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盛高の武勇は世の常にあらず

2015年11月30日 07:21

54 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/29(日) 17:56:04.54 ID:e0erDwHE
蘆名盛高の旗本であった猪苗代某は、当時14,5歳の美少年であり、新國藤兵衛と言う者と知音であった。
両者は談合して、盛高が羽黒に向かって留守の間に、若松の城を乗っ取った。

しかし盛高は帰ってその夜のうちに取り返した。上記の両人も城中にて打ち取り、その他の者たちも
撫で斬りにした。盛高の武勇は世の常にあらずと、人々は皆感じ入った。

この時、原田如礫と言う者、盛高に従い「今夜は頸3つほど取る!」と宣言し、結果その言葉の
通りであった。この如礫は会津三千騎の内でも無双の勇士であり、常にこのように言っていた

「総じて、合戦の場に挑んで人の集まっている所に向かうから手柄を致さぬのだ。
わたしはそういう時は、人の寄り付かぬ方に向かうようにしている。」

ある時、足軽を殺して立て籠もった者があった。人々が取り扱いかねた所に、如礫行って、
自分の太刀を縄にくくりつけて、立て籠もっている者に投げ渡し、話しかけた

「この上は安心して私を近づけよ!その方の誤りなき理由を聞かせよ!」

かの者も同心し、彼を近づけた、如礫はその所で踏み込み、これを召し捕った。

(武功雑記)

会津蘆名盛高の人間兵器のような主従についてのお話



57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/01(火) 03:19:13.97 ID:o9Mt8xQ8
>>54
盛高さんってただのホモだと思ってたけど
武勇伝

58 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/01(火) 12:13:30.38 ID:qaNYrNrp
それは"隆"さんでは
"高"さんが城を乗っ取られたことがあるかは知らないけど

59 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/01(火) 16:46:34.57 ID:NTZPLXHk
ここが詳しい
http://bushomemo.blog.fc2.com/blog-entry-977.html

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文禄二年、夏の日照り

2013年07月11日 19:52

天海   
661 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/11(木) 17:42:24.24 ID:EX41pm2q
さて、蘆名修理大夫盛高は俗類の親しみにより師(天海)を会津に呼び請け、
稲荷堂の別当にした。盛重が会津を落とされて常陸国江戸崎という所に移ると
師も伴われ、その領分の不動院という旧寺があったものを修造して住まわれた。

文禄二年の夏、日照りが続いて草はみな枯れてしおれ、千里の間に青苗は見えず、
民は憂いてどうしようもなかった。里の人々は苦しんで師に雨の祈りを願ったので、
師がただちに川のふちに出て修法なさるところに、一人の女が五鈷を持ってきた。

女は「これで加持してください」と言って師に五鈷を与えて消えてしまった。
師は川のふちにのぞみ請雨の法を執り行い、仏舎利一粒を竹葉に乗せて水の上に
浮かべなさった。

すると水中より青蛇が出てきて舎利を咥えて沈んだ。少しの間に黒雲は立ち重なり、
雷はひどくうなって稲光が起こると、急に大雨が降って枯れた稲葉も色を変え、
百穀は実って人民も栄えた。

先の女についてはその行方を尋ねたが、どこの誰とも知る人はいなかったという。
五鈷は今に当山の霊堂にある。

――『東叡山開山慈眼大師縁起』




663 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/11(木) 20:05:54.43 ID:9wcel/X/
本物の仏舎利なら、五鈷より貴重な気がするけど

蘆名の勇者・河原田如礫

2011年04月10日 00:01

808 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/08(金) 22:32:43.91 ID:WTLYu8Ac
蘆名盛高といえば戦国初期、蘆名氏を戦国大名として飛躍させた名君である。

その蘆名盛高の家臣、猪苗代某は当時14・5歳の美少年であったが、新國藤兵衛という者の愛人であった。
この両名が談合して、蘆名盛高が向羽黒が出かけた留守に、若松の城を乗っ取る、という事件があった。
しかし高盛はそれを知ると直ぐに取って返し城に突入、猪苗代、新國両名を城中にて討ち取り
さらにその協力者たちも皆撫で斬り(皆殺し)にした。
この時の事、『盛高の武勇、世の常にあらず』と、人々から大いに感嘆されたという。

さて、この時蘆名盛高麾下の河原田如礫と言うもの、若松の城への突入前、盛高に

「今宵は首三つほど取りましょう」

と言い、その言葉の通りの働きをした。
この河原田如礫というのは、会津三千騎の内でも無双の勇者と呼ばれる男であった。
彼は常に

「総じて戦場にあって、軍勢が集中している所に同じように寄って行っても居、手柄を立てることは
出来ない。私はそういう時はあえて、軍勢が集まって居ないところから攻めかかるようにしている。」

と、言っていたと云う。

さてある時、城下である者が足軽を殺して立てこもる、という事があった。
この者強く人々手を出しかねているところに、河原田如礫が来て、自分の太刀を縄でくくりつけ
立てこもっている者に投げ渡し、語りかける。

「このように武器は渡した!安心して私を近付けよ!その方の言い分を私に聞かせなさい!」

立てこもりの男、これに納得し如礫が近づくことを許した。
と、

如礫、間合いに入った瞬間踏み込み、たちまちこの男を召し捕った。


蘆名盛高の勇将、河原田如礫について伝わる話である。





809 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/08(金) 22:41:12.71 ID:/bDl+/Iz
>>808
若松は地名に松をつけるのが好きな蒲生さんがつけた名前で以前は黒川な

ちなみに会津若松と松坂は蒲生さんつながりで交流がある

810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/08(金) 23:40:12.48 ID:WTLYu8Ac
>>809
> 若松は地名に松をつけるのが好きな蒲生さんがつけた名前で以前は黒川な

なので「若松の城」と、「の」を付けておいた。まあ察してくださいw

811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/09(土) 03:43:58.42 ID:sR5X/vuM
>>808

上泉信綱が剃髪して僧体を装い人質の子供に飯を与えたいと言って小屋に入り
相手の油断を誘った逸話にも似ているね

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/09(土) 11:08:12.20 ID:QDhaV804
七人の侍でも引用されてたな、そのエピソード。

813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/09(土) 12:14:41.89 ID:msNTlpon
なんて的確で冷静な判断力なんだ!!の元ネタなんか