忠輝卿幽閉

2017年01月18日 10:07

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/18(水) 04:39:20.20 ID:3YTafbkP
越前少将忠輝卿(松平忠輝)は性質剛強にして武芸に達し、猛勇の大将であるが
思慮は浅く、大坂夏の陣の時に大和口の総大将に命ぜられながら、

軍場へも御出にならず、その他条々の御不審を蒙り、飛騨国へ配流されたのだが、
その後に信濃諏訪の高島城の南の丸へ移された。

この城は三方に湖水、一方には大沼があった。その中に縄手があって、左右には
柳があったため、“柳縄手”という。南の丸は本丸の下で、一方口であり湖水の端
である。館の外には塀があって塀の上には忍び返しを付け、その外に二重の柵を

付けて、柵の間は30間に1ヶ所ずつ番所を立て、昼夜番士を置きなさり、半時毎
に見回った。その厳重なことは、いかなる故にかと不審に思う人もいたという。

忠輝卿へは1ヶ年に金3百両、米3百人扶持が将軍家から御合力された。城主の
因幡守(諏訪頼水)からは、薪千駄ずつが差し上げられた。また参勤帰城や年頭
の礼として1ヶ年に2度、因幡守は南の丸に至って、御目通りがあった。

忠輝卿も1ヶ年に1度は、因幡守の館へ御出になったということである。忠輝卿は
御存生中、大坂の陣の御話しは1度もなさらなかったということである。

御預けの期間は50年余りになるから、御子も多く御出生したが、1人も柵から外
へ出さず、皆柵の内で相応に婚姻なさったということだ。忠輝卿は、御背丈は高く
もなかったが、眼は大きく御顔色は恐ろしく見え給うた。

――『明良洪範』



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