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128 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/28(日) 17:32:04.64 ID:1ZZownvI
古観世大夫の堪能
ある宴の中である人が話した。
猷廟(家光)の御時の事である。
観世大夫は猿楽に堪能であった。
そこで、猷廟は柳生但馬守(宗矩)に仰せられた。
「観世の所作を見よ。もし彼が心に隙間があり、”斬るならここだ”と思ったら申せ」
但州はかしこまって所作を見届けた。上意で
「いかがであったか」
と問われると、但州が答えた。
「始めから心をこめていましたが少しも斬るべき瞬間はありませんでした。
しかし舞の中で、大臣が柱の方で方向を変えましたとき少し隙間がありました。
あの所でなら斬り遂げることができましょう。」
観世が楽屋に入って
「今日見物の中に一人、我が所作をじっと見ていた男がいた。何者か」
と言う。傍らから、
「あれこそ名高い柳生殿よ、剣術の達人である。」
と言うのを聞いて観世は
「だから我が所作を目を離さずじっと観ておられたのか。
舞の中で方向を変えた所で少し気を抜いていると、にっこりと笑われので、
理解できないことだと思っていたが、やはり剣術の達人であられたか。」
と言った。
後に猷廟がこれを聞かれて、御感悦されたという。
(甲子夜話)
そういえば、宗矩は能が好きだという話でしたね
129 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/28(日) 17:33:46.64 ID:d+dwh2jF
>>128
こういう逸話好きだ
140 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/01(木) 14:56:02.26 ID:CL0LzVRD
>>128
柳生一族の能好きは宗矩に限ったことではない
柳生一門で武術修業した兄弟弟子に能のプロ金春流宗家金春七郎氏勝がいる
おそらくはこの七郎が、柳生一門の宗矩と同世代の中では、エースだった
柳生兵庫助は、自分の門下で目を惹く才能を感じた逸材に対して「七郎の再来」と期待を寄せたほど
宗矩にとってはかつて身近に能のプロがいて(過去形なのは、七郎は早逝したため)、
なおかつそれが武術の達人であったため、
能の武術的な動きに対する評価は非常に辛いものだと考えられる
そんな宗矩から合格点を出されたと解釈できる
古観世大夫の堪能
ある宴の中である人が話した。
猷廟(家光)の御時の事である。
観世大夫は猿楽に堪能であった。
そこで、猷廟は柳生但馬守(宗矩)に仰せられた。
「観世の所作を見よ。もし彼が心に隙間があり、”斬るならここだ”と思ったら申せ」
但州はかしこまって所作を見届けた。上意で
「いかがであったか」
と問われると、但州が答えた。
「始めから心をこめていましたが少しも斬るべき瞬間はありませんでした。
しかし舞の中で、大臣が柱の方で方向を変えましたとき少し隙間がありました。
あの所でなら斬り遂げることができましょう。」
観世が楽屋に入って
「今日見物の中に一人、我が所作をじっと見ていた男がいた。何者か」
と言う。傍らから、
「あれこそ名高い柳生殿よ、剣術の達人である。」
と言うのを聞いて観世は
「だから我が所作を目を離さずじっと観ておられたのか。
舞の中で方向を変えた所で少し気を抜いていると、にっこりと笑われので、
理解できないことだと思っていたが、やはり剣術の達人であられたか。」
と言った。
後に猷廟がこれを聞かれて、御感悦されたという。
(甲子夜話)
そういえば、宗矩は能が好きだという話でしたね
129 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/28(日) 17:33:46.64 ID:d+dwh2jF
>>128
こういう逸話好きだ
130 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/28(日) 18:13:49.13 ID:5iFImsmR
似たような話が江戸時代にもあるな
渋川流柔術二代目の渋川胤親が初代市川團十郎の歌舞伎を見て
「團十郎の立ち回りの動きは素晴らしい、あの動きなら私でも組み伏せることはできないだろう」
と言ったため、市川團十郎の評判がますます高まった。
しかし元禄17年2月19日、市川團十郎は舞台の上で役者の生島半六により刺殺。
「市川團十郎の動きには隙がないのではなかったのか?」
と尋ねられた渋川胤親は
「役者が隙のない動きを見せると言ってもそれは立ち回りの際の一瞬のことにすぎない
われわれ武道家はそれを絶えず行わなければならないからわれわれの価値があるのだ」
と言ったとかなんとか
140 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/01(木) 14:56:02.26 ID:CL0LzVRD
>>128
柳生一族の能好きは宗矩に限ったことではない
柳生一門で武術修業した兄弟弟子に能のプロ金春流宗家金春七郎氏勝がいる
おそらくはこの七郎が、柳生一門の宗矩と同世代の中では、エースだった
柳生兵庫助は、自分の門下で目を惹く才能を感じた逸材に対して「七郎の再来」と期待を寄せたほど
宗矩にとってはかつて身近に能のプロがいて(過去形なのは、七郎は早逝したため)、
なおかつそれが武術の達人であったため、
能の武術的な動きに対する評価は非常に辛いものだと考えられる
そんな宗矩から合格点を出されたと解釈できる
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