433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/30(金) 00:12:55.21 ID:S2VucTA+
私は、我等が主デウスが現世に於いても、その裁判によって悪人に悪事の報いを與え給う大いなる摂理を
賛美すべき他の一事を尊師に告ぐべし。
日本の諸宗教の中で最も傲慢、自尊にして放恣なのは、釈迦を尊信する法華宗と称するもので、その坊主は
福音の教え(キリスト教)の最大の敵にして、排斥者である。
その寺院の中に、ロチオ(六条
本圀寺)と称し、甚だ富み、恐るべき罪を犯す者達が有る。
この寺院は尊師も既にご存知のように、弾正殿(
松永久秀)が公方様(足利義輝)を殺した時、これに
千五百クルサドを贈り、ガスパル・ビレラ、及び私を殺すよう命ずることを請うたという多くの証拠がある。
しかし我等の所持していた免許状により、この事は不可能だったので、せめて我等を都より追放し、会堂を
奪うことを求め、これを実行した。我等が都を出る時、同寺の坊主は悉く来て、我等の追放を喜び、おおいに嘲笑した。
その後、寺院の側に、ギナイ(寺内)を造った。即ち美麗なる別荘にして、自由にその悪事を行い、
またこの世の富を増加する為である。
我等の主デウスがキリシタンの敵であることにより、ソータイ(霜台:弾正の唐名、
松永久秀)に與え給いし
第一の罰は、約二年半、彼を敵の攻囲中に置いたことであり、第二は公方様(
足利義昭)の赦免を得、
尾張の王(信長)の寵を受ける為に、一万クルザド余の最も良き品物を贈ったことである。
第三は、その世俗の権力を、十の内八を失い、今彼を重んずる者は居なくなるに至った事である。
ロチオの寺院の坊主たちは、尾張の王がこの公方様(義昭)を、その兄弟の位に復せん事を知り、遥か以前より
越前及び尾張の国に至り、公方様、及び上総殿より特許状(禁制)を得、軍隊が都に入る時、その寺院は何ら
害を被らず、またこれを宿舎としないよう計った。このために一万クルザドを消費した。
彼等は大いに安堵して喜び、その寺院に帰ったが、公方様(義輝)と共に、その母を殺した時、彼女の家が
甚だ佳い為、坊主たちは弾正殿の寵により、これを破壊して持ち出した事を聞いたと見え、
公方様(義昭)は都に入った時、その報いとして、部下を同寺に宿泊せしめた。
彼等はこのような大いなる圧迫を加えられないよう願ったが、彼(義昭)はこれを嘲笑した。
カンニシュ(三人衆)等が、公方様の滞在した寺院を囲もうとした時、第一に行ったのは、彼等の造った
新しいギナイを焼き、一軒も残さなかった事である。然れども、未だ坊主には、このような不幸によって
気づくものが無かった故に、彼等の艱難と不安はこれによって終わると考えていたが、その後、信長は
(二条城の)石材工事は既に終わったが、もし公方様の宮殿を新たに建設する時は、非常に遅延し、
公方様がまた、速やかに城に入ることが出来ないと思い、何ら躊躇すること無く、同寺の美麗なる座敷、
その他の部屋を破壊し、悉く屏風(画いた布の折り畳むもの)及び、甚だ良き絵画を出させ、直ぐにこれを
公方様の城を飾る為に用いた。
坊主等一同は弾正殿の元に赴いて、彼等のために信長に取りなすことを請うたが、王の一度定めたことを
変更する事は出来ない故に、これを為すことは能わざると答えた。
市の法華宗徒約千五百人が会合し、「殿下の望みに任せ、金銀如何程にても出し、日本全国に有名たる
かの寺院に対し、このような屈辱を加えることを中止するよう信長に請願してほしい」として、
内裏、及び公方様の元に赴いたが、何等の功無くして、悉く破壊され、坊主たちは涕泣した。
先に伝えたキリシタンは、公方様の家臣である故に、上記の座敷の甚だ良い道具を、我等も滞在する
当家に持ち来た。
傲慢なる悪魔の堂は、このような不幸に遭遇したが、我等の主がその霊魂に幸福を与え給わん事を。
(一五六九年六月一日附、パードレ・
ルイス・フロイス書翰)