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大坂との御誓詞の御取り替え

2019年07月20日 16:05

286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/07/19(金) 19:24:59.07 ID:jR8ot1a1
大坂と御和睦が調った折に御誓詞の御取り替えがあり、大坂方より木村長門守(重成)と
郡主馬(宗保)が御血判拝領の御使者にやって来た。

その折に両人は御次の間におり、顔を出すまでで退いたそうで御威光に恐れたのだという。
こちらからは板倉内膳正(重昌)が遣わされた。

(原注:世上では両人が御前を憚らなかったと申すが、その折に村越茂助道半(吉勝。道
伴)が御前に詰めておられて見申されたという。木村は色白い大男で羽織袴だった。郡は
60歳程の小男で、黒羽二重の袖無し羽織を着用していたという)

――『石道夜話(石岡道是覚書)』



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荒木村重の女房たち

2015年03月27日 18:02

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/26(木) 23:16:08.80 ID:4eV+rYEN
有岡城から荒木村重が逃げた後、村重の妻子一族は織田方に捕らえられ、処刑されることになった。
京都にて磔にされる時、細川忠興は奉行としてその場にいた。
村重の女房たちは忠興と顔見知りだったので、「与一郎様頼みまする」と声々に泣き叫んだ。
光秀の娘が村重の息子に嫁いでいて、村重謀反の際に離縁し、戻されたという経緯があるが、
忠興は光秀の娘を通じて女房たちと顔見知りになったらしい。
(その娘はのちに明智左馬助に嫁いでいる)
忠興はその時のことについて、度々「哀れなことだ」と述べていたらしい。

そんな村重妻子のうち、郡主馬宗保の娘は乳母に隠され、織田信澄や明智光春のもとを転々としたあげく、玉のところに行き着いた。
それが後の忠興の側室、娘のおこほを産んだお藤(松の丸)である。

綿考輯録より