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先ず、茶湯の置合違たり!

2021年02月22日 19:09

谷衛友   
599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/02/22(月) 16:19:09.58 ID:fuLE/6ii
古田織部殿が茶湯宗匠の頃、彼が気に入っていた大工で、喜右衛門という者があった。
その頃茶湯を心がける人々は、織部を崇敬する余り、喜右衛門とも親密になった。
ある人が谷出羽守(衛友)殿を上客として、相伴衆二、三人の内に、かの大工・喜右衛門を
加えられた。

その朝に臨み、出羽守殿が入来あると、喜右衛門が路地に出迎え、「今朝の御相伴に、早々より
参り候」と申した所、出羽守殿は気色変わり、

「先ず、茶湯の置合違たり!」

と、立ち返ろうとしたのを、相伴の衆が色々に取り持ったため、異事は無かった。
その頃、この事については様々に批評された。

備前老人物語



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谷衛友は清正の態度に怒り

2015年12月06日 12:22

谷衛友   
83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/05(土) 19:35:55.18 ID:XxQWIDmT
>>80を投稿した者ですが谷大膳は衛友の父の衛好のことでした
この衛好は後に三木合戦で戦死しています

そのついでと言っては何ですが息子の谷出羽守衛友が加藤清正と喧嘩になった時の話を一つ

ある時加藤清正は家臣を追放してしかも奉公構にした。その家臣は谷衛友を頼り衛友はその家臣を許すよう清正と直談判した。
しかし清正は丹波山鹿の小大名にすぎない衛友の意見を聞き入れない。衛友は清正の態度に怒り一喝して清正に詰め寄り
その膝を抑えて身動きできなくしてから脇差に手をかけて互いに睨みあったという。(武功雑記)

何しろラスボス化した後年の秀吉にも媚びることをしなかった全身肝っ玉人間だから清正相手に遠慮するわけもなく…

ちなみにこの件で清正は「喧嘩ハ下手ナリ」(武功雑記)と言われてる
ただし「肥後守(清正)はかような匹夫の勇などのような事はこれなく候」とも弁護されている



古田織部が茶の湯の宗匠だった時

2014年04月25日 18:45

78 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/04/24(木) 20:57:18.18 ID:B5vX70uC
せっかくだから茶の湯の話をしようか。

古田織部が茶の湯の宗匠だった時のお話。

織部が気に入っていた大工に喜右衛門という者がいた。
そのころ茶の湯を嗜むものは織部を崇敬していたので、喜右衛門にも懇ろにしていた。

ある人が茶会を催し、谷衛友を上客にし、お相伴のニ三人のうちに喜右衛門を加えた。
その茶会の当日、やってきた谷衛友喜右衛門は露地で出迎えて
「今日はお相伴させて頂きますので、かなり早く来てしまいました。」
と言ったところ、谷衛友の機嫌はみるみる悪くなり
「客の選び方がおかしいだろ」
と帰りそうになったが、お相伴の人たちがいろいろ取りもって、何とか穏便に済ますことができた。

当時はこの出来事について、様々な批判がでたそうだ。





79 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/24(木) 21:06:09.90 ID:c8AoaX8x
そういえば今日へうげもの18巻発売日だったね(宣伝)
ついでにローゼンメイデン最終巻も買ってきたわ

『天下七兄弟』、辻小作と中黒道随

2011年12月10日 22:00

辻小作   
965 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/10(土) 18:17:54.50 ID:zanXQKqT
谷出羽(衛友)、稲葉内匠(正成)、池田輝政の重臣・丹羽山城(助兵衛)、増田長盛の家臣・渡辺勘兵衛、
福島正則の家臣・可児才蔵と辻小作、そして石田三成の客将・中黒道随は、身分や年齢を超えて交際しており、
互いに武勇に励むことを誓い、『天下七兄弟』と称した。

慶長5年(1600)9月、関が原の戦いにおいて、道随は石田隊として槍を振るったが、深田に馬を踏み入れてしまった。
「もはやこれまで」と覚悟を決めた道随は、味方が次々と落ち行く中、ただ一人踏み止まり、押し寄せる雑兵を
さんざんに蹴散らしまくった。

福島隊にあってこれを見ていた辻小作は、可児才蔵に呼びかけた。

「おい、才蔵よ。道随ならば良い手柄となろう。やるぞ!」
「薄情な事を言うな!我らの仲ではないか。助けてやれい。」
「むう。生け捕りにせんと思うたが、お主がそう言うなら・・・おーい、道随よ!日頃のよしみじゃ、助けるぞ。
これにつかまれ!」

道随のもとに馬を寄せた小作は、槍の柄を道随に突き出した。

「小作よ、何のマネじゃ。この期に及んで助かろうとは思わん。自害するゆえ、見届けよ。」
「なんじゃ。だまし討ちにするとでも思っとるのか?我らの間で、何をたばかる事があろうか。天地神明にかけて
お主を助けるぞ!」

ここまで言われて道随も槍の柄をつかみ、それを小作主従が引っ張り上げ、二人は連れ立って福島陣に戻った。
先に戻っていた才蔵は、道随の顔を見て喜んだ。
「やあ、良く生きとったな!」
「何とか引っ張り上げて来たぞ。やれやれ、骨が折れたわい。」小作は、具足を全て脱ぎ捨て大の字になった。


「・・・『武装も解いておらぬ先刻までの敵を前に、何という侮ったる振る舞いか!』
腹が煮えくり返ったワシは、槍を構えかけたが、命を救ってもろうた恩を思い、見逃してやったわ。」

のちに井伊家に仕えた道随は、若者たちを前に関が原のことを振り返り、そう言って笑ったという。
(常山紀談より)





966 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/10(土) 19:03:15.77 ID:bCgBfl6W
井伊家って旧石田家臣結構いるのかな

967 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/10(土) 19:36:35.23 ID:U5XJc8Mf
>「おい、才蔵よ。道随ならば良い手柄となろう。やるぞ!」



>「なんじゃ。だまし討ちにするとでも思っとるのか?我らの間で、何をたばかる事があろうか。天地神明にかけてお主を助けるぞ!」



小作気持ちの切り替え早すぎだろww