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大関高増の逆心

2019年10月11日 16:11

503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/11(金) 13:55:59.33 ID:ODWSD4PY
下野国那須家には、党七騎(那須七党)と称する旗本が有った。いわゆる大関、大田原、芦野、福原、
千本、医王野、岡本である。中でも大関右衛門佐高増は智謀に優れ、七党の中でも抜きん出て、那須家の
柱石とも成っていた。しかし先年の小田倉原の合戦に先陣を切って手柄を立てて以来、党の他の輩からの
高増に対する妬みが増し、一方の福原弾正左衛門資経(那須資郡那須資胤の弟)の功のみを吹聴するので、
高増はそれが面白くなく、病と称して出仕しなくなった。

那須資胤はこれを怒り、また出る杭は打つに限ると思ったのか、大関の家人・松本美作守を呼び、
密かに高増を殺すように命じた。松本はやむなく了承して黒羽城へ戻ったが、その一部始終を高増へ語り、
御屋形様の命であり、これを断っては即座に誅せられると思い引き受けた、と言った。

大関高増はこれを聞くと
「罪なくして亡ぼされるのは無念である。そもそも殺す理由が不確かででたらめである。」
そう憤り、逆心を起こした。
彼はすぐに常州の佐竹義重に援軍を頼み、鳥山の那須資胤を攻撃することにした。この時佐竹と、
那須資胤を殺し、その二男である三郎義宗を迎えて那須家を継がせる内約を取っていた。

以後、黒羽の城に立て籠もって三年間、すなわち永禄六年の三月下旬より永禄九年夏まで、鳥山と
何度も繰り返し戦った。

(関八州古戦録)

大関高増の逆心について



506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/11(金) 23:41:31.19 ID:TJDlXupl
黒羽城の芭蕉の館(奥の細道の際に芭蕉が黒羽に逗留したためこの名前)
の黒羽藩や大関氏一族の展示を見たら
外様にも関わらず江戸時代を通じて黒羽藩をずっと大関氏が支配していたからか
大関高増についてもここで言われてるほど黒くない印象だった。

展示されていた高増の伝記
・高増は大関弥五郎増次の養子であるが実は大田原資清の嫡男であった。
増次が戦死し、ほかに子供がいなかったため増次の父親の宗増は資清と和議して高増を大関氏の後継とした。
大関高増は資清が死んだ後は那須氏の重臣として政治的・軍事的に活躍した。
・>>503同様、活躍を妬んだ那須資胤により殺されそうになったため佐竹と組んで対抗。数年後資胤と和睦。
・和睦後、高増は未庵と号し、高僧・大蟲宗岑と問答。
自分自身を運命に翻弄されそうな存在とし、人生のあり方の悩みを宗岑に吐露したところ
「大切なのは過去ではなく今現在である」と諭される。
・主君の那須資晴に千本資俊・資政親子の討伐を命じられる。
高増は、資政に嫁がせていた娘を離縁されていたため、これ幸いと千本氏を殺害。
・小田原合戦の際、主君那須資晴に秀吉の元に参陣するよう説くが聞き入れられず、息子の晴増とともに秀吉のもとに出仕し、大関氏の所領安堵。
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高増暗躍

2011年05月03日 00:00

976 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/01(日) 23:18:30.15 ID:8RyvYDu7
高増暗躍

那須家分裂
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5047.html
↑に関する話。


主君那須資胤に処断されそうになった高増は佐竹義重に助けを求めた・・・というのが大筋の流れであるが、
それ以降の高増は驚くほどの迅速さで資胤陣営の調略による切り崩しにかかった。


まずは那須七騎の内、大関・大田原に工作の必要はない。
福原家はかつて資胤の弟である資郷が入っていたが、資胤の那須家督相続時に資郷が
森田氏に入嗣したので、高増の弟資孝を滑り込ませる事に成功しており、
まだ日が浅く資郷派も残っていたので掌握は完全ではなかったが、福原家はこの戦いで資郷派と資孝派に分裂した。
そして、伊王野家であるが当主資宗の母は大田原資清の娘であり、また前当主伊王野資直
大田原資清と懇意だった事もあってこちらの調略にも成功している。

続いて蘆野家であるが、こちらは那須資胤の妹婿であったものの地理的に那須家に味方しにくく、
去就を決めかねていたが
高増はそれを知るやすぐに駆けつけ、資泰の嫡男に娘を嫁がせることを約束して味方に引き込んだ。
これによって那須七騎で完全に資胤陣営に残ったのは那須を除けば千本家のみで、
あとは割れた福原や、大関家を乗っ取った高増を憎む大関家の古参ぐらいであった。

そして、七騎以外では稲沢家という小さな家があったがこちらは伊王野家とよく行動を共にしていたので
芋づる式に引き込みに成功し、
金丸家も当主義直が資胤に味方する事を決めたが、一門の金丸資満は大関高増の娘を娶っており、
高増が資満に働きかけて金丸家中を混乱させ、結局金丸家も高増に与すものが出始め分裂状態となった。


こうして佐竹家の進行前に那須家は徳俵に足がかかったような状態になってしまっていたのであったというお話。




977 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/01(日) 23:39:52.22 ID:sLafjqqG
ぱっと見の感想:高増汚いな高増汚い。

じっくり読んだ感想:伏線何重も張ってる資清汚な過ぎる。

978 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/02(月) 05:48:18.45 ID:I7m/e0oK
資清も高増もあれだけ好き放題やって、長寿を全うしてるのが恐ろしい

979 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/02(月) 05:53:10.55 ID:xVeB86Yo
そりゃ保身に成功したんだから当たり前っちゃ当たり前だ

980 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/02(月) 07:32:59.94 ID:A4LePwAi
「俺がちょっと怒るとこれぐらい出来るんだぞ^^」って事か。

後々、何事もなかったかのように重臣に戻れたのはこれも理由にあるのかも。

981 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/02(月) 14:42:03.39 ID:P/RwscX3
この状態でも防衛戦には勝てる那須家

那須家の分裂

2011年01月18日 00:00

422 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 22:52:39 ID:SsqYAh33
那須家の分裂(1)

小田倉の戦い(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4685.html)は大関高増の活躍によって那須・佐竹の
勝利に終わったが、
那須家当主資胤の高増への拭い難い不審感を生んだ。
また、他の那須七党たち(一部除く)も高増を恨んで福原弾正左衛門資郡(資胤の弟)の戦功ばかりを言い立てたため、
高増は怒って出仕を止めてしまった。

これを好機と捉えた資胤は、高増の家人松本美作守を密かに呼び出し、高増を誅殺するよう命じた。
仕方なく了承した松本だが、黒羽城に帰ると当然高増に打ち明ける。
「罪もなく殺されるのは納得いかないだろ^^;」
と、高増は逆心し、佐竹義昭に助けを求めた。

義昭の次男義宗を那須家の当主として迎えるという約束のもと、佐竹家重臣東左近将監政義率いる
宇都宮・大関合わせて三千余騎が烏山西方二十余町に布陣、
それに対し那須側は資胤兄弟をはじめとする一千二百余騎で迎え撃った。
数に劣る那須家であったが、千本秋縄斎・蘆野意教斎・秋元越前守らの奮戦により宇都宮・大関勢を押し込め、
那須勢を大軍と見誤った政義は降伏して常陸へ逃げ帰った。
(義政が那須勢を大軍と見誤ったのは那須八幡大菩薩が那須家を守護するために霊験を現わしたのだと
人々は噂した)

その後那須勢は高増の籠る黒羽城に攻め寄せたが、高増の指揮のもと城兵が奮戦し、さらに高増の弟
大田原綱清が高増救援に駆け付けたため、那須勢は囲みを解いて撤退した。


那須家の分裂(2)

423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 22:55:07 ID:SsqYAh33
那須家の分裂(2)

先の戦いの翌年、大関側の要請によって佐竹義重の陣代長倉遠江守当は茂竹左馬介・川井甲斐守・助川周防守ら
常州兵を率いて烏山東方三十余町のところに出陣した。
佐竹勢は川を前に陣取っていたが、那須の者たちにとってはよく知る川、難無く渡り佐竹・大関の間に割って入った。
那須勢は重代の家臣から野伏・一揆衆まで命を捨てて動き回ったので佐竹勢は壊乱し逃げ出した。

この時大関勢は「地元だけど在所から遠いから地形がわからない。長倉殿は攻めの案内者なのだから
殿よろしく^^」といって先に引いてしまった。
これを見た資胤は
「大関の連中は元々那須家の家来、最後には降参してくる。そのまま逃がしてやれ。常州の連中は
一人も打ち漏らすな!」
と息もつがず攻め続けたので、佐竹勢の大半は討死、長倉も負傷して引いた。
大河井の流れは四・五日も血に染まり、紅の楯を並べたように見えたという。

那須家の内乱は永禄六年(1563年)より足掛け6ヵ年も続き、討死・負傷した者は数を知れない。
永禄十一年(1568年)、金剛寿院の住職尊瑜法印が仲介に入り、和議が成った。
資胤の嫡男資晴が使者として黒羽城に入り、高増もこれ以上主家に弓を引くわけにはいくまいと、
正式に和睦を結んだ。
ここに周辺勢力を巻き込んだ那須家の内乱は一応終結した。





424 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 23:15:49 ID:hXEvT0hD
烏山中心に守りに入った那須家のしぶとさは異常

425 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 23:40:38 ID:JElKcTQC
政治的に失脚したと思ったら復活するのが大田原党

この後も何事も無く重臣

426 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/17(月) 00:36:25 ID:qkQrjqxi
北関東の戦いはいつも相手の止めを刺さないで政治決着で終わるな

427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/17(月) 00:53:26 ID:gWIIiGjx
>>426
洞中社会というのはそういうものだからな。
逆に言えばそういう社会の中で近隣をガンガン潰し回った政宗がどれだけ
異常な存在だったかと言うこともw

428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/17(月) 01:00:32 ID:c+m7gPcR
政宗はフナとかコイしかいない池に放たれたブラックバス

429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/17(月) 09:20:36 ID:UGRJdrcA
ドロリとした独特な味のドラマが生まれやすいので嫌いではないよ、洞の中の大名たちの逸話。

430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/17(月) 09:24:32 ID:DEOvGZBc
那須の当主は戦上手いの揃ってるしなぁ。
策謀上手いの揃ってる一族も抱えてるが…むしろ抱えられてるのか?

431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/17(月) 21:34:53 ID:+uZPg+Gn
千本や伊王野は思っただろうな

「あの時滅ぼしておけば良かった」と



関連
高増暗躍
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5377.html

小田倉の戦い

2010年09月29日 00:00

325 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/27(月) 23:54:14 ID:iU4/z8Gg
小田倉の戦い


1560年、関東に勢力を伸ばし始めていた上杉景虎に恭順の意を示さなかった那須家は上杉家の同盟相手である
蘆名・白河結城家の侵攻を受けた。
これに対し那須家当主、那須資胤は徹底抗戦を決意し先立って兵を進め白河領内に布陣した。

しかしながら兵は蘆名・白河連合3000に対して那須家はわずか600・・・まともにやりあって勝ち目はないので
那須資胤は佐竹からの援軍を頼むことにした。
当時の佐竹家との交渉役は大関高増。高増は交渉を見事に成功させ、荒巻為秀率いる1000の軍勢、
加えて高増とその弟の大田原綱清率いる100の軍勢が本隊に合流した。
しかしながらまだ圧倒的に不利である。ここで高増は資胤に『佐竹義昭からの言付け』と前置きし策を話した。

高増「地形的には小田倉原に本陣を置き、進軍してきた敵の隊列が伸びきったところを
側面から伏せていた兵が動けば必勝であるとのことです。」
資胤「皮籠原の方が良いのではないか?」
高増「白河城から近すぎます故に側面の兵が崩したとてすぐに後詰めが来るでしょう。」
資胤「なるほど・・・それで行こう。」

こうして資胤率いる600は小田倉に本陣を置き、夜闇にまぎれて大関・大田原・荒巻1100はそれぞれ
側方に展開し伏せるという布陣を取った。
そして翌日、その布陣を見た蘆名・白河連合は動いた。まず、連合軍の内1000が那須本陣に襲いかかる。
那須家も戦には強いので数では劣るが負けてはいない、戦況は互角であった。痺れを切らした連合軍は
更に1000を那須本陣の攻撃に当たらせた。
こうなると流石に那須本陣も苦しくなってくる、しかしまだ側方に伏せた軍勢は動かない。
ついには資胤本人も負傷するほどの大乱戦となり、弟の森田資郡が辛うじて支えているという有様であった。

資胤「おのれ・・・謀ったな高増!わしでここで自害する、あとは頼むぞ資郡!」
資郡「おやめ下さい!ここで兄上が自害すれば総崩れですぞ!」

こんなやり取りまでされる絶体絶命の窮地に本陣が追い込まれたところでようやく大関・大田原・荒巻が動いた。
すっかり隊列が伸びきっていた連合軍は崩れ始めるが、蘆名にはまだ動いていない本隊の兵がある。
そこで遅れていた千本資俊率いる100の軍勢が怒涛の勢いで蘆名の本隊に迫った。

蘆名「なに・・・まだ伏兵が?これは迂闊には兵を進ませれぬ、退けー!」

実はただ千本の軍勢は遅れてやってきただけであったのだが警戒した蘆名勢は進軍出来ず撤退を始めた。
こうして小田倉の戦いは那須軍の勝利に終わったのである。しかしながら資胤は納得がいかない。

資胤「高増!あの動きの遅さ・・・貴様一体どういうつもりだ!」
すると高増はいささか呆れた様子でこう答えた。
高増「遅れた?遅れたのは資俊殿でございましょう。私は那須家の勝利のために時期を待っただけです。
それによく引き付けねば作戦の意味がございませぬ。」
資胤「抜け抜けと・・・わしが討たれるのを待っていただろう!」
高増「何をおっしゃいます・・・被害も最小限で奥州勢を破ったでございましょう?那須家の勝利でございますぞ。」
資胤「何故蘆名を追わぬか!」
高増「それは無理です。蘆名の本隊が無傷なので深追いは危険でございましょう」
資胤「・・・」


正論といえば正論であるが資胤のこの時感じた高増・・・ひいては佐竹家への不信感は拭われることはなかった。




326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/27(月) 23:59:01 ID:72ZG448q
さすがは冷血動物の大関さん

328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 00:41:28 ID:JRAHBZqz
大関高増ってやっぱり人を見下してるよね。