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畠山長経は余りにも物荒い大将で

2012年04月06日 21:32

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/06(金) 15:00:18.29 ID:u+TG/TkE
天文10年(1541)8月、その頃河内高屋城にあった畠山長経は余りにも物荒い大将であり、家老達の言うことも
全く聞き入れようとしなかった。
そのため家中の者たちは毒を酒に入れて長経に進め、これを殺したという。

え?長経が言うことを聞こうとしたなかった家老って誰かって?

木沢長政・遊佐長教「私達ですが、何か?」

質の悪い連中に担がれた殿様の悲劇である。
(足利李世記)



558 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/06(金) 15:26:17.67 ID:oYjeHFnB
この時代の近畿はカオスやな

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/06(金) 16:00:47.96 ID:u5iQrIXN
カオスじゃなかったところってどれくらいあるかな?

560 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/06(金) 18:48:36.18 ID:VNxRcHen
史料がろくに残ってないところかな

561 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/06(金) 18:57:22.91 ID:nZd5sPYw
能登の畠山さんとこの遊佐さんも・・・
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刺客 業阿弥

2011年08月13日 23:02

78 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/13(土) 00:03:59.78 ID:Hiaz1mgo
紀州守護、畠山尚順が野辺氏を改易しようとしたところ、野辺氏はこれに反抗し自らの紀州平須山城に立て篭もった。
畠山尚順はこれを討伐せんと河内に居た息子の稙長に使いを出し、守護代遊佐長教を派遣させ自らも出陣した。
一方の平須山城方にも日高地方に勢力を誇った湯河直光一党が応援に入った。
この湯河氏の一族に業阿弥という法師が居たのだが、この男が一策を献ずる。

業阿弥「私が河内からの使者と偽り、本陣に入り込み畠山尚順を討ち取りましょう。」

かくして、業阿弥は使者に化けて、易々と本陣に入り込むことが出来たのだが、問題が一つあった。

業阿弥「いずれが畠山尚順か・・・」

業阿弥は畠山尚順の面体を知らなかったのである。
しかしながら、業阿弥は床机に腰をかけ兵に指示を与えている者に目をつけた。

業阿弥「(この者が尚順に違いなかろう)こちらが河内からの書状にございます。」

と、書状を渡すが、その者は尚順ではなく遊佐長教であった。
そうとは知らず、業阿弥は長教が書状を開いた隙を狙い、二の太刀まで斬りつけたものの、
頭を丸め、鎧の上に僧服を着ていた尚順に後ろから斬られ、その場で絶命した。
業阿弥は倒れても目を見開き長教を睨み続けており、陣中の者もなんと名誉な勇士かと感嘆し
業阿弥の血を指につけ嘗める者まで居たという。

尚順は無傷であったが、実際に采配を取り仕切っていた長教が重傷を負った畠山方の動揺は相当なものであった。
さらに、そこに城方が夜襲をかけて来た為、尚順も長教もそれぞれの本拠に撤退せざるを得なくなったのである。




79 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/13(土) 20:45:54.68 ID:rqi45c4P
>>78
最後まで使命を果たそうとするとはあっぱれ。
写真やらがないこの時代、人の識別とかは苦労したんだろうなぁ。