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藤堂高刑討死の証言

2013年12月06日 18:46

976 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/05(木) 20:45:37.17 ID:jPs/rP8/
恐れながら申し上げます

私は長宗我部のおとなであった、中内惣左衛門と申す者の孫であります。
私の親は、中内彌五左衛門と申します。

この彌五左衛門は、先年大阪御陣(大阪夏の陣)の時、八尾表の合戦において、
故仁右衛門様(藤堂高刑)と鑓合わせをし、仁右衛門様も相果てられ、私の親も
打ち果てました。

この様に申し上げたことに、偽りは少しもありません。長宗我部家中の生き残った者達は、
何れもこの事を存じ上げています。藤堂家のご領地である伊賀や伊勢におられる土佐衆も、定めて
これを聞き及んでいるはずですので、何れの方でも、お尋ねになってみてください。
仁右衛門様を討ったと申す者が、今も世間に有るように承り、不審な事だと思っています。

後日において、故仁右衛門様と鑓合わせをして討取った、と言う御仁が現れるようでしたら、
何時でも、それを聞き及び次第まかり出て、吟味させて頂きたいと思っています。

右の事を申し上げるため、阿波より罷り越しました。

寛永11年(1634)極月(12月)10日     中内藤九郎

(中内家蔵・中内藤九郎書面)

さてさて、律儀なる若者である
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-8048.html

この逸話でも有名な藤堂高刑が大阪夏の陣で、長宗我部隊との激戦によって討ち死にした事に、
後になっても「自分が討取った」と言い出すものが有り、藤堂家においても調査されたらしい。
その時の、長宗我部家旧臣の家系の者からの証言である。






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さてさて、律儀なる若者である

2013年11月20日 19:02

660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/20(水) 06:58:35.49 ID:KSi/G5u7
関ヶ原も既に大勢は決まり、東軍による追撃戦に入った、申の刻(午後4時頃)過ぎの事である。
藤堂家の藤堂仁右衛門(高刑)は、あまりに戦い続けたため息切れし、谷水を探し山の間に入った。

すると一町ばかり先に、武者が一人うずくまっていた。怪しく思い近づくと、それは
大谷吉継の重臣、湯浅五助ではないか。
仁右衛門はこれ幸いと、彼に向かって声をかけ氏名を名乗った
「湯浅殿!鑓合わせ致そう!」

湯浅五助は名誉の大剛とは雖も、今朝からの合戦に、負傷もし疲弊していた。
そのためか、槍を構えても下鑓になり、そこに仁右衛門は、右の高股を突くと、五助は
尻から倒れた。しかし倒れながらも咄嗟に仁右衛門の鑓を切り折った。

そこで仁右衛門は太刀を抜いて飛び掛ったが、そこで五助は声を上げた
「申し上げたいことがある!待ち候へ!」

仁右衛門が動きを止めると、このように言った

「只今山際に埋めたのは、我が主君、刑部少輔の首である。
癩病にて、その面貌甚だ見苦しく、そのためこれを隠し埋めたのだ。
そなた以外にこれを知るものは居ない。どうか必ず、人に漏らさぬよう頼み申す!」

これを聞いて仁右衛門は感心した
「さてさて、なんと忠臣であろうか。成る程、武士たるもの、誰もそのようでありたいものよ。
承知した。軍神にかけて他言すまじぞ!」

五助は大いに喜んだ
「さすがは藤堂の甥であるぞ!さらば、我が首参らせん!」

立ち上がり一鑓合わせて、そして討ち取られた。

それから仁右衛門は、湯浅五助の首を主君高虎の実検に入れた。
高虎は大いに喜び、仁右衛門を徳川家康の本陣まで召し連れて
「私の甥が、名にしおう湯浅五助を仕留めました」

そう家康に申し上げた。家康も大いに喜び、
「仁右衛門、若年ながら比類なき手柄である。ではあるが…」

家康は仁右衛門に尋ねた
「湯浅五助は其の方に、容易に打ち取れるような武将ではない。どのようにして仕留めたのか?」

仁右衛門は彼を討取った様子を申し上げた。すると家康は
「五助ほどの者が、主人である刑部の先途を見届けずに討取られるような事はあるまい。
刑部が切腹したことは解っているが、その首の行方は現在まで捜索しても未だ知れず、不審に思っている。
もし刑部の始末を五助が取り扱ったのであれば、五助は何か心にかかることを、そなたに言わなかったか?」

仁右衛門は言った
「なるほど、刑部少輔の首については知らないわけではありません。ですがその事について私は、
絶対に言わないと五助と約束いたし、その上で鑓を合わせ仕留めたのです。
只今の上意が重いものであるからといってこれを話せば、私は武士を欠いてしまいます。
この上は、不届きであると私に刑罰を申し付け下さい。」

これを聞いた家康は、機嫌よく高笑いした。そして
「さてさて、律儀なる若者である。有り体に言えば、和泉(高虎)からも抜群の褒美を与えられただろうに…」

と、彼を御前近くまで呼び寄せ、手ずから刀を与えた。そして
「仁右衛門の鑓は切り折られたそうだな。これを遣わせ。」
と、側に立ててあった鑓もまた与えた。
これらは今も、仁右衛門の家に残されている。

(平尾留書)