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仁義の道の奥義

2018年11月30日 20:02

535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/30(金) 01:25:15.74 ID:GU5Ble3X
ある人が藤原惺窩の所へ行、仁義の道の奥義を尋ねたことが在った。
惺窩はそれに直接答えず、何と無く世の中のことを物語し、「人々の身ほど大切なものはない。」という事について
「天下を取るほどの大富貴であるが、これを得るとそのまま死して、子孫へも渡らない、となれば、あなたはこれを
得ようとするだろうか?」

問うた人は
「その場合、どうして天下を得ようとするでしょうか。この身に変えるほどの宝はありません。」

「その志を、他者に施す事を仁というのです。一方で、それほど大切なこの身を、人に頭を叩かれたり、
一言の恥を受けたという事で、忽ちにして死を省みなくなる事があります。それはどうでしょうか?」

「わかります。そのような時、必死となります。」

「その、忍ぶことの出来ない事があるのを、義と云うのです。天下にも変えられない命であるのに、一つのことに
対して死んでも後悔がないという事が、義なのです。」

そう諭したという。

(士談)


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講談の終わったあと幸長は

2014年04月07日 19:02

883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/06(日) 21:23:49.73 ID:cC/WF0ye
藤原惺窩が浅野紀伊守(幸長)の邸宅で、孟子一段を講談したことがあった。
このとき講釈したのは、『生於憂患而死於安楽』(憂患の有る時には生き、安楽な時に死ぬ)という段であった。

講談の終わったあと幸長はこのように言った

「私は石田治部(三成)と仲が悪かった。治部が生きていたころは、彼に隙を与えまいと、身を謹んで
人に非を入れられないようにし、体も健康であった。

今は治部も死に、その上御所様(徳川家康)とは懇ろな関係で、(その頃未だ徳川と関係の悪かった)
佐竹や島津とも特に何かあるわけではない。だがこれによって気が緩み、却って病気になってしまった。
賢人の言葉というものは、少しも相違がないものだ。」

(老人雑話)

敵の喪失により自分も弱ってしまった、という浅野幸長の述懐である。




884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/06(日) 21:58:10.77 ID:xy6/elfq
真田のお兄ちゃんの死因が判明

885 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/06(日) 23:24:26.40 ID:J+qydBC1
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4598.html
既出

886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/06(日) 23:26:37.45 ID:J+qydBC1
しかし、島津、佐竹についての訳は違うな

887 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/07(月) 05:54:20.28 ID:koYRP92t
島津・佐竹についての部分の解釈も、真田のお兄ちゃんとの関係を見出す住人の解釈も真逆の印象

894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/07(月) 22:59:40.77 ID:4AKn74+k
>>883

親父は関ヶ原後の大坂城城内をみて「治部少がいた頃はこんなことはなかった」と嘆き、
息子は「治部少が生きていたころは、緊張して身体健康だった」と言い....
何だこの親子

895 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/04/07(月) 23:11:03.96 ID:FBU9TbXr
ツンデレやな~

その盛志を遂げずして

2013年06月18日 19:55

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/17(月) 17:43:56.70 ID:vKATk0sd
ある日、藤原惺窩は奮発して大明国に入りたいと欲し、直ちに筑陽に至ると、
果てしなき大海原へとのりだした。

ところが風濤に逢って鬼海の島(鬼界島)に漂着し、その盛志を遂げずして
帰ることになった。

――『先哲像伝』




523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/17(月) 17:48:44.05 ID:TML1DMIc
惺窩が本懐を遂げられなかったからいい話なのか?w

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/17(月) 17:51:47.01 ID:LImlMQ8w
現実見たらパリ症候群で狂い死にしたかもしれない

525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/17(月) 21:56:48.69 ID:aINWrm7x
その頃の明はもう完全に末期状態だから
惺窩は現実を見ずに済んで逆に良かった
おかげで一生夢見てられる

526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/17(月) 22:24:10.32 ID:HYqiGM4t
ほろ苦い話だな

527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/18(火) 11:52:19.66 ID:mY5ZAC7h
鬼界島って奄美の島か。まあ、島に漂着出来て良かったよな

528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/18(火) 14:58:34.09 ID:0XQHLgsE
遣唐使だったら沈んでたわ

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/18(火) 16:32:13.75 ID:2uJWdv6r
鑑真さん乗ってたんじゃね?

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/18(火) 18:03:48.28 ID:8H5gQgKK
桃太郎が

532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/19(水) 00:32:55.16 ID:oeL6e3Se
>>526
屋久島の手前にある「薩摩硫黄島」かも。
(火山活動のため海が黄色に染まっているので黄海が島(鬼海が島)となったとか。
ちなみに、この島を含む巨大カルデラが「鬼界カルデラ」といい、
考古学でおなじみのアカホヤの産地だったりする。)

鬼界が島といえば、平家物語の「卒塔婆流し」「足摺」の舞台。
そして、平康頼の「薩摩潟おきの小島に我ありと親にはつげよ八重の潮風」(千載集)の歌。

冷泉為純の子である藤原惺窩は、この島で
「薩摩潟八重の潮風つげやらんあはれ憂き身は親だにもなし」と詠んでいる。

父も兄も別所長治に討たれてるもんなあ。

534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/19(水) 01:58:13.79 ID:O4ZcSBED
惺窩先生も良いキャラしてんだよなぁ
アレはアレで大好きだ

藤原惺窩はかつて太閤秀吉を評し

2013年05月27日 19:51

712 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/27(月) 18:12:42.43 ID:2O1GjFJN
藤原惺窩はかつて太閤秀吉を評して「秀吉は大胆な人ではあるが、大心とは言えない。
朝鮮より明に攻め入ろうとするのは誠に大胆ではあるが、秀信を信長の跡目と仰せられず、
自立して日本を掌握されたのは大心にあらず」と言った。

後にこの事を四辻亞相公理に語った人がいた。亞相は「吾もその論をもっともだと思う。
大仏建立は彼の猿心の離れぬなり」と言ったという。

――『先哲像伝』





そんな人がこのように言ったから

2013年04月23日 19:53

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/22(月) 23:54:29.03 ID:q6xkh75J
相国寺普光院の宣長老は大徳寺の僧・董甫の弟にして藤原惺窩の伯父である。
当時、五岳第一の学者であった。

宣はかつて「舜首座(惺窩)に逢っては物が言えぬ」と言った。
そのまま、やりこめられてしまうからである。

当時の人に宣は勝れた人として知られていた。そんな人がこのように言ったから、
惺窩が傑出した人ということが初めて知られたのである。

――『老人雑話』




96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/23(火) 01:47:02.03 ID:1wp3YhB6
儒者は正義を前面に出してくるから口喧嘩ははげしく強い。
それが政治において実現されるのかは別だがw

97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/23(火) 01:54:36.50 ID:hcxVDQ0g
腐れ儒者を信長公とかDQN眼と戦わせてみたい

藤原惺窩と関白秀次

2013年03月22日 19:51

6 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 18:06:24.16 ID:Buhd4xQf
藤原惺窩は関白秀次の召しに応じて、五山の僧侶と同じく詩を相国寺に賦した。
そして惺窩は他日にまた召されたが、病気を理由にこれを辞した。

惺窩が弟子に言うには「君子には君子のなかま、小人には小人のなかまがある。
なかまでもないのに交われば最後まで相容れない。

余が秀次に交われば、ただ最後まで心が合わないのみならず、後に必ずや
悔やんでも手遅れなことになるだろう。余は再び見えることを欲しない」
ということだった。

秀次はこれを聞いて心中に恨みを抱いた。惺窩は免れざることを懼れて、
避けて肥前名護屋へと赴いた。

――『先哲叢談』




7 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 20:22:00.90 ID:J/+0MHyH
どいつもこいつも秀次がいったい何したってんだよ(´;ω;`)


惺窩の至る時は

2013年03月14日 19:53

715 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 18:41:43.68 ID:wBgjFXlb
藤原惺窩は肥前名護屋におもむいた。この時に当たり、豊臣秀吉は朝鮮征伐のために
多くの諸侯を率いて名護屋にのぞみ、惺窩は徳川家康と初めてまみえた。

また、惺窩は小早川秀秋にまみえた。秀秋は横柄な性格であったが、惺窩の至る時は
すぐに粛然として容貌を改め、その性行もまた改まる所が多かったという。

――『先哲叢談』




716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 19:01:51.29 ID:JHc3bnDF
姜ハン「小早川秀秋は軽薄で感情の起伏が激しく
彼の兄たちち及ばない、て藤原惺窩が言ってた」

717 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 19:05:00.73 ID:M0Dg1XFw
儒者ってなんか胡散臭いんだよな

718 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 19:30:26.02 ID:kTs3CAEF
儒者と武将では、評価されるポイントが違うしなー

719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 19:30:39.61 ID:j2KEsLF6
>>717
惺窩「明と朝鮮が結んで日本を征服してください」
姜沆「ごめん無理」

720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 19:31:29.07 ID:x3T/dn3S
やめてやってくれ!金吾のHPはもう0よ!

721 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 21:29:57.00 ID:diDDQ7Wi
藤原惺窩には腐れ儒者という呼び名がしっくりくるね。
口先だけで何を成したというわけでもないくせに・・・

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 23:47:17.32 ID:P10mqItv
儒学者が何かを成すって難しくない?
坊主みたいに、どこかの大名の軍師になったり自らが大名になったりすれば別だけど

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 23:56:42.87 ID:EwcsPmRH
>>722
日本史全体で見ても新井白石くらいか

724 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/14(木) 00:01:10.23 ID:3A123S6K
惺窩はフロイスの儒家バージョンだと思ってる

725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/14(木) 03:17:21.89 ID:j+l7ulXc
事を成す儒者と言えば、陽明学徒がいるかな。
ちなみに林羅山はご存知の通り陽明学は排除したけど、
藤原惺窩は陽明学評価してたんだよね。
そういえば日本陽明学の祖、中江藤樹はこのスレの時代範囲だな。
まだ逸話出てないみたいだが

726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/14(木) 06:38:16.33 ID:6XoWWJOb
口だけの腐れ儒者と違って知行合一の陽明学者

大塩平八郎こそ真の儒者

727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/14(木) 15:37:31.90 ID:6qoRUYQw
幕末は陽明学派が何気に多いからね

728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/14(木) 16:24:38.24 ID:j+l7ulXc
陽明学は儒学の旗を立ててはいるけど本質は禅だから、
もともと武士の道に近いんだよな
心即理というテーゼ自体が即心是仏、煩悩即菩提みたいで仏教ぽい

732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/15(金) 05:07:27.63 ID:2FTK6JYx
でも姜沆の記録を読む限り、惺窩は秀秋と付き合いがあったっぽいんだよね
「家康が秀吉の後を継いで朝鮮に出兵するらしいという噂があってさぁ…」
みたいな話を惺窩にしたって書いてあるし



道春は非道の者だ

2013年01月26日 20:02

294 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/25(金) 23:57:48.96 ID:Y9nw/FoC
藤原惺窩林道春が図書編を求め得たと聞いて、数通の書を送って
借りたいと伝えた。だが、道春は「手に入らなかったので」と、
最後まで貸さなかった。そのため、惺窩は、

「道春は非道の者だ。

図書編を手に入れたことは明白なのに、偽って無いと言うのは非道だ。
あるけども貸さないと言うむごさよりも、遥かに劣っている」

と、人に語ったのだとか。

――『老人雑話』




295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 09:04:42.24 ID:wEgG3y83
貴重なモノなら他人に貸すの嫌がる人もいるんじゃないか

296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 09:15:00.67 ID:QDP4NrwQ
欲しい物が手に入らなかったからファビョって相手のネガキャン始める

藤原惺窩ってどうも好きになれないなぁ

300 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 17:27:09.75 ID:JQFp8nqq
惺窩さんって、
高尚な思想やら学んでるんだろうけど自分の行動は子供と変わらないんだよね・・・

301 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 18:57:24.87 ID:W4G5L8Lw
>>296
この人の小早川秀秋評もこの類だったりするのかも

302 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 19:11:29.47 ID:H3lkLhi5
>296
このスレ向きの人物じゃないけど、松平不昧も若い貧乏藩主の頃は「今の茶の湯は古道具商か」って批難してたけど、
藩の財政立て直しに成功してからは「名物は財産価値あるから」って結局高価な名品を集めだしたっていう

303 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 20:14:46.08 ID:nBFo//FR
藤原惺窩て儒学スキーが昂じて抑留から解放されて帰国する姜沆に
「明・朝鮮連合軍で日本占領しちゃって下さいよ」とか言っちゃうとか、
学はあるけどどこか足りてない人なんだと思う

姜ハン「看羊録」より、小早川秀秋評

2012年06月19日 20:58

974 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/18(月) 21:58:38.95 ID:TOaqXHhj
東洋文庫版 姜ハン「看羊録」p143
大体、その性格が軽薄で、感情の起伏が激しく、その兄たちに及ばぬこと甚だ遠い。
舜首座(藤原惺窩)は、以前、金吾に書を教えたことがあったので、その人となりを非常に詳しく知っている、
ということである。

関が原以前の秀秋についての評だけど、もともとこれならよけいに陰口叩かれてたかも
しかし、後世秀秋がいろいろおとされるのは肖像画のせいもあるきがする
TERUくらい威厳のある肖像画なら評価が高くなった可能性が




975 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/18(月) 22:00:22.85 ID:BpDD4Ukp
>>974
ぽやっとした坊ちゃん坊ちゃんしたのじゃなくて、それなりに武将っぽい肖像画も有った気がするが

976 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/18(月) 22:05:11.84 ID:QNxDRloj
評価のあたりは記録に残り難いから難しいところはあるけど
松野重元が同時代人から忠義者と高く評されたことや小早川家の重臣が再仕官に時間がかかってるあたり
後ろ指を差される雰囲気はあったんじゃない?

裏切りの仕方はともかく数少ない豊臣家の血族だし加増された先が義兄の秀家の領地だしなあ

977 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/18(月) 22:06:25.59 ID:P7Y0aDgd
>>974
つまり藤原惺窩のコメントがないとわからない

978 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/18(月) 22:12:17.11 ID:TOaqXHhj
藤原惺窩のコメントが一行目だと思ったんだが
まあ親友の長嘯子先生と比べればたいていの若者がその評価になりそうだ

979 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/18(月) 22:15:51.46 ID:TOaqXHhj
訂正2行目

985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/19(火) 02:19:56.46 ID:TGDRJFLC
姜も惺窩もコテコテの朱子学者だから同時代の評価とは言っても時代を先取り
というかむしろ後世の朱子学視点の評価の元になった可能性もあるよね
兄に劣るっちゅうても長兄の長嘯子は武将としては絵に描いたような無能やんけ、とか
惺窩の知ってる秀秋はそもそも何歳の時だ?とかそのままには受け取りにくい

藤原惺窩は何故かうなじのところだけ

2011年04月22日 00:00

808 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/21(木) 00:46:15.80 ID:J4vpITsk
妙寿院(藤原惺窩)は法体姿で、頭は勿論丸めていたのだが、何故かうなじのところだけ
毛を残していた。
非常におかしな事だが、その理由を何故だか誰も惺窩に聞かなかったらしい。
なんとなくわかる気もする。

で、どうにも気になった旗本の城和泉守昌茂が、ついに意を決して惺窩に聞いた。
流石武田勝頼の侍大将まで務めた男である。

「…うなじの毛のこと、ですか」

惺窩は城の問に応えた

「頭には頭巾、体には衣服がありますが、うなじには何もありません。

冬になればここばかり、冷える。
夏も風に当たれば、冷える。

だからこのようにしているのです。」


この惺窩の答に城は思った。『じゃあうなじまで深く包む服を着ればいいじゃないか』と。
でも思っただけで言わなかった、らしい。

ヘンテコなこともあるものである。
(武功雑記)

藤原惺窩は現代にもいそうな変人インテリだなw




811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/21(木) 10:15:00.57 ID:wCWkkm1y
藤原惺窩って 窩 の字からつい眼窩という言葉が連想されて
両目にぽかっと穴の空いているされこうべみたいな顔を想像しちゃうからちょっと怖い

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/21(木) 12:40:28.12 ID:f/DWBLPJ
藤原眼科

813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/21(木) 12:51:40.10 ID:ZOwdarQl
眼球が無くうなじにだけ毛が生えそろってる唐服唐冠の男…
中々強烈なキャラクターデザインかな

814 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/21(木) 19:20:42.18 ID:uwucfkhK
うーん、実にクトゥルフテイスト…

815 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/21(木) 19:22:54.34 ID:k8VwMj0+
ああ窩に!窩に!

藤原惺窩、大坂の陣の大野治長評

2011年04月11日 00:00

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/10(日) 10:02:51.43 ID:dl7dbx7K
大坂の陣が終わって間もなくのある時、戸田左門(一西(かずあき))と松平越中守定綱が
明寿院(藤原惺窩)と座談し、この大坂の陣のことなどを物語った。

二人の話を聞いた藤原惺窩

「大野修理治長にせめて石川五右衛門ほどの器量があれば、もう少し功も立てられたでしょうに。
それに冬の陣では大阪城から遠所を焼討ぜず、夏の陣で堺、奈良を焼討したのは、戦略として
前後が入れ違っています。」

と感想を述べたという。
(武功雑記)




577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/10(日) 15:25:51.38 ID:tLkCR/1M
後半はともかく前半の比較対象はなぜ石川五右衛門なんだろう。
盗賊としては大勢力を率いていた人だが。

578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/10(日) 18:09:34.84 ID:rn9Zj9Q1
大野には盗賊の頭ほどの器量も無かったってディスってるんだよ

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/10(日) 18:25:21.26 ID:aX2N2eIv
青果さんは口が悪すぎるうえに明人に日本は征服してくれ、なんて頼む売国奴だから好かん

580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/10(日) 18:35:55.09 ID:tLkCR/1M
>>579
それは朝鮮人の姜に言ったこと。>日本は
「今の日本は酷い状況」といったあと「それを正す為に来たと言って朝鮮や明が攻めて来れば白河の関まで行ける。
もし日本のように殺戮を行えば対馬も取れない」と言っているので
売国云々ではなく秀吉批判の言葉と見るべきだろう。

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/10(日) 19:27:27.50 ID:oVkqdWPw
>>580
惺窩センセイは実家の再興を秀吉にスルーされて以来、アンチ豊臣なんだよね。
秀次の学問好きに対しても「学問が汚れる」とかヒデーこと言ってるし。

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/10(日) 20:38:43.97 ID:mqFPgh0J
>>582
でも石田さん家の正澄くんとは仲良いよね

585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/10(日) 20:41:32.35 ID:aATYM/kH
>>582
儒者はそんなもん。

586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/10(日) 21:03:21.36 ID:yvHvm2FL
儒学なんてクソの役にも立たないのに藤原惺窩とかいつも偉そうだよな
武将とか小バカにしてるし

そういえば信長公は地球儀を献上されたとき、地球が丸い事を説明
されて即座に理解したのに対し、儒者の林羅山は地球は平たいと主張
して絶対に譲らなかった

儒学は先例やしきたりにこだわってばかりで、新しい発想や合理的に物事を考えるという事しないからやればやるほどバカになるのにw

587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/10(日) 21:17:22.02 ID:bmSwCh0j
林羅山は「右僕射」の意味を曲解したり、
『豊臣秀吉譜』で劉備が諸葛亮に自分の死後を託した話を、
まんま秀吉と家康にそれに丸パクリしたりと曲学阿世の典型的存在
時の政権と癒着しすぎたばかりに道春点の発明や
吾妻鑑の研究といった学問的業績が霞むほどの汚名を残したね

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/10(日) 21:19:57.90 ID:dl7dbx7K
>>586
> そういえば信長公は地球儀を献上されたとき、地球が丸い事を説明
> されて即座に理解したのに対し、

それは作り話の中のこと。
つーか儒教よく知らないだろ君w、儒者ってめちゃめちゃ頭いいぞ。
あの人達の書いた本を、同時代の儒者以外の著作と比較しながら少しでいいから読んでみろ。

589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/10(日) 21:33:55.51 ID:gPc/grd5
今更、死んだ学問なんて誰も読みたくない

590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/10(日) 21:38:53.35 ID:aX2N2eIv
儒学はいまだに中国で盛んじゃね?孔子はいまだに神同然だし

591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/10(日) 21:45:32.32 ID:dl7dbx7K
儒教は死んだどころか東アジアや東南アジアで未だ強固に生きているし、
この中国の台頭で世界思想として大復活する可能性すらあるぞw

つーか戦国時代に興味が有るのなら、儒教勉強しないとあの時代は全然理解出来ないんだが。
戦国時代の日本の思想の基本は、儒教ベースの「天道思想」だ。

名古屋城普請の清正

2011年02月18日 00:00

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 20:05:06 ID:zlxEqfjF
名古屋城普請の清正。

名古屋城普請を命じられた清正は普請に熱心に取り組んだ。

清正はよく普請のそばで行われる市場に顔をだし、市場まる事買う事がよくあった。

そして大きな仕事の前はここで買った品(酒、食料、日常品など)を大盤振る舞いしたという。

清正の故郷も近い事もあり大勢の人が集まり、市民や他国の家臣も参加してこの宴会は毎回大騒ぎになっていた。


そして大工事当日は美少年5、6人に華美な小袖羽織を着せ、現場を見回った。
この少年達、余程見栄えがよかったのか

「およびなけれど万松寺の華を、折りて一枝欲しうござる」
(近くにある万松寺の美しい花になぞらえた美少年を褒める歌?)


この様な歌が流行り美少年を一目見たいと大勢の女性が加藤家の屋敷に集まった。

清正は彼女等を屋敷に入れ、少年達を披露し酒を振舞い楽しんでいたという。

藤原惺窩も現場で清正等一行の工事を見ていた。惺窩の従者は清正のあまりの放蕩振りに驚き

従者「全く肥後殿は何を考えているのか。このような事をしていては普請など上手くいく筈もなかろう」っと呟いた。

それを聞いた惺窩は

「それは全く見当違いな話だ。天下は徳川家というご時世だ。他の者が徳川家に睨まれまいと規則通りに
仕事をするのに
肥後殿はあのように堂々とした振る舞いをしている。工務も決して遅れてはいまい。
それにな、ああやって現場で仲間を増やしておけばいざという時に役に立つものだ。
このような事が出来るのは今や肥後殿だけだろう。度量のある武士とは彼の様な者を言うのだ。
大御所様の御目に掛かるのもこれだけ観て十分わかる。」

っと清正の度量に感服したそうだ。

名古屋城築城後は
音にきこえしなごやの城を、踏みやならいた肥後の衆が
という歌が流行し名古屋での清正の名声は高まったという。

ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1857.html

こういう事故が起こっても普段から必要経費(保険)をかけておけばなんとかなる!っという
清正の人心把握術のお話。




847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 20:45:03 ID:urLfUhv7
>>845
実際名古屋城には清正が普請現場で激励してる石像があるな

853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 23:06:41 ID:8SDk0+qZ
>>845
下で働くもんとしては、こういう大盤振る舞いやってくれる大将のが仕事も精が出るだろうなあ

855 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/17(木) 23:33:01 ID:4ZYnF/O8
理想の上司ですな。ジミ加藤さんはこういう事やりますかね?

856 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/17(木) 23:33:40 ID:0/P6lueW
>>851文句だらけの市松さんとは偉い違いだなw

857 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/17(木) 23:35:41 ID:wwDKOgz1
↑もそっと詳しく!


>ああやって現場で仲間を増やしておけばいざという時に役に立つものだ
どんな「いざ」だよw

858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 23:41:34 ID:yg5qQ8QK
>>845
男で美少年が好きでも白い目で見られない、昔は良かったなぁ
っていい話にしか思えぬ!

860 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 23:45:01 ID:sbxiq9zv
>>858
むしろ武士の場合女にデレデレする方が白い目で見られた。
衆道は武張って男らしい趣味だと考えられてた。

861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 23:52:25 ID:yg5qQ8QK
>>860
バイにはたまらん時代だぜ…。

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/18(金) 00:17:51 ID:5GhEqUAa
>>855
地味加藤さん、松山築城では城下のおたたさん(魚を売り歩く女性)に協力を仰いだり
嫁さんが炊き出しに出たりと、なんだかアットホームなアプローチをしているね。
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3837.html参照)

築城予定地の勝山に棲んでいた八百八狸の頭・隠神刑部と、

「狸に危害を加えない代わり狸もお城を末長く守る」

と言う約定を結んだ、なんて伝説もあって、
これが百三十年後のお家騒動を元にした講談『松山騒動八百八狸物語』
に繋がるのはまた別のお話。

863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/18(金) 00:25:37 ID:aMuUUD2B
平成狸合戦もまた別のお話


865 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/18(金) 09:45:51 ID:o4FGuh/V
>>857
石が落ちても誰もしゃべらないってことだなw

しかも幕府の役人まで半ば見て見ぬふりだしw

浅野幸長「賢者の言葉に相違なし」

2010年09月05日 00:01

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/03(金) 22:19:06 ID:tDyM/h0M
上洛した浅野幸長が学者の藤原惺窩を招き、『孟子』の講義を聴いた。

「……生於憂患、而死於安楽也…」
(憂患に於いて生き、安楽に於いて死する也=人間は心痛の種のある時は、緊張して生命を守ろうと努力するが、
安楽にふけると、心が緩んで死へとつながって行く。)

惺窩の読んだ一節に、幸長は手を打って同意した。
「うむ、さすが古の賢者は良いことを言う。
かつて、わしは石田治部少(三成)と、たいそう仲が悪かった。あいつが生きている頃は、絶対揚げ足を取られまいと
身を固く保ち、他人に非を言われぬよう励んだものだ。

しかるに今、治部少は既に亡く、わしは大大名となり、将軍家にかつての島津・佐竹にも劣らぬ扱いを受けている。
ところが気は緩み何事にも身が入らず、この身も病気がちとなっておる有り様。まさに賢者の言葉に相違なしだな…」



数年後の慶長18年(1613)8月、幸長は38歳の若さで世を去る。

いい話か微妙だし三成が意識してやってたワケじゃなかろーが、失って初めて分かるものもある、という話。




852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/03(金) 22:47:27 ID:zArGQOJT
かつての島津・佐竹?

853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/03(金) 22:49:17 ID:gltFKkXK
>>851
それが本当なら、信之兄ちゃんがあんなに短命だったはずがない