荒木村重の女房たち

2015年03月27日 18:02

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/26(木) 23:16:08.80 ID:4eV+rYEN
有岡城から荒木村重が逃げた後、村重の妻子一族は織田方に捕らえられ、処刑されることになった。
京都にて磔にされる時、細川忠興は奉行としてその場にいた。
村重の女房たちは忠興と顔見知りだったので、「与一郎様頼みまする」と声々に泣き叫んだ。
光秀の娘が村重の息子に嫁いでいて、村重謀反の際に離縁し、戻されたという経緯があるが、
忠興は光秀の娘を通じて女房たちと顔見知りになったらしい。
(その娘はのちに明智左馬助に嫁いでいる)
忠興はその時のことについて、度々「哀れなことだ」と述べていたらしい。

そんな村重妻子のうち、郡主馬宗保の娘は乳母に隠され、織田信澄や明智光春のもとを転々としたあげく、玉のところに行き着いた。
それが後の忠興の側室、娘のおこほを産んだお藤(松の丸)である。

綿考輯録より




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