FC2ブログ

虎姫の戦い

2012年04月26日 21:14

841 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 20:57:25.11 ID:sev6+b2r
虎姫の戦い

賤ヶ岳で有名な鬼玄蕃・佐久間盛政が滅んだ時、一人娘である虎姫が残された。

盛政を高く評価していた秀吉は、この虎姫の結婚の仲立ちをした。
結婚相手は何と、その佐久間盛政が賤ヶ岳においてその陣を急襲し討ち死にさせた中川清秀の次男、
中川秀成であった。
秀成の兄、播州三木城・6万6千石の中川秀正が文禄二年(1594)、朝鮮水原城のほとりで
鷹狩りをしていたところを毒矢で射かけられて没すると、秀吉は秀成に家督を継ぐことを
認めると同時に、この結婚を命じたのだ。

中川家では佐久間盛政との戦いで、清秀を始めとして多数の死者を出したこともあって、この結婚に
大いに不満であったが、秀吉の命には逆らえず、秀成は虎姫を迎えた。

しかしこの夫婦の仲は至って良く、嫡男久盛をはじめ、多くの子宝に恵まれた。

慶長15年(1610)1月、7人目の子を妊娠した虎姫は、夫・秀成に願い事をした

「もし今度の子供が男子ならば、その子に盛政の佐久間家を継がせたいのです。」

はたして生まれた子は男子であった。ところが虎姫は産後の肥立ちが悪く、間もなく死んでしまう。
しかし秀成は妻との約束を守った。彼は生まれた子を内記と名付けると、これを佐久間盛政の弟、勝之
(鬼玄蕃の弟たちのその後http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6335.htmlこの話の佐久間源六)
に養子に出した。勝之はこの甥を養育し、元服すると『佐久間勝成』を名乗らせ、自分の娘と結婚させた。
ここに盛政流佐久間家の復興は成った。

この後、この新生佐久間家は中川家の親族衆として存続、明治まで至る。

余談だが、虎姫は息子である嫡男の中川久盛にも一つ頼みごとをしていた。それは父、佐久間盛政
菩提寺を建立して欲しい、ということであった。

彼も母の死後、その約束を果たした。その菩提寺の名は『英雄寺』という。


佐久間盛政の娘、虎姫の、佐久間家のための戦いであった。





842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 21:26:20.78 ID:esZJkMB/
またもイイ話

映画化されてもいいくらいだと思うが
賤ヶ岳の戦犯にされてるから
あまり世間受けしないのかな?

843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 21:41:29.74 ID:GEiclbes
シエや山内妻の活躍なんかが捏造されるのに比べて
こういう実際にあった女性の働きが埋もれるのはもどかしいな
スポンサーサイト