466 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/04/30(土) 21:35:32.11 ID:aWJlUSl/
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-13382.html
大友宗麟、猿のために岩屋重氏を殺すこと
前に出した「大友興廃記」のこの話
薩州旧伝集(戦国から江戸初期にかけての薩摩君臣言行録)の巻五を読んだら
寛陽院様(島津光久、忠恒の子)の御代に、ある行司が鉄砲を持って吉野山に入りあちこち探索していたところ、あやまって深い谷に滑り落ち、途中の柴木で支えられた。
とうてい上がれないので困っていたところ、大きな猿がかずら縄をさげ下ろしてきた。それを引き寄せたところ手応えがあった。
そこで縄を手繰り寄せて首尾よく谷から上がると、数十匹の猿がかずら縄を引いてくれていた。
行司は鉄砲で大猿を一発で射殺し、帰ってその話をした。
それを聞いた寛陽院様が行司を召し出して話をさせたところ、寛陽院様は不機嫌になり、その行司に切腹を仰せ付けたということだ。
と、ほぼ同じ話があった。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-13382.html
大友宗麟、猿のために岩屋重氏を殺すこと
前に出した「大友興廃記」のこの話
薩州旧伝集(戦国から江戸初期にかけての薩摩君臣言行録)の巻五を読んだら
寛陽院様(島津光久、忠恒の子)の御代に、ある行司が鉄砲を持って吉野山に入りあちこち探索していたところ、あやまって深い谷に滑り落ち、途中の柴木で支えられた。
とうてい上がれないので困っていたところ、大きな猿がかずら縄をさげ下ろしてきた。それを引き寄せたところ手応えがあった。
そこで縄を手繰り寄せて首尾よく谷から上がると、数十匹の猿がかずら縄を引いてくれていた。
行司は鉄砲で大猿を一発で射殺し、帰ってその話をした。
それを聞いた寛陽院様が行司を召し出して話をさせたところ、寛陽院様は不機嫌になり、その行司に切腹を仰せ付けたということだ。
と、ほぼ同じ話があった。
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