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ただ紙を漉かせる事はいらざること

2016年12月20日 14:11

430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/20(火) 03:24:51.69 ID:PnlhRuy0
 蜂須賀蓬庵(家政)の代に、土佐の国で土佐紙を漉くという弥右衛門が土佐の国を立ち去って阿波の国へ来た。
諸役人はこのことを聞き及んだ。
「重宝な者が来たものだ。
阿波でも紙を漉かせて商売させたら、ここもにぎやかになって太守の為にも良いだろう。」
以上の次第を奉行人に訴えて居所等もしつらえて、「今にも土佐紙などを漉かせよう」と言い合った。
 この事を蓬庵へ申し上げると
「この国へ来た者を養育するのはもっともである。
しかし紙を漉かせる事は堅く無用である。
理由は古くから土佐紙として土佐の国で漉いていた物を、
ここへ奪い取り、ただ自分の利のために養育するのも不本意である。
だからといって、彼に居心地が悪い思いをさせるのはいかがなことか。
ずいぶんと労ってやれ。ただ紙を漉かせる事はいらざることである。」
と制止されたという。
ありがたい心ばえで、利を見て義を思うことは殊勝であった。
(武士としては)



433 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/12/20(火) 14:44:05.91 ID:InVZn0qf
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さらに、大谷吉継に至っては

2016年02月04日 09:22

248 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/03(水) 20:57:26.92 ID:SFRxxhq/
慶長4年正月21日、加賀大納言(前田)利家、並びに奉行衆よりの使いとして、
元長老の生駒親正らが徳川家康の屋敷を訪れ、
「太閤御他界以後、数ヶ月も立っていないというのに、各大名と御縁組を行ってっている儀、
我儘である。」
との内容の抗議を申し上げたという。

奉行衆よりは、大崎少将(伊達)政宗、福島正則、蜂須賀家政の3将に使いがあった。
その内容は、各々が奉行衆に相談もなく徳川秀忠と縁組をしたことは、御掟を背き
不届きのことである、という物であった。

伊達政宗はこの返答に
「私は知らないことだ。今井宗薫とかいう堺の町人がこの才覚をしていると聞いている。」
と言うばかりであった。その後奉行衆は、宗薫を呼び出し詮議をした。

福島正則と蜂須賀家政の返答の内、蜂須賀は
「我ら阿波守護家は太閤の御爪の端にも連なる者です。そんな我々が家康公親子と婚姻を取り行えば、
万端その御意を得ていないといっても、これにより家康公が、猶以って秀頼公に御無沙汰することが
無くなると考え、この事は然るべしと判断し、婚姻を申し上げたのです。」
そう答えた。

この事により、諸大名は思い思いの行動をした。
内府公には、池田輝政とその一党、福島正則、黒田如水・長政父子、藤堂高虎、森忠政、
および新庄駿河守その他小身衆が集まり、また有馬法印則頼、金森法印、織田有楽という人々も、
何れも関東方であった。
大小身共に、毎夜内府公の御屋形に詰めていた。

さらに、大谷吉継に至っては
「もし家康公に敵が攻撃してくれば、私がいつでも先手を仕り、奉行共と一合戦いたします!」
そう宣言し、自身の屋敷に人数を集め奉行衆の軍勢を待ち受けていたという。

(玉露叢)



249 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/03(水) 23:03:53.96 ID:sqK6NI4q
良い時代があったのだな

250 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/03(水) 23:09:51.66 ID:DsX79652
なぜここまであからさまに家康の味方をしていた大谷が関ヶ原では反家康を旗幟鮮明にしたのか
(脇坂みたいにこっそり通じて、秀秋+脇坂朽木赤座小川といっしょに寝返ってもよかったのでは)
そして関ヶ原後、大谷については賞賛こそされ、謗られることがほとんどなかったのか不思議

251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/03(水) 23:11:49.05 ID:9jmumgSk
前田が嫌いなだけやん

252 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/03(水) 23:14:02.86 ID:DsX79652
なるほど丹羽長重と同じだったと

253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/03(水) 23:37:13.58 ID:9jmumgSk
そう考えればしっくりこないか?

255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/04(木) 00:57:58.65 ID:u32bMwyM
家康は上杉征伐の直前あたりでも景勝に縁談持ちかけたりして
(子供いないのに上杉家の誰に縁談したのか謎)
輝元が怒ったりしてるから

蜂須賀家政は庭に松を植えようと思い

2014年03月17日 19:08

647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/17(月) 18:00:34.28 ID:IFrmhOaB
蜂須賀家政は庭に松を植えようと思い、方々に松を探し求めても無かったところに、
図らずも心に叶った松を取り寄せて殊の外秘蔵に思った。すぐに望んだ居間の小庭に
植えたところ、

御庭裁判役人は数寄屋足袋や立付の姿で杖を突いて下知した。家政はこれに立腹し、
自らその松の辺りへ立ち寄り、土を寄せて「秘蔵である!」と言った。

これによって裁判役人は急に働いた。家政は座敷へ上り、立腹の声で、
「この松が枯れた時は、弓矢八幡、裁判人を磔にかける!」と言って入った。

そうして二、三日が過ぎて松の葉の色が悪くなったため、枯れるのではないかと、
御庭裁判人は殊の外気遣った。そして四日目の早朝、家政は件の松を見て御側の面々に
「この松の裏を表へ植え替えさせろ」と言って、内証へ入った。

故に早速植え直してその旨を申し上げると、家政は出て見たうえで「これでは枝付きが悪い。
この枝を切れ」と、望んだ五枝ほどに付紙をした。そのため、早速枝下ろししたところ、
その翌朝、また松を見て「なんとまあ、枝下ろしが物の数寄を仕損じて枝振りが悪くなった。
根から切って捨てろ」と命じて、眼前で土際から切らせたとのこと。

この事を、その節に沙汰して「植木に人を替えなければならない事情も無いということ、
また、御誓言も無かったことにするべきではないとの御思案ではないか」と恐察した。

――『尊語集』




648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/17(月) 18:21:26.47 ID:N9X7t7tY
なるほど
枯れる前に捨ててしまえば、裁判人を磔にしなくて済むし、八幡大菩薩への誓いも嘘にはならない。
裁判人も怒られてからは一所懸命に松育ててるしな。
なにも最初の発言通りに枯れるまで待って反省した者を磔にする必要はない。
蜂須賀さんは良い大将だね

蜂須賀家の家老に不和な関係の者がいた時

2013年10月14日 19:44

477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/14(月) 14:45:50.53 ID:46He+r5z
蜂須賀家の家老に不和な関係の者がいた時、蜂須賀家政はそれぞれを
西の丸へ呼び出した。そして家政は、

「おのれの威を振るわんがために家老たちの仲が悪くなることは
大きな不忠である。大名が身の上を潰すような国を危うくする出来事が、

家老の不和に基づいて起きた例は少なくない。この中にも不和な間柄の者が
いると聞いた。今後は、そのような者(一本志)のないようにせよ」と言って、

刀を左の膝に敷いて、機嫌を悪くして怒った。そして酒を持って来させて
「おのおの盃を致せ」と命じ、それぞれ盃をして退出したという。

――『尊語集』




478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/14(月) 19:26:58.70 ID:Ve7k81C6
家老「チッ、うっせーな」

479 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/14(月) 20:51:04.34 ID:X/J4rbZ0
「刀を左の膝に敷いて」とは、どういう状態?
怒ってるぞ!ってこと?

480 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/14(月) 20:57:17.45 ID:GRINmup/
いつでも抜けるようにしてってことか?

481 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/14(月) 21:20:17.09 ID:8fHQ++1g
手打ちにするか、手討ちにされるか

482 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/14(月) 21:37:33.47 ID:X/J4rbZ0
臨戦態勢ってことか
ありがとう

この仕置きによって岩屋は治まったという

2013年10月10日 20:34

465 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/10(木) 19:13:52.24 ID:/yWrti/2
江戸にいる蜂須賀家政のもとに淡路岩屋の百姓達十人ばかりが訴えてきた。

その子細は、岩屋に置かれた伏屋源兵衛は普段から万事辛く沙汰を行い、
その上、失態もあった。この数々を紙面で願い上げたが取り次ぐ者がいないので、
夜に岩屋より抜け出し、紙面を江戸に持参して直訴したのだという。

家政はこれを聞いて百姓達に向かい「皆々がはるばる参上して、この坊主を
取りはからうに足りる者と頼りに思ったことを満足に思う。私が帰国の上で
速やかに糾明しよう。

長旅にさぞ苦労したことであろう。ここで緩々と逗留して労を休めて、私より先に
帰るがよい」と言って、懇意の意向を示し、料理を与えた。百姓達は大喜びして
淡路へ帰った。

さて、家政は帰国すると「速やかに岩屋の百姓達は残らず参るように」と命じ、
百姓達は喜んで早々に参上した。この時、家政は国奉行をもって「お前達は先頃、
江戸へ参上した時に、どのようにして関所を通ったのだ」と尋ねた。

これに百姓達が申し上げるには「伏屋殿から隠れて仮屋より船で大坂へ参り、
それから江戸へ参上いたしました」とのことだった。

これを聞いた家政は「不届きな奴らめ。国法に背いて関所を破った罪は免れない。
ことごとく磔にせよ」と命じた。この仕置きによって岩屋は治まったという。

――『尊語集』





ただ、感戴の心を持って

2013年09月14日 19:59

118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/14(土) 17:51:50.23 ID:bupZ0KhP
井伊直孝は初め上野二万石を領した。蜂須賀家政は阿波に封じられるや、
直孝の器識卓越を見て、三女を直孝に嫁がせた。後に直孝は大坂の役で功あって
彦根三十万石となった。直孝は深く主恩に感激して、つねづね人に対してこれを語った。

家政はしばしばこれを諌めて「ただ、感戴の心を持って、その終わりを全うするべきだ。
盛んにこれを言い立てるよりも、黙々と胸中に銘じたほうが良い」と、言った。
直孝は深く感謝して、これを常に徳とした。

――『蜂須賀蓬庵』




119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/14(土) 17:57:35.68 ID:aKzFUpsv
井伊ハナシダナァ

120 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/14(土) 18:00:10.24 ID:6dKoS9sY
釣りバカ家政様か

121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/14(土) 18:48:17.27 ID:yUnyqPrA
これ以外にも家政の見識や寛大さを伝える話が色々残ってるのに、
なぜヤツはこの人のことを「古狸」なんて言ったんだろうw

122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/14(土) 18:58:55.35 ID:XLGnFnct
「阿波の古狸」はよく聞くけどアレの出典はなんなんだろうね。

123 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/14(土) 19:05:57.03 ID:1coYmZzv
政宗が家政評した話の出典?

124 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/14(土) 19:14:43.78 ID:XLGnFnct
>>123
それそれ。
自分が不勉強なのだろうけど、出典が良く判らんと言う。

蜂須賀家政はついに忠英と

2013年08月22日 19:52

949 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/22(木) 17:22:05.43 ID:A+4h7HRK
蜂須賀忠英が江戸にいた時、祖父家政が病気になった。知らせを聞いた忠英は許可を得て
国に帰り、家政を見舞った。しかし家政は喜ばず、近臣を介して、

「参勤は公事であって私的なことではない。一度国を出れば、生死はわからないものだ。
武士の出門は常に決別と知れ。故に今になって対面することは不要。早く帰って公事を怠るな」

と告げて、ついに忠英と会わなかった。

――『蜂須賀蓬庵』

950 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/22(木) 17:29:38.98 ID:NHyKSG+7
忠英ってあまり聞かないから何代目か調べたら二代目阿波藩主だったか
正勝(小六)、家政、至鎮と初代阿波藩主っぽいのが三人いるからややこしい

赤松家、そして大物崩れの事

2013年04月03日 19:50

143 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/03(水) 15:38:49.79 ID:vI2wcPwD
播磨の赤松殿の事を、蓬庵様(蜂須賀家政)が安太夫にお尋ねになり、私が参って物語をした。

その内容は、性因様(赤松義村)はその身長が3尺(約1メートル)ほどだったが、
ご器量のある方で備前播磨美作3ヶ国の国主の座を守っておられた。

ところが備前の浦上(村宗)と、性雲様(義村の養父・赤松政則)の北の方(洞松院)が
仲良くなられ、義村様に毒を盛り、相果てられた。

これにより浦上は、その御後に赤松晴政様が立てられた。この時晴政様はご幼少であったので、
その経緯を全くご存じなかった。
晴政様が16歳になられた時、小姓衆が密かに囁き申し上げたため、初めて自分が擁立された経緯を
知ったのである。

晴政様は阿波の御屋形様(細川持隆か)の婿であったため、阿波との間に浦上を殺す密謀を
交わした。

そのうちに、阿波と播磨の間に合戦が起き、播磨衆は摂津国天王寺に陣取り、阿波衆は堺に陣取った。
(享禄4年(1531年)大物崩れの戦い)
この時、晴政様は兵庫の高山で寝返りの合図の狼煙を上げられ、この寝返りにより
天王寺の播磨衆は崩れ、大物と西宮の横河にて水に溺れ、1万人が死んだ。

このように安太夫に申し上げた。

この合戦について阿波では、『溺れ死んだ戦死者は皆蟹になった、その蟹の甲羅は
人の顔のようであった』と言われた。
これは歌念仏に作られ、その念仏の名は「しまむら念仏」と呼ばれた。

このことを覚えていた人が慶長の年号の頃まで存命であり、語られていたのである。
(三好記)

三好記より、大物崩れについての証言である




144 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/04/03(水) 17:14:46.53 ID:ziJWCEde
平家以外にもカニになった人たちがいたのか。

145 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/03(水) 17:21:43.04 ID:wE8I+kH0
>>143
   (~)
 γ´⌒`ヽ
  {i:i:i:i:i:i:i:i:}
 ( ´・ω・)  観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄
  (:::::::::::::)  舎利子 色不異空、空不異色、色即是空、空即是色
   し─J

146 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/03(水) 18:13:20.26 ID:/eUye+tw
>>143
蟹になったのが、宇喜多能家を夜討した島村豊後守の父と言われてるんですね。

147 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/03(水) 21:54:30.76 ID:47EmYUcI
蟹食い放題だな。
てか、西宮の川ってどこだろう?
武庫川かな?

154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/04(木) 12:37:25.40 ID:5fI42eIS
>>143
>性因様(赤松義村)はその身長が3尺(約1メートル)ほどだったが、
まだ子供という意味かと思ったら推定没年30歳前後だった
ちっちゃいおっさんで有名な山県昌景より更に一尺短いって最早妖精かなんかじゃないのかw

156 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/04(木) 17:28:37.38 ID:bc5BS2dc
>>154
三尺入道、赤松義則も満祐もちっちゃかったし
赤松一族はコロポックルの親戚と考えるのが妥当

157 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/04(木) 17:56:30.79 ID:SY64RZc2
>>156
http://en.wikipedia.org/wiki/Ovitz_family

殿は、湯漬をたてつづけに三杯おかわりした

2012年10月21日 19:29

11 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/20(土) 19:20:40.21 ID:i8J/WV84
慶長5年(1600年)7月、家康を弾劾する『内府ちがいの条々』が
全国の大名諸侯にばら撒かれたときのこと。
弾劾文を受け取った大名のひとり蜂須賀家政は、
大坂の屋敷で考え事をしていた。


――嫡男の至鎮は内府の娘を娶ったし、今は内府について会津にいる。
蜂須賀家が内府に組みすると見られているのは間違いない。
――だが、藩主の自分と蜂須賀の兵がこっち(上方)にいるとなると、
いずれ大坂城(西軍)に取り込まれるのは避けられない。


――そうなったら、たとえその後の戦で内府が勝っても、蜂須賀家やばくね?
――よし、ならば……。

決意した家政は、ある行動に出る……それは別の機会に。


本題はこちら。
上記は史実を元に家政視点で創作したものだが、第三者の視点では
家政の様子を次のように記している。

「殿は、湯漬をたてつづけに三杯おかわりした。
この大変な時にも食欲を失わないとは、なんと豪胆なことか」

どうやら家政さん、考え事は食事中にしていたようで。
これは創作ではなく、蜂須賀家の家譜に記録された本当の話。


竜頭蛇尾なネタで失礼しました。




18 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/20(土) 22:04:37.27 ID:cAR48cti
>>17
創作は勘弁してくれ。

わしが離島に流されておる世に、蜂須賀の家はなぜ

2011年08月29日 22:43

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 19:56:56.85 ID:J74Cp+SV
ある時、八丈島に江戸への廻船が漂着した。さっそく宇喜多秀家がやって来て、船頭に本土の事を聞いた。

「ほほう、江戸へ荷を運ぶ舟か!して、どこからの荷を運ぶのだね?」
「はい、阿波からの荷を運んでおります。」
「阿波か……今、阿波のご領主は、どなたかな?」
「松平阿波守様でございますね。」

秀家は、小首をかしげた。
「……?聞いた事のない家だ。徳川殿のご親戚か?」
「おや、ご存じない。なァに、蜂須賀様のことですよ。公方様から、松平姓を下賜されておいでです。」

ますます秀家は、首をひねった。
「わしが離島に流されておる世に、蜂須賀の家はなぜ今も存続している……?」(想古録より)


一方その頃、蜂須賀家政は伊達政宗に『阿波の古狸』と呼ばれていた。




583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:13:16.48 ID:N3FqdAgo
>ある時、八丈島に江戸への廻船が漂着した。さっそく宇喜多秀家がやって来て

また酒をせびりに行ったのかと思ったよw

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:29:52.40 ID:G7S70noy
>>582
蜂須賀家と宇喜多家って何か確執あったっけ?

585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:30:31.28 ID:q5Apfb6S
漂着した船に最初に近づくのは宇喜多秀家と決まっていたと想像させるなw

587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:36:02.04 ID:EzRAhmuq
何も無くて暇なんだろうな…

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:36:37.99 ID:HzqxeYRg
>>584
「えっ、あのおっさん西軍やったやん?」くらいじゃねーかな?

589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:55:35.78 ID:eG7S93P8
関ヶ原時は家政は高野山にひきこもり、息子の至鎮は東軍についたから
西軍じゃなくないか

590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:56:32.12 ID:YhD5zXjH
>>582
そういや秀家が知ってるのは「湯漬け三杯食ったと思ったらいきなり領地返上して高野山に引きこもった」ところまでだったな。

591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:58:32.01 ID:EzRAhmuq
>>589
西軍に攻められてあっさり城明け渡したから
事情詳しくない人には加担したと見られてもおかしくないかも

592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 22:07:47.30 ID:CSlBG1Vt
しかも至鎮が率いていたのは、十数人程度の小勢じゃなかったっけ?

593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 22:22:08.48 ID:e96XCm4/
阿波国内は毛利氏の家臣団が占拠された上、家政自身は逼塞を余儀なくされたみたいだし、
蜂須賀家政が西軍という認識は秀家にはなかったと思うけど、おそらくは蜂須賀といえば正勝以来の
豊臣家にゆかりの深い家だっただけに、「あれ、取り潰されてないんだ」という違和感を持ったって話かな

594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 22:35:12.20 ID:YhD5zXjH
蜂須賀黒田浅野といえば、ちょっとでも胡散臭い大名には無理やり羽柴姓を名乗らせた秀吉から羽柴姓を押し付けられなかった譜代中の譜代だからな。
一方で揃って松平姓押し付けられてるけどw

595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 22:46:34.91 ID:N6m879jK
秀家が流刑になったの1606年だから知ってるでしょうよ

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 22:48:24.16 ID:eG7S93P8
福島正則の改易前なら、同じく家康の養女をもらっている
蜂須賀が取り潰されと思うのは変な気も
改易後なら・・・酒をせびる相手がいなくなったから、新しい標的にしようと思ったんだろうか

597 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 22:50:28.97 ID:q5Apfb6S
秀家「あれ?酒は?」  って話じゃないの?

598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/30(火) 01:49:45.84 ID:oJQXviBU
羽柴姓受領と豊臣を名乗ることは
この時期どの位の価値があったのかよくわからん
豊臣朝臣清正って名乗ってなんで怒られたの?

599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/30(火) 02:20:33.82 ID:tHRXCUMQ
>>598
朝鮮役の頃は豊臣姓授与が武功への一種の褒美として与えられていたようで(だから陪臣でも
豊臣姓がやたら居る)勝手に豊臣姓を名乗るというのはその褒賞秩序も破壊する行為に成る。

蜂須賀家政、百五十石の浅田亀之亟に

2011年03月30日 00:01

607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 10:26:04.45 ID:ksf/PHhw
>>591 
そういえば蜂須賀家政の話にも
当時の大名の逸話らしく、質素倹約を尊ぶ話が多いんだが、
中に毛色の変わったものがあった
浅田亀之亟という家臣が御用があって料理を頂いていた時
そこに家政が入ってきて雑談していったそうだ
「お前は今知行をいかほど取っているのか」と聞かれたので
百五十石ですと申し上げたところ
「私が織田信長に仕えていた頃も百五十石取っていたが
あれは不自由なものだった
とはいえ、私は元々親が大身であったので、その分家で使っている人間も多く、
それほどでもないところがあったが、その方はさぞ難儀だろうな」
こう言ったあと、ふと付け加えて笑ったそうだ
「その頃私は革袴を持っていて、それを周りの者から随分羨ましがられた
ものだったが、今時ではそんなこともないだろうな」

経済が成長して、ちょっとしたぜいたく品だったものが一般に普及したり
戦がなくなったせいで需要が減ったりしたのかなーと考えさせられた
平和な時代だと、武士もいざという時のためにひたすら貯め込んでおく必要性薄れるだろうしね




608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 10:52:14.91 ID:IrkOfTjv
戦時だと軍役が定期的にあるから。
刀も消耗品と、一本あればいい平時では同じ収入でも余裕が違う。

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 12:19:49.29 ID:903fpAuW
そもそも戦場で刀使わないのになんで消耗するんだよ

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 12:25:06.85 ID:ITeY+K8m
>>609
いまどき合戦での刀否定なんて鈴木信者かよ?
普通に使ってたっつーの。

611 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 12:52:33.36 ID:eRDgox0+
手入れを怠って劣化したり、金に困って売ったりするからじゃないかw>平時の消耗

612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 12:55:26.78 ID:4YtqyzhV
馬も高い金出して名馬一頭買うくらいなら、その金で普通の馬3頭買え、
なんて話もあったな。

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 13:16:46.97 ID:Ftar+IRJ
ジミーさんと高虎の運用思想の違いの類型の話やね。

614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 14:04:28.75 ID:jl621Qg5
竹中さんが牛に乗り換えました

蜂須賀家政、平家の亡霊におびえる?

2011年02月08日 00:00

695 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/07(月) 18:20:58 ID:tdpRK57b
蜂須賀家政、平家の亡霊におびえる?

時は天正15年のこと、前年に阿波に入国した蜂須賀家政は、
領国の経営に頭を悩ませる日々を送っていた。
長宗我部元親を抑え、四国を平定はしたものの、
当時、阿波には未だ多くの有力土豪や山間部の土豪、地侍、三好氏の残党、
土地持ち本百姓の一揆など、また新たに抱えた諸浪人たちが家政に服さないのではないかと心配事は多かった。
そんな中、とんでも無いものが発見された、
山間部、祖谷地方の阿佐家が隠し持っていた、一対の「平家の赤旗」である。
軍旗は戦において非常に重要なものであるが、いくら何でも物持ちが良すぎる、
源平の合戦はこの時既に400年も昔の事で有る。

しかし、いくら古いものとはいえ、軍旗は軍旗、
それを南北朝期には足利幕府をさんざん悩ませた、阿波山岳武士の末裔が所持していたのである、
さすがに見過ごす訳にはいかない、あえなく没収となったのである。


・・・ご存知の方も多いと思いますが、この話、後日談があって、
この平家の赤旗、現在も伝わっております、それも没収された筈の当の阿佐家に。
なんでも、蜂須賀家の手によって掛け軸として表装して返されたんだそうであります。
掛け軸にしてしまえば、軍旗として使えないということなのでしょうが、
ずいぶん気を使った処置ですね、いったい何があったんでしょう?
今となってはわかりません。




696 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/08(火) 00:37:51 ID:EO1kr+RX
新聞赤旗・・・いや、なんでもない

697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/08(火) 17:17:39 ID:hhreNxhC
共産党は桓武天皇の末裔。

蜂須賀家政と僧侶たちの訴訟

2011年02月02日 00:00

607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/31(月) 22:56:33 ID:Lz/Itk3h
蜂須賀家政が阿波の国で孫の後見をしていた頃、
寺町のある寺の僧侶たちの間でもめ事が起こり、訴訟にまで発展した。
家政はこれを聞いて、その件はそのまま放置しておくよう指示していたが、
その後ふと駕籠で寺町まで赴き、寺に上がり込むと当事者である僧侶たちを呼び出した。
家政は、双方の言い分を聞いた後、こう言い渡した。
「そもそも、お前たち出家は自分たちが人のもめ事を仲裁する立場だろう
そのお前たちが訴訟を起こしたなんて話になったら聞こえがよくない
とにかく今回はやめておけ」
そして硯と紙を借りると、さらさらと歌を書きつけて僧侶たちに差し出し
さっさと帰ってしまったそうだ。

 山寺の春の夕公事来て聞けば 入相の鐘にわけも聞へず

…新古今和歌集に能因法師の「山里の春の夕暮来てみれば 入相の鐘に花ぞ散りける」と
いうのがあるが、これを引き合いに出して
「全く能因法師の言うとおり、私なんか公事を聞きに来たけど、花が散るように鐘の音で
坊主の言い分も聞こえなかったよ、なかったことにしてもいいよね?」と言いたかった…
と、取ればいいのかな。
家政のユーモアを感じて面白かったが、僧侶たちは煙に巻かれた気分だろうなと思って
こっちに投下。