYp9gE
秀吉が島津を征伐なされた時、蒲生氏郷前田利長は岩石の城を攻めなさった。

氏郷の先陣・蒲生源左衛門(郷成)は、この頃は坂小坂といった。坂はまっ先に進み、仮名で
“いちばん”と墨黒に書いてある白い吹貫を門のまん中に押し立て、喚き叫んで戦った。

雨が降るように鉄砲が撃ち出され、吹貫は秋風によって破れた芭蕉のようになった。
坂は大声を上げて、「一足も引くな者ども!」と命じ、わき目も振らず攻め入った。

その様子は後陣から、「これぞ聞こえる蒲生家の士大将、小坂と言われている大剛の者よ」
と、口々に誉められていた。

寺島美濃守は、この頃は半左衛門といった。半左衛門は黒い吹貫を押し立てて坂に続いた。
軍勢は利長の士・松原久兵衛を始めとして先を争って攻め入り、最後には城を攻め落として、
4百余の首を討ち取った。

秀吉は氏郷に感状をお与えになり、坂に金銭10匹と羽織を賜った。

【原注:一説には、坂を一番と記している。秀吉が坂を賞して刀をお与えになると、坂は申して、

「一番の賞でございますならば、それは、栗田(半左衛門のことか)一人でございます。
栗田は黒い吹貫でございました。坂の吹貫は白くて目立ったのでございましょう」

と譲ったため、秀吉はますます大いに感心し、刀を栗田にお与えになったとも言われている。】

――『常山紀談』





蒲生源左衛門郷成についての事

2013年10月14日 19:45

321 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/13(日) 20:31:54.61 ID:KBnaMG4J
蒲生源左衛門郷成は幼い頃より父勝則とともに柴田勝家に仕えていた。
童名は坂小判。幼少の頃より剛の者の気質あり。
その暴れぶりはやがて柴田勝家がもて余すほど。
ついに柴田家を追い出され、同族である蒲生氏郷を頼った。
氏郷のもとで次第に頭角をあらわし先駆けの功名を数多立て、
天正十八年氏郷が会津に置かれると知行五万石を宛がわれ、
名実ともに蒲生家の重臣となったのである。
源左衛門の名は、太閤秀吉公から頂いたものである

(武士の家訓を参照)

322 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/13(日) 20:49:27.89 ID:KBnaMG4J
源左衛門には五箇条の書き置きが現代に伝わっている

・武家ならば弓馬、槍、兵法を朝暮の掟と心掛けよ。
しかし、武道を上手にやろうとする必要はない

・今の武士はおごり、その本分を忘れている者が多い。
武具や馬具を大切にせず、戦場での立ち回りも学ばず、
うわべの都合のよい理屈ばかりを好んで、
ことに近年は茶の湯などということに金銀を浪費しているが、
蒲生家の者たちはまずそんなことは慎んだほうがよい。

・主君に忠、親には孝を忘れぬように。
下の者へのあわれみを忘れぬように。
主となるも家来となるも天道である

・仲間が落ちぶれたなら我が知行の十分之一をもち養うように

・身の程を知れ。
それぞれの身の程に合った立場を保つことが大切である

(蒲生家系図由緒書)




323 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/13(日) 21:58:09.51 ID:2KNEgtIv
>>322
>ことに近年は茶の湯などということに金銀を浪費しているが、
>蒲生家の者たちはまずそんなことは慎んだほうがよい。

ちょっと、何、殿様ディスってんの?

324 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/13(日) 22:12:45.58 ID:agWEVbBd
茶の湯は文化的な交流に留まらず大名間の交流で有効だったわけだけど
部下レベルだとその価値がわかってなかったんだと思う

325 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/13(日) 22:37:23.00 ID:wU8QEICi
嗜みじゃなくて、「ファッション」としての茶道にうつつを抜かすなら、武士の本分磨かんかいと
「給料数ヶ月分出して買っちゃったこの茶器どうよ(ドヤァ」
とかやってたんだろう
要するに、一番最後の身の程を知れ、に集約されるんだろうなぁ
まあでも、ある程度世の中定まってから産まれてきた彼らは彼らの言い分もあるんだろうけどさ

326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/13(日) 23:13:22.88 ID:Jp4UT6Ud
>>316
喜連川「蒲生のところに行くなら、うちにも来てくれよ(´・ω・`)」

327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/14(月) 00:31:34.37 ID:OmpT59sH
あんたは銭がほしいんじゃろ

328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/14(月) 00:54:17.56 ID:A8mSFcGS
>>324
そこで五番目の身の程を知れの教えだろ
現代でもあるよ
人脈目的でパーティー参加する人と、
パーティーに参加してる自分が好きな人

329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/14(月) 00:59:18.73 ID:X9nrWnAG
>人脈目的でパーティー参加する人と、
>パーティーに参加してる自分が好きな人

なるほど、わかりやすい喩えだ

330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/14(月) 08:02:08.86 ID:6nfWMAqx
あー、手段と目的が入れ替わってる人は確かにいるよね

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/14(月) 18:34:39.67 ID:b4Ou875A
越前支配しようと思って同僚切ったけどとりあえず同僚と攻めてくる奴全部殺すわ

332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/14(月) 19:41:51.03 ID:1/fC+wzd
貴方の場合、手段も目的もぶれてないと思います

それは、伊達政宗が江戸参勤のときいつもいつも

2013年10月13日 19:07

316 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/13(日) 13:26:53.64 ID:R4JTkaBC
蒲生忠郷は、ある不快な問題に頭を悩ませていた。
それは、伊達政宗が江戸参勤のときいつもいつも城下に本陣を
置くことであった。

時に、その忠郷には蒲生源左衛門という家来がいた。
源左衛門、その主君の不平を聞いて「次に来たら私にお任せください。
二度とそういうマネはさせんようにします」と政宗を待ち構える。

はたして政宗はやってきて、またしても忠郷の城下にて本陣を置いた。
源左衛門、それを聞くやすかさず本陣宿屋に直行、宿屋の主人が
制止も「本人が来たら退くから心配するな」と一蹴し、ズカズカと
着座の間まで突入した。

やがて到着した政宗が部屋に入ってみたものは、床を枕にして堂々と
空鼾をかいて寝そべる大男の姿。
思わず「お前誰だ!」と聞いた政宗の前に、悠々と起き上がるや
「蒲生源左衛門と申します。鷹野の帰りで疲れたもんでここで休んで
いました。いやぁここが御本陣とも知らずに無礼仕りました」
と畏まって見せる源左衛門。

政宗、「かねてから源左衛門の名はよく聞いてたぞ。これもまた縁というもの、
今後の知人となるうえで、ここに一つ面会の祝儀をやろう」と腰の脇差を
手に取り、「これは名物というものでもないが、かつてはその方のような
大男を袈裟に切ったら股まで切り裂いた代物だ。(其の方の様なる大男を
大袈裟に切りたるに、股の下まで切り下げたり)」と源左衛門に賜った。

源左衛門、それを恭しく受け取ると、「お腰を空にさせるわけには。
畏れながら私の脇差をお受け取りください」と今度は自分の脇差を差し上げると、
「この脇差は私の領内の片目の大男を頭より尻まで真っ二つにしてみせた
業物です。(私領内の片目の大男を天窓より尻の割目まで真二つにしたる業物也)」
と、言い残してそのまま退出した。

後にのこった政宗、「蒲生には氏郷以来の良い家来がいると聞いたが、
なるほど源左衛門とは大したものだ」と一人感服。

以後、政宗は城下に宿泊することはなかったとのことだ。
(一話一言)

ライバル関係な御家の、主君と家臣が豪気なエールを交し合い、八方丸く
収まった良い話。

話中の源左衛門は多分この人かな。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-849.html




317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/13(日) 14:15:07.56 ID:TzT7j2MZ
本当、伊達さんと蒲生さんは仲良くケンカしてるなぁ

318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/13(日) 17:43:42.76 ID:faE1hxnm
>>蒲生源左衛門
どの蒲生さんなんだろうか。

319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/13(日) 18:50:36.60 ID:AB+OJ64y
この蒲生のシリアルナンバーは10032号です、と蒲生は説明します

320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/13(日) 20:11:43.65 ID:HEooxCmD
戦陣に挑むとすべての蒲生は37564号にモデルチェンジ