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又ものの分として何とて能せん

2019年05月01日 16:18

949 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/05/01(水) 13:19:53.30 ID:8nKSRDUM
信長が甲斐の四郎(武田勝頼)と対陣の時(長篠の戦い)、鳶の巣の城を乗っ取ることを酒井左衛門尉
(忠次)が信長に乞うた。信長は叱って曰く、「陪臣の分際でどうして良い働きができるか!(又もの
の分として何とて能せん)」と。

左衛門尉は重ねて乞わず、即時に赴いて城を乗っ取ったという。左衛門尉は東照宮(徳川家康)の家臣
なり。東照宮が甲斐・信濃・上野を所領し給う時、威勢は一人盛んであった。今の宮内(原注:四郎)
の父なり。

――『老人雑話』



950 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/05/01(水) 14:45:50.07 ID:zLaAnMy+
信長の功績を過少にしてる話多いよね

951 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/05/01(水) 15:29:18.99 ID:2GWH/FK7
後であの場ではああ言ったが良い案だ、やれって言われたってバージョンもあったな。
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鬼武蔵と言われる者の鋒を挫けば

2019年02月26日 16:52

693 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/26(火) 15:10:57.23 ID:ViHYIV+B
長久手の合戦の時、秀吉は十万余騎を率いて青塚に陣し、源君(徳川家康)は二万五千余騎を率いて
小牧に陣した。

秀吉の全鋒である森武蔵守長一(長可)は、信長の愛童森蘭丸の兄であり、勇猛の名があって、
時の人は彼を鬼武蔵と号した。彼は羽黒に陣していたが、その先手が本陣から間遠く備えていた。
酒井左衛門尉忠次はこれを見て、

「武蔵の先手は味方を離れています。将もその部下も、兵法に練れていないのでしょう。
今これを撃って、鬼武蔵と言われる者の鋒を挫けば、見方は勝利に乗り、敵は鋭気を失うでしょう。
今少し御旗本を敵に寄らせれば、私が手勢を以て衝き崩しましょう。」
そう進言すると、家康は望み請うに任せた。

左衛門尉は軍勢に対して「首を取ることなかれ、斬り捨てにせよ。白旗を上げれば軽く引き、逃げる敵を
追ってはならない。」と軍令を定め、静々と斬ってかかり、武蔵守の先手を撃ちとった。これに武蔵守は
怒り酒井勢に駆け向かったが、その頃に酒井勢はすでに引き取っていた。武蔵守は歯噛みをしたが、
最早どうにも出来なかった。

(武将感状記)


掛川開城

2018年12月28日 18:21

606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/28(金) 01:16:16.37 ID:pBe2OoRD
(掛川城の戦いの時)

掛川城中では朝比奈備中守泰能(泰朝)・小倉内蔵助資久らがとりどりに評議し、

「これまでは今川旧好の輩が馳せ集まり堅固に当城を持ち固めたが、今は遠江一円が徳川殿に帰服し、当城は兵糧が
次第に尽きて飢えに臨んでいる。これでは長く籠城は叶い難し。氏真は小田原に避けなさって北条を頼まれ、開運の
時節を計られるのがしかるべし」

と評議は一決した。しかしながら、氏真は疑念深く未だ決定しないので、小倉内蔵助は諸々に諫言した。折しも奥平
美濃守貞能も神君(徳川家康)を諫めて「氏真を許して御和睦なさり、早く遠江を平均なさるべし」と申すと、神君
はもとより御同意であった。

その時、今川方は朝比奈弥太郎泰勝(原注:子孫は今水府(水戸藩)に仕える)を使者として石川家成・酒井正親の
方まで和睦を申し請うて来た。(原注:『東遷基業』)奥平貞能は久野宗能・浅原主殿助と和睦を相計り、4月8日
に主殿助が御使者として城中に入り、小倉内蔵助と対面して仰せの旨を伝えて仰せ送られたことには、

「家康が幼年より今川義元の扶助を得ていた旧好は、今においてもどうして忘れることだろうか。家康に氏真を敵と
する心はない。如何せん氏真は讒佞を信じて私を仇とし、矛盾に及ばれたのでやむを得ず合戦に及んだが、まったく
もって本意ではない。只今のような状況では、遠江をも駿河と同じく武田信玄に奪われることだろう。速やかに駿河
を私に避けて渡されたならば、私はまた北条父子と相計って氏真を駿河へ還住させ申す」

内蔵助は大いに喜んで氏真を諫め、内蔵助が氏真の使者として双方誓詞を取り交わし御和睦は整ったので、内蔵助は
また小田原へ赴き、北条父子へこの由を告げた。よって北条からは北条助五郎氏規を氏真の迎えに掛川へ遣わした。

氏真は5月6日に掛川を出て掛塚の浦より船で小田原へ赴けば、神君からも松平紀伊守家忠をもって送らしめられて、
海路を守護させなされば、つつがなく伊豆戸倉に着岸した。今川・北条の者どもも「徳川殿は情けある大将かな」と
感心した。

これより掛川城は酒井左衛門尉(忠次)・石川伯耆守(数正)・本多作左衛門(重次)が受け取り守衛したが、同月
22日に神君が掛川に入りなさって軍士を饗応せられ、当城を石川日向守家成に賜った。

これより以前、(三河が)一円に御手に属した時、三河の国人を二組に分け、酒井左衛門尉とこの家成の両人に属せ
られて両人を左右の旗頭と定められたが、家成が当城を賜った後は旗頭を甥の伯耆守数正に譲って、自身は大久保・
大須賀・松井と同じく遊軍となり、本多広孝・本多忠勝・鳥居元忠・榊原康政らは御旗本を警衛した。

(原注:今川と御和睦の事は『武徳大成記』には今川より朝比奈泰勝が使者として申し越したとあり、『東遷基業』
も同じである。『家忠日記』には徳川家より御使者を小倉資久へ遣わされたとある。本文は両書を合わせ意を迎えて
綴ったものである)

この頃に石川に属したのは、西三河の松平源次郎直乗・松平宮内忠直・内藤弥次右衛門家長・平岩七之助親吉・鈴木
喜三郎重時・鈴木越中守重慶。(原注:『東遷基業』では、石川の組に酒井正親・鳥井平蔵・松平三蔵・松平信一を
加える。いずれが是であるかはわからない。よって両説を備える)

一方で酒井に属するは、東三河の松平右京亮親盛・松平内膳家清・松平源七郎康忠・松平玄蕃頭清宗・松平又七郎
家信・松平弥九郎景忠・設楽甚三郎貞通・菅沼新八郎定盈・西郷新太郎家員・松平丹波守康長・奥平美濃守貞能・
牧野新次郎康成。

この輩に加え、また石川伯耆守の弟・半三郎は猛勇の士であったため、先に攻め落とされた堀川を下され、その地に
土着して土人を主宰せしめなさる。よって気賀の徒は屏息して大いに恐れ、この後に一揆を起こす者はいなかった。
(原注:『東遷基業』『武徳編年集成』)

――『改正三河後風土記』


忠次がいわれざる無礼を振舞ったせいで

2018年09月09日 18:21

104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/09(日) 06:54:02.22 ID:ecWFEVIE
織田殿の命を受けて甲信の諸城を守った諸士は皆々城を捨てて上洛すればその昔信玄に滅ぼされた諏訪頼重
の伯父・新太郎満隣の子・小太郎頼忠は旧好の家人を催して諏訪郡に押し入り高島城を乗っ取って20余年
の蟄懐を開いた。

信玄のため追い出された小笠原長時の弟・洞雪斎も上杉景勝の助けを得て深志城に還入し、川中島の旧領主・
村上信濃守義清の子・源吾国清(山浦国清)も越後より勢を催して、景勝の扶助で川中島を領略した。

(中略)

一揆の首長・大村三右衛門は誅に伏すといえども甲斐は未だ穏やかならず、所々に悪徒蜂起の聞こえあり。
これを静謐ならしめよとの仰せを蒙り、大久保七郎衛門忠世は甲斐に赴き上口に陣した。

石川長門守康通・本多豊後守広孝とその子の彦次郎康重・岡部次郎右衛門正綱らも同じく赴く。忠世は康通・
正綱らと議して佐久郡諏訪に赴き、諏訪小太郎頼忠を説諭して御味方となす。また大草左近知久・大和頼元、
同じく式部頼氏・下条らも同じく帰順せしめたのであった。

(中略)

14日に酒井左衛門尉忠次に信濃一円を賜り、忠次は東三河の勢を引き連れて伊奈口より諏訪に至り、諏訪
小太郎頼忠方へ使者を立てて「信州一円は某が拝領したので、これからは我が下知に従うべし」との由を

申し送った。頼忠は大いに怒って、「私は大久保忠世の勧めによってこそ徳川殿に従ったのだ。どうして
忠次の下知を守ろうか!」とたちまち敵の色をあらわし、高島に籠城して矢石を飛ばし忠次らを拒んだ。

忠次は高島城を取り囲んで東三河勢をもって攻めるも頼忠はまったく雌伏せず、その国人も多くが忠次の
下知に従わずに北条へ内通せんと見える由が聞こえたので、

忠次の信濃所領のことは停廃なされ(原注:武徳編年集成)、なおも忠次ならびに東三河勢をもって高島城
を囲ませ攻めさせられた。24日、城兵が松平又七郎家信の陣に夜討した。家信はわずかに13歳。

武田の家人が多かったのでよく戦って敵を退けた。26日、松平主殿助家忠は兵を偽って引き出し伏兵を
設けて多くの者を討ち取った。(原注:家忠日記・武徳編年集成)

(中略)

8月朔日(1582年)、北条氏直は甲斐を攻め取るために、4万余の人数で信濃海野口より甲斐若御子へ
発向せんと信濃役行者に出て梶ヶ原まで着陣した。この由が徳川家御本陣に聞こえて、高島城攻めに参った
酒井忠次以下の輩は皆白須まで引き返しせしめた。

3日、忠次ならびに大久保忠世・本多広孝・大須賀康高・石川康通・岡部正綱らは、乙骨(原注:武徳編年
集成に音骨)まで着陣した。この時までも氏直の大軍が間近の梶ヶ原にいるとはまったく知らなかった。

大久保の家人・石上兎角之助という者が6日夕に佐久郡蘆田小屋八ヶ嶽の方より来たり、この由を告げた。
諸将は大いに驚き、この地の庄司太郎左衛門は忠世が常に諸事用達をさせた者だったので、この者を見に

遣したところ、向かいの草木茂る中に敵が充満していた。「追い付けてここへ来ます!」との報告を受けた
諸将は、「この小勢ではどうして合戦叶おうか。しかし、夜中に引き取っては追い討たれて良くないだろう。

夜明けに早々に引き取ろう」と、その夜の将卒は用意して夜明けを待った。明けて7日(原注:柏崎物語・
武徳編年集成)、すでに打ち立たんとするに及び、忠世は、「私がせっかく諏訪小太郎を味方に引き入れた

というのに、忠次がいわれざる無礼を振舞ったせいで諏訪を北条方にしてしまった。だからこのような大事
に及んでしまったのだ!」と言った。忠次は大いに怒って口論し、今日の後殿を争ったために時刻

は移って巳の刻に及んだ。敵は早くも向かいの原に押し寄せてきた。諸将はいろいろと講和して一番は酒井、
二番は大須賀、三番は石川、四番は大久保、五番は本多、六番は穴山、七番は岡部と定まった。

――『改正三河後風土記』



「小姓ども」と、申された

2016年12月07日 17:29

389 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/07(水) 02:18:24.54 ID:uvLUyMHH
井伊兵部(直政)、本多中書(忠勝)、榊原式部(康政)のことなどを、

(徳川家康の)御前などでも「小姓ども」と、酒井左衛門尉(忠次)は
申されたということである。

――『武功雑記』

酒井忠次は別格だったという話だろうか。



391 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/12/07(水) 07:18:15.41 ID:iixZWz5X
>>389
そりゃ年齢も一回り以上違うし家格もダンチでしょ

392 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/07(水) 08:36:17.98 ID:4JYn8U5B
酒井は徳川と同族なんだっけか

393 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/12/07(水) 12:04:15.65 ID:iixZWz5X
>>392
それもそうだけど、忠次自体がダブルで義叔父らしいから。

「子はかわいいものだ」

2016年07月15日 15:42

863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/15(金) 04:01:18.61 ID:d7hDg5lw
酒井忠次は子息を連れて、徳川家康の御前で、「倅のことを頼み奉ります」と、
申し上げた。すると家康は、「子はかわいいものだ」と、言った。

これは、松平信康を生害の時、忠次は何とかして庇うべきであったのにという
嘆き恨む心から出た言葉ではないかと、その時分に申したとのことである。

(酒井左衛門尉子息ヲツレ権現様御前ニテセカレ事ヲ頼奉リ候ト申上ル権現様
子ハカハユキモノナリト御意ナサレ候コレハ岡崎様ヲ御生害ノ時左衛門尉何トソ
カカヘ奉ルヘキ事ヲト御歎恨ノ御心ヨリノ御諚カト其比申候由)

――『武功雑記』

周囲が噂したという話で、家康の真意は不明なのね。



酒井将監の追放

2015年11月02日 13:10

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/02(月) 06:24:33.31 ID:rCRkRMqS
岩淵夜話別集に曰く、今川義元が織田信長に討たれた後、松平元康(徳川家康)は重臣である
酒井将監(忠尚)を召して言った

「今川氏真には、父親の敵を討とうという志無く、家臣は多くてもそれを諌める者は一人もいない。
私はたまたまこの敵討を進言したのだが、氏真はそれを用いないばかりか、却って私は恨まれてしまった。
今川の家の滅ぶべき時は、既に至った。

この上は仕方がない。私は駿府においている人質を捨てると決心した。
汝が駿府に人質においている者達も、末々は捨てるのだと心得よ。」

これに、酒井将監はしかし、今川と仲違いすること然るべからずと元康を諌めて御前を立った。

元康は「彼の気色には二心が見えた。」と速やかに兵を起こして追いかけたため、
将監は自らの上野の居城に入ることも出来ず、そのまま駿河へと落ちていった。
この酒井将監の所領は、彼の甥である小五郎(酒井忠次)に与えられ、左衛門佐と名乗った。

(藩翰譜)



佐々成政という人は大変な人傑である

2014年08月11日 19:13

501 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/11(月) 00:11:51.56 ID:Z2oXRHJt
佐々成政が、いわゆるさらさら越をして、密かに浜松の徳川家康の元に辿り着いた時のこと。
家康は家臣の高力與次郎正長を召して
佐々成政という人は大変な人傑である。ああいった人物とは知人と成って、その様子を
見習うように」と命じた。

さて、家康は佐々に
「私は元より秀吉と遺恨はありません。しかし信雄殿の衰弱を見るに忍びなく、故織田殿の
旧好を忘れかね、わずかにこれを助けたのみなのです。ですが、信雄殿が秀吉と
和議を結んだと聞けば、私のこれまでの信義も、詮無きことに成りました。

さりながら成政殿が旧主の為に義兵を起こすというのであれば、私からも援兵を出しましょう。」
そう言って懇ろに饗した。

この後、成政は家康との物語の中に、家康を武田信玄に、自身を上杉謙信に比して
大いに自負の念を披露した。

酒井忠次は、この佐々の自負を聞いて大変に腹を立て
「ああいう馬鹿者に御加勢なさることは無用です!」と家康に詰め寄った。
しかし家康は

「彼は元より大剛の士であるのだから、その勇気に任せて、失言をしてしまうのも仕方がない。
そんな事を気にしてはいけない。」

と語った。

(柏崎物語)

家康が、佐々成政を非常に高く評価している逸話である。




505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/11(月) 06:58:20.07 ID:JPzfnsZ7
>>501
評価してると言うより、短所があるからと言って長所まで否定しない話に見える

さてさて、御事はおこなる人哉

2014年07月30日 18:53

829 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 00:11:59.62 ID:1Iz7iLnm
同じ話はここに出ていますが、出典のある詳しいバージョンということで
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-231.html

天正壬午の乱の結果、甲斐を徳川が領有すると、旧武田家の一条、土屋、原、山県の配下にあった者達は、
そのほとんどが井伊直政に付けられた。そして家康は「山県昌景の赤備えは見事であった」と、
直政の備えを皆赤色にした。

この時家康は、最初は酒井忠次に甲州人を召し預けようと考えていたのだが、それよりも、
若輩の直政を引き立てるために彼に付属させたいと、忠次本人に相談した。

忠次はこれを聞くと
「殿の仰るように井伊直政は若輩ですが、私の目から見ても臆しているようにも見えません。
ですので、彼の者に甲州人を付ければいよいよ励み働くことでしょう。」と申し上げた。

さて、その後忠次の所に榊原康政がやって来てこのように言った
「甲州人を半分に分け、私と直政の両人に付けられるべきなのに、直政のみに付けられたことは
なんと口惜しい事でしょう!この康政、どうしてあの若輩者に劣るでしょうか!?
この後、もし直政に出逢えば刺し違えようと決意しました。ですので、今生の暇乞いに参ったのです。」

これを聞いた忠次は激怒した
「お前は馬鹿か!!!(さてさて、御事はおこなる人哉)

殿は私に預けようと言って来たのを、私が勧めて直政に付けさせたのだ!
これを聞き分けずに軽卒な行動をするつもりなら、殿に申すまでもなし、
私がお前の妻子一族まで、全員串刺しにしてくれる!!!」
そう以ての外に怒り罵ったという。
(武功実録)




830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 00:40:37.51 ID:nv8Xlm8h
甲州兵の戦経験値は異常

831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 01:00:17.17 ID:CPc5dUvq
なんで喧嘩してんだよ。鬼武蔵つれてくるぞ。

832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 01:05:58.29 ID:LINdzkzZ
つれてきても討ち取られちゃうだろ。

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 01:20:22.98 ID:Oda6FVfj
出典かくならちゃんと徳川実紀って書いた方がよくない?
鳥居家譜とか武功実録って今見れる手段あるの?

834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 01:45:28.87 ID:BP+5V0ZH
薩摩の兵は下がると斬るとか無茶苦茶な法で軍紀を守ったけど
甲州兵はどうやって軍紀を保ったのかね
戦えば損害も出るし規律の弱い補充兵も来るだろうし

835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 06:19:59.64 ID:9LUB8Toi
康政おこなる?

836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 08:59:12.87 ID:vkO2DVH/
酒井の激怒っぷりもすごいな 串刺しってw

837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 13:58:11.91 ID:mSVmn9LE
激烏滸なの?

838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 14:40:40.30 ID:Oda6FVfj
中世では無礼な奴は「尾籠(おこ)であるぞ!」と言われて責められるという話があるとかないとか

839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 14:48:05.79 ID:nayFSFDk
当て字を音読みした、びろう、も悪い意味となるややこしさ

840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 16:30:25.13 ID:SgluMGfl
三河武士ってよく刃傷沙汰にならねえなw

841 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 16:44:46.91 ID:LINdzkzZ
しょっちゅうなってるし

842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 18:47:36.95 ID:HS4w3HiT
たしか同盟中にも織田勢とやりあってただろw

酒井忠次の妙技海老すくい

2014年07月28日 18:55

381 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 03:54:52.65 ID:BsmDQudM
長篠の戦いの前、徳川家康は竹広村の弾正山に陣を据えていたが、家臣たちは武田の猛勢を聞いて
恐れ、どうにも怯えた様子を見せていた。

そこで家康は酒井忠次を呼んでこう命じた。「いつもの海老すくいの狂言をせよ。」

忠次畏まり、つっと立って海老すくいを舞った。これは有名な絶技の芸であったので、一座の者達は皆
笑いのツボに入り大爆笑した。
これにより徳川の三軍にあった武田への恐怖の念はいつの間にか一散したのである。
(忠次かしこまりつと立て舞けるが、兼ての絶技なれば一座の者みなゑつぼに入て哄と
笑い出しにより、三軍恐怖の念いつとなく一散してけり)

(東武談叢)

酒井忠次の妙技海老すくい、徳川軍から恐怖を払う。というお話。




382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 04:15:08.51 ID:ieY8KXOP
太鼓も叩くし案外芸人肌な面白いおじさんだったのかもしれないね

383 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 04:43:26.31 ID:0U1KnlTJ
出ますぞ、酒井様の腰さばきが!

384 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 07:02:38.28 ID:g/gxe8er
ツボに入るってこんな古い時代からある表現だったんだ

385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 09:44:31.66 ID:yaZjXFV0
海老掬いが無ければ長篠で負けていたかもしれないのか
これは歴史が動いた瞬間ですわ

386 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 09:50:16.77 ID:JPO4AgR6
筆頭家老自らエビすくいを披露し、長篠前哨戦では速攻で武田軍の側面をつく、こりゃ大河ドラマ級の活躍ですわ。

387 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 14:57:47.46 ID:bY1WnWpb
三軍て何?

388 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 15:11:02.63 ID:ZKq6NRc7
全軍

389 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 17:22:09.44 ID:wBqsu5SX
えっファーム以下のやつらじゃなかったのかよ

390 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 19:09:03.66 ID:hmwj7KpU
陸軍海軍空軍・・・えっ空?

真面目に答えると>>388の言う通り春秋時代の三軍(上軍中軍下軍)に倣い全軍を意味する

391 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 20:45:46.48 ID:0U1KnlTJ
実は三河軍団の略

392 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 22:39:54.15 ID:OF6jLvwu
>>384
戦国どころか、平家物語の有名なシーンでも使われてたりする。

大納言気色変はつて、さつと立たれけるが、御前に立てられたりける瓶子を、狩衣の袖に掛けて引き倒されたりけるを、
法皇叡覧あつて、あれはいかにと仰せければ、大納言立ち返かへつて、瓶子倒れ候ひぬとぞ申されける。
法皇も『笑壺に入らせおはしまし』、者ども参つて猿楽仕れと仰せければ、平判官康頼つと参つて、あああまりに瓶子の多う候ふに、もて酔ひて候ふと申す。
俊寛僧都、さてそれをば、いかが仕るべきやらん。西光法師、ただ首を取るにはしかじとて、瓶子の首を取つてぞ入りにける。

393 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 22:55:27.49 ID:AM0twxp2
>>381
信長の野望で鼓舞の上位コマンドに海老すくいを導入すべき
士気↑
統率↑

394 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 23:17:39.03 ID:JGXRelj8
しかし景勝には効かなかった!

395 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 23:49:29.49 ID:dd979FBF
へうげものの海老すくい
http://www.youtube.com/watch?v=FVvxOgmxeGA


横山光輝の「徳川家康」では天正壬午の乱後、北条との同盟の席で
海老すくいを披露し、徳川は大した事ないと北条を油断させてたw

万能技過ぎるwww

396 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/28(月) 23:58:28.40 ID:ibhhCUUn
えび酒井

397 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/29(火) 00:18:46.24 ID:73ZyftsL
酒井シュリンプ

398 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/29(火) 10:14:32.40 ID:Vr+xRufE
>>392
勉強になった。相変わらず侮れんスレだw

399 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 00:43:10.83 ID:s9grfJZd
浜名湖名物なのか海老すくい

403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/30(水) 17:03:30.45 ID:UsXN/Doc
へうげものスレの過去ログにこういうのが

名無しんぼ@お腹いっぱい[] 2010/01/23(土) 21:00:26 ID:Le1hu93a0

所用で酒井家のご当主にご挨拶に伺ったのだが、つい弾みで「えびすくい」について聞いてしまった・・

ついかっとなってやった
今は反省している

へうげものという漫画があることはご存じなかったそうです。

名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 2010/01/23(土) 21:06:52 ID:E5ISRcS80

それでえびすくいの方はどうだったんですか
現代に至るまで踊りの秘伝が一子相伝で当主に伝わってたりするの

名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 2010/01/23(土) 22:20:49 ID:Le1hu93a0

酒井の太鼓は歌舞伎の演目になっているくらい有名な話だが、歴史上の出来事としては「史実」と言いきることができるものではなく、
「逸話」と呼ぶべきものでしょう。忠次公も踊り自体は知っていたかもしれないが、海老すくいの話も同じように「逸話」と言うべきだと
思います。とのことでした。
あ、それから、踊れないそうです(笑


412 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/31(木) 09:21:34.33 ID:2ok5d24F
>>403
ご当主もなかなか見識が高いな
そういう受け答えはなかなかできないぜ

昨日の広言にも似ぬものかな!

2014年07月25日 18:50

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/25(金) 01:01:08.38 ID:MsYe8bme
姉川の戦いの前夜、織田信長の御前にて軍議が行われていた時、徳川家康
「今回の合戦は、二の手の働き次第で勝利を得るでしょう。」
と発言した。しかしこれを聞いた池田勝三郎(恒興)は

「どうして敵を二の手まで越させようか!」

そう傲慢げに発言した。家康はこれに「そのようにあってほしいものです。」と、
さにあらぬ体で席を立った。

さて、姉川の合戦が始まると、池田恒興の備は浅井の先鋒にさんざんに切り崩され、
酒井忠次の備に崩れかかった。
忠次はこれを見て

「おことは昨日の広言にも似ぬものかな!」

と言いながら、長刀の石突の部分で、恒興の馬の三途(馬の尻の方の、背骨の盛り上がって
高くなっている部分)を打つと、馬は驚いて恒興は落馬した。
その頃の人々は、池田常興が忠次によって落打ちにされたと、誤り伝えたこともあったそうである。

(落穂集)





後の4人は誰だかわからない

2014年02月06日 19:03

291 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/06(木) 15:01:46.67 ID:8SKyAvCh
幕末の酒井家・出羽庄内藩の藩士が、藩や地方の関連文書を収集して編纂したものから


神祖(家康)が三川(三河)に居られた頃は、配下に侍大将が8人いた。

大久保忠世は家中に集められた人質を管理していた。
酒井忠次は5000の兵を預かり、先陣の大将であった。織田信長から東国33カ国の武功の者と賞賛されたお方である。
大須賀康高はその次、本多忠勝も軍勢を率いる。

後の4人は誰だかわからない。
(大泉叢誌)

他の4人については本当にこれ以上書いてありませんw





292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/06(木) 17:09:03.14 ID:uujho66q
スルーされたのは石川数正と鳥居元忠辺りか?あと誰だろ?

酒井忠次は御家人の中で第一の旧臣であり

2014年01月20日 19:04

138 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/19(日) 20:39:20.29 ID:dV2qOaNU
俗に伝わることには、忠次は御家人の中で第一の旧臣であり、家康公のおばの婿(姨聟)であったので、
御家人たちは忠次を崇敬し、忠次が他人の家を訪ねるときに下馬をしなくても、これを無礼だと思う者はいなかった。

秀忠公は忠次の武勇にあやかろうということで忠次の諱字を貰い、
また秀吉公からも諱字を賜ったので、秀忠公とお名乗りになったのである。


『武家事紀』より、忠次の項にある秀忠の諱の異説である。




139 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/20(月) 00:59:16.60 ID:ODbzzr/b
家康「えっ、忠って普通に先祖から続く通字なのに。父上の広忠とかワシの最初の名の元忠とか」

140 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/20(月) 01:01:49.28 ID:ODbzzr/b
いけね、家康の最初の名は元信だった

141 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/20(月) 01:28:21.26 ID:07eURHZG
つーか酒井忠次の忠は家康の父親の広忠の忠だよなあw

142 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/20(月) 01:36:04.32 ID:lHcbYmax
織田秀信公は秀吉公からも諱字を賜ったので、秀信公とお名乗りになったのである。
織田秀信「えっ、秀って曽祖父の信秀からとったんじゃないの?」

143 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/20(月) 01:45:57.09 ID:7uIrQSkE
義元を信ずるからこその元信であろうが
その方の分際で義元を安んじる元康とは何事か!
古~い漫画の台詞

144 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/20(月) 02:18:59.91 ID:lHcbYmax
義元を信ずる、だと信元にならないか、元信なら義元が信ずる
元康でも義元がやすんじる、でいい意味だと思う

145 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/01/20(月) 03:30:16.27 ID:QO2tIAkQ
元を頭に持ってきたのは一字をくれた相手を敬う形でつけんじゃねえの?

謙信も『輝』虎 『政』虎
武田晴信や伊達晴宗や南部晴政や長尾晴景とかのも頭にあるが形だけはエライ人からの戴きものだったハズ…

146 名前:144[sage] 投稿日:2014/01/20(月) 03:35:36.54 ID:B9onzyKh
>>145
無論それはわかってる
元信、元康の意味のその漫画での捉え方がおかしいと書いてるんだが

『徳川武士銘々傳』による徳川四天王紹介

2014年01月18日 18:34

111 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/18(土) 00:00:09.79 ID:Q9tscSoN
『徳川武士銘々傳』による徳川四天王紹介(※添えられている既出の逸話は割愛)

酒井忠次は徳川家康の四天王とされ、井伊・本多・榊原と雄名を天下に表わしたる。
中興の祖を忠次とする。
忠次は本多忠勝に似たる豪雄ではない。
榊原康政の如く身に七十創を蒙る「曹参」の武勇にもない。
井伊直政が如き勇将の器でもない。
一言で約せば沈勇にして謀略に富し者である。
忠次の如きは将略の勇がある。
絶奇なる籌策を抱く人というべし。


本多忠勝は秀吉より源義経の家臣である佐藤忠信の兜を与えられたことがあったが、
その恩威にも心を動かさず、天下の御家人となることは彼が喜ぶ所ではなかった。
ただ、三河武士と唱えられ徳川累代の家臣と呼ばれることが、この上なき栄誉と思っている。

忠勝の勇は戦国の士に求め難きもので、忠勝の忠は全く絶倫である。
忠勝の勇は「樊カイ」に適し、智は「韓信」に比す可きだ。


榊原康政は忠臣無双の将である。
英主に康政が如き臣あり、勇にして智あり。
康政の勇は人のよく知る所であり、彼の智は知らない人はいない。


井伊直政は悪木盗泉で徳川殿に仕えて二心なき武士なり。
かかる義烈の直政は勇武の気性も鬼神を凌ぐ勢いがある。

長久手の役の折、この先陣に進みたるは言わずもがなの直政。
家名と共に照り輝く赤幟、赤旗、朱具足で白きは槍の身刃のみ。
この槍刀さえ一振りすれば唐紅に敵の血潮で染め上げて赤き心を表わす。
この赤隊はアサヒに輝き山よりこなたへ馳せ降り、天下の上方勢を遠慮なく縦に横にと掛け破り、
大将をあまた討ち取って、名もなき士卒は蕪大根を切るが如くスッパスッパと飛ばす。
この時より天下に轟く勇名は「赤鬼」と呼ばれるようになる。

また、士卒を率いて戦う将帥の器のみならず、打物執っても無双の武士なり。
昔日の武人が侍従といい、兵部を称するのは実に無上の栄誉であり
かかる高位の直政も君の馬前に死は塵芥より軽く、利は一足の草鞋に同じく、
婿君と仰ぐ下野守の初陣に手柄を取らせようと将たる地位を置き自ら手を下して敵に向かうは、
乳虎を叱咤する武夫の胸中に嫣然とした美人も愛してしまうであろう可憐な情もある。
直政こそ古今無類の武将と仰ぐべきだ。




113 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/18(土) 01:07:19.13 ID:KRm5VfS3
人物紹介

114 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/18(土) 09:26:19.83 ID:9JYqeLNU
近代デジタルライブラリーでざっと読んだけど
徳川家臣のいろんな逸話を幅広く集めて紹介しているが
読んでみるとやっぱり四天王は他の徳川家臣とは違うことが解る
>>111のような比較も興味深いね

115 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/18(土) 15:39:00.26 ID:WhKpmH8n
そんな徳川四天王も結局は「狡兎死して走狗烹らる」の運命。

116 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/01/18(土) 15:41:37.00 ID:seiNbtwq
四天王の所は「名誉家系」として幕末まで続いてるよ?

117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/18(土) 15:54:04.78 ID:RQ47MmjE
徳川ほど粛清しないのも世には珍しいくらいだが

119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/18(土) 16:23:04.13 ID:SSBslH6O
海老すくいさんにしてもパパにゃんにしても冷遇されてるってわけじゃないわな

120 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/18(土) 16:26:12.06 ID:wE0h5lRb
榊原なんか普通なら改易されるような事3,4回やらかしてるのに明治まで残ってるし。

121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/18(土) 16:37:09.03 ID:9mmhZYgF
家康だか秀忠から誓書もらってたんだっけ

123 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/18(土) 16:57:22.50 ID:9JYqeLNU
>>119
海老すくいさんが例の件とかで冷遇されていたわけじゃないってのも子孫みてもわかるけど
パパにゃん冷遇なんて聞いたことないけどな
佐和山っつか彦根も都の守備や大坂城を見据え西の大名衆に睨みを効かすを要所でパパにゃん配置はすごく納得だし

私は最後まで敵に押付を見せませんでした

2013年02月03日 19:00

400 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/03(日) 17:47:26.27 ID:f95ciS3r
徳川家康は囲炉裏に本多平八郎を呼んで「この陣を退くべきか、否か」と、尋ねた。
これに平八郎が「御引き上げなさるべきです」と申し上げると、家康は「腰抜け!」
と、叱った。平八郎は「腰抜けの覚えはございません」と言った。

また、家康は酒井忠次を呼んで「平八郎は引き上げろと言うが、お前はどう思う」
と、尋ねた。忠次は「若い平八郎の意見ではありますが、私も同じ意見です。
もっともだと思います」と、申し上げたので、家康は引き上げたのだが、
その様子は少々みっともないものだった。

そのため平八郎は「私は最後まで敵に押付(鎧の背の上部)を見せませんでしたよ」
と、家康を風刺した。この時、忠勝は十八歳だった。

――『良将言行録』




401 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/03(日) 17:54:30.95 ID:TZdT6oPj
>>400
忠勝18歳というと家康は23歳か。若い主従だな。

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/03(日) 18:34:15.44 ID:N57BYism
安心の三河武士クオリティ

403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/03(日) 19:01:03.81 ID:wXP5DRQl
存念を問われると安全策というか正攻法を進言するけど、自分が戦に出ると相当な無茶をやらかすイメージだな忠勝は。

404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/03(日) 19:33:27.59 ID:ztwanxXe
とは言っても、それは若いうちだけだよね
高天神とか、姉川とか
まあ、長久手のときも無茶だったかもしれないけど、それは計算ずくに違いない


神君伊賀越え、本多忠勝大暴れ

2012年11月07日 19:55

241 名前:1/2[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 21:08:24.01 ID:y9u1DvmK
さてさて天正10年(158582)、皆さんご存知、本能寺の変である

この時徳川家康は酒井左衛門尉忠次、植村右衛門佐ばかりがお伴して、堺を見物し、
これを茶屋四郎次郎が案内として付いていた。

そんな堺の家康のもとに、本多平八郎忠勝は本能寺の変を聞きつけるや否や直ぐ様
駆けつけた。

そこでは家康は「この少人数で三河まで引き上げるのは不可能だ。ここで切腹する!」
と決意していた。

ここに忠勝進み出て
「仰るように、どの道も本道は皆、敵中であると考えるべきでしょう、しかしながら
ここで殿が御自害なさる事ではござらぬ。間道を抜けてそこから山越しに伊賀路へと出れば、
別議なく帰国できます!」

しかし家康
「そうは言うが、我らは上方に不慣れな者ばかりである、どうやって敵の知らぬ間道を
通るというのか?」

「その段はそれがしにおまかせあれ!!!」
忠勝、朗らかにそう言うとどこかに走っていった。少しして帰ってきた。誰かを引きずって

「この辺りの村の庄官を捕らえてきました!!!」

突然の拉致にガタガタ震えている庄官に
「おい貴様!ここにおられる殿のご案内をいたせ!しかしもし騙すようなら…お前を即座にぶっ殺す!」
(悪しく導き奉らば、忽に打殺す)

信長や秀吉からも最高の武士として讃えられた男からのこの脅しである。庄官は半ば魂が抜けつつ清瀧まで
案内し、「こ、この先は解りません~」と泣きながら訴えた。


242 名前:2/2[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 21:09:17.49 ID:y9u1DvmK
これを聞いて忠勝、「ふん、仕方がない」と庄官をあっさり開放。そして「ちょっと行ってきます」
「どこに?」と思ったらまた直ぐ戻ってきた。また誰かを引きずって

「この辺りの村の長を捕らえてきました!!!」

また誘拐である

「さあ我々を案内せよ!、もし(ry」
遂に木津川まで至った。と、川を渡る薪船を二艘発見!忠勝叫ぶ「おいそこの船!こっちに来い!!」

天下無双の勇士の呼びかけにこの二艘の船、当然ながら逃げ出した。

「ほほう、こちらに船を寄せない気か。そういう事なら考えがある。鉄砲ー!!!」

船に向かって射撃開始!「船を寄せねば鉄砲で撃ち沈める!」

船の者達当然ながら驚愕し、家康一行の前に船をつけると、家康は金銀を払い積荷の薪をすべて捨てさせ、
これに家康及び共の者達全員を乗せ対岸まで渡った。この時本多忠勝一人残り、対岸まで行った船が
帰ってくるのを待ってこれに乗り、向こう岸につくと同時に、かの名槍蜻蛉切の石突で、二艘の船艇を
突き破り、「これでよし!」と先に進んだ。

こうして井出の里にまで行き玉水において

「この辺りを案内できるものを捕らえてきました!!!」

何人目かの不幸な犠牲者のおかげで宇治田原まで着く。その先を尋ねると「み、水口越は難所であり、
敵がもし人数を置けばどうにも出来ません」と言うので、多羅尾谷まで進んだ。
ここで多羅尾の何某と言う者が家康の到来を大いに喜び、我が館に是非入ってくださいと言ってきた。
しかるに酒井ら、当然ながらこれを疑い、「我々は今敵中にいるのだ。人の心も計りがたい。
いかにするべきか…」と悩んでいた所、忠勝は

「堺を出てから今日までの間に、我らはもはや、腰兵糧の他何もありません。至極難儀の時であります。
ここで多羅尾にもし殿に対する逆心があるのなら、彼の家に入らなくても我々を逃すことはありません。
何故ならこの様に疲れきった我々では、思うように働くことが難しいからです。

ならば多羅尾の折角の馳走を受けて、かの家で腰を懸けて、人馬の息を休めるべきでしょう。
なあに、万一多羅尾の態度が思わしくないものであれば、私が奴を捕らえてどうとでもしてやりますよ!」

これに一同「尤もだ」と、特に最期の一節に納得しこの家に入ると、彼は無二の持て成しをし、
これにより家康一行、疲れから回復することが出来た。家康は多羅尾に礼として自らの刀を与えた。

ここより伊賀越をし、ここで服部半蔵支配の甲賀者たちが家康のもとに参上し身辺を守り、そのため
難なく伊勢浦に到着し、ここより船に乗って三河へと御帰陣された。
(武野燭談)

神君伊賀越え、本多忠勝大暴れの一席である




243 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 22:20:24.39 ID:bajq3D94
(アカン)

244 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 22:45:49.82 ID:lHGmkg1G
船のくだりは見るの初めてかな。忠勝残る必要ないような。
色々と何かがアレだが一応誰も切ってないあたりが別件の四天王とは違う・・・よね?

245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 23:07:20.97 ID:R1nwenVc
あずみを思い出して嫌な気分になった...
あれ実話なんじゃないかな

246 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 23:29:11.51 ID:dAtxtflh
平八さんの出てくる逸話は万事に抜かりなさすぎて主演:スティーヴン・セガールの
映画見てるような気分にさせられるな

247 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 00:55:34.50 ID:2cin/Vnm
これぞまさしく今張飛の大活躍だな

248 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 01:55:18.62 ID:4i4nduHn
>>247
頭の中身も張飛っぽいんだよなぁ。本多平八郎って。

250 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 06:53:22.06 ID:XDwDyiyJ
こういう時に慌てず冷静な手段(=誘拐)を取れるってのがいいね。

251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 10:41:01.27 ID:UEmzXKb/
同じ逸話で「万事に抜かりない印象」「頭の中身も張飛っぽい」
どうしてこうなるんだろ

252 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 12:15:07.80 ID:DW3pQ4EZ
開放するか斬り捨てるかの違いがあるがやってる事自体は鬼武蔵と大差無い気も…

253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 13:18:03.94 ID:CVlBjGwt
なんでもかんでも森長可を絡めるなよ

254 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 13:19:49.46 ID:2NZgsIy/
大きな違いじゃないですか大きな

255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 13:30:07.82 ID:DW3pQ4EZ
とはいえ時系列的にほぼ同時進行ですしおすし。

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 13:41:49.35 ID:/cqAsKIk
そういや最近鬼武蔵の話見かけないな。粗方ネタは出尽くしたのかな?

257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 18:21:14.07 ID:MXd1EikK
人攫ってもさわやかだな平八さんはw

265 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 00:58:56.07 ID:89jc9wmL
>>251
ちょっと強引に力で解決してるあたりがまさしく今張飛って感じでかっこいいと思った

266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 10:57:21.91 ID:2j3I6O+V
>>265
同じく。実際躊躇していられる状況じゃなかっただろうしな。
力ずくででも安全を確保しないと。

267 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 20:07:02.36 ID:j+XcMJcK
張飛:二人の娘が劉禅の皇后になったことを考えると、娘は美人だったと思われる
忠勝:娘が美人と伝わる
おそらく、父親には似なかったんだろう

268 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 20:15:09.33 ID:yqc5oyur
千姫の再婚相手で忠勝の孫である本多忠刻だって美男との噂だし
忠勝もそれなりにイケてたんだと思う

269 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 20:41:15.51 ID:6IH+EQ0J
絵師を脅して描かせたという肖像画みると、そうとは思えないが

270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 21:41:51.76 ID:++hr5nXk
当時の男女の美形の基準てどんなかんじなのかね

271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 22:09:28.05 ID:yqc5oyur
今とそんなに変わりは無いらしいよ

275 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 23:43:44.39 ID:jRh1W7Cs
>>269
>絵師を脅して

!?

276 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 23:47:11.88 ID:BIRB/1cl
http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Honda_Tadakatu.jpg
>本多忠勝。Honda Tadakatu. 「紙本著色本多忠勝像」関が原合戦後、描かせた肖像画。
>関が原合戦後、忠勝は争いの無い時代になり自分の活躍の場が無くなったことを嘆き、
>絵師にこの甲冑姿の自分の肖像を描く事を命じた、なお忠勝はこの肖像画を完成させるまでに
>7回~8回やり直しさせたとも言われている。
>また、この肖像画を描くときに着用していた甲冑は現在も残っている。

279 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/09(金) 00:00:47.22 ID:Mh5PjjTA
>>276
wikiに書いてなかったような…と思ったらば画像の解説のところね。気付かなかった。
書き直しさせたのか、てっきりまた伊勢越えみたいな「え?鬼武蔵?」的なエピでもあるのかとー
あー驚いた。

281 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/09(金) 00:14:18.67 ID:NrUrR7Hv
甲冑図には大抵、袖があるけど実際には無かったりする(本多忠勝・榊原康政)

283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/09(金) 03:41:43.45 ID:Mh5PjjTA
>>279伊勢じゃねーよ伊賀だよorz

284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/10(土) 07:44:41.60 ID:ghAmbUb8
>>270-271
150年前の土方歳三の写真を見ると現代基準でも男前
そこから150~200年前の美醜の基準だからあまり変わらないんじゃね?

小牧長久手の戦いの逸話の脚注

2012年09月13日 20:29

451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/12(水) 19:20:49.67 ID:aJ01f6fr

以下、小牧長久手の戦いの逸話の脚注。

一説にこの時(豊臣秀吉が竜泉寺にいた時)、
酒井忠次が「秀吉を討つのは今日です!」と言ったところ、

徳川家康が)「『勝って兜の緒をしめる』とはここだぞ」と仰せになるので、
忠次は重ねて「先陣を破ってことごとく討ち果たすのです!」と言い、

「只今が最良の状況じゃ」などとやり取りしている内に敵はすぐに柵を
設けたので、忠次は「明日は秀吉に降参なさいませ」と言ったとか。

これも(先の逸話の)榊原康政と同様のことを伝えているのだろう。

――『徳川実紀』

関ヶ原以前にも例の言葉を言ってたというお話。
権現様の好きなフレーズだったりするのだろうか?




452 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/12(水) 20:12:02.71 ID:H9nOBwuI
忠次さん面白い
家康もだけど忠次みたいなのも頑固っていうのかな?

453 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/12(水) 20:50:51.25 ID:qqkt/iTn
三河武士って言うんだよ^^

454 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/12(水) 21:07:29.89 ID:bE75FO7m
>>451
家康に直言出来る身分は限られるんだろうけど
入れ替わり立ち替わりこんなんばっか来たら嫌だなww

455 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/12(水) 21:40:55.74 ID:nQmp9Qs5
勝緒武士ですか…

456 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/13(木) 17:32:31.66 ID:IPx2QTOc
ああ、これな
http://hondashi.jp/scr/

二の手はこのように

2012年09月03日 20:51

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/02(日) 20:24:47.32 ID:EH9UdyJK
姉川の戦いにおいて、徳川軍では先陣が酒井忠次、二陣が榊原康政であった。

先ず酒井の先陣が、小笠原與八郎、菅沼新八郎、奥平といった寄騎とともに川を渡ったが、岸が高く
上がり兼ねていた所、榊原の部隊が真一文字に進んできて、上がり難き岸も「遮二無二押し上げよ!!」
そうして、「エイトウエイトウ」の掛け声とともに無理矢理に押し上がり、酒井の部隊の前に進もうとした。

これを見た酒井の部隊の兵たち「榊原の部隊に遅れては無念である!」と競いあうように岸に推し上がって進み、
そのため合戦にも利を得たという。

合戦後徳川家康

「康政の二の手のやりかたは今後の手本となるべきものだ!二の手の行動はこのようにしたいものだ。」と、
大いに激賞したとのことである。
(常山紀談)




334 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/02(日) 21:36:15.62 ID:bysBIx0B
>>331
榊原康政はここでも先鋒を追い越してるね
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4701.html

榊原の韋駄天走りっていうけど、榊原隊の足ってそんなに速かったのかな?
川渡るのも速いってことは、足腰が強いのか?


335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/02(日) 21:54:15.06 ID:yjIr/Tc6
>>334

川を渡っている先鋒の頭やら肩やらを橋代わりに、走っていったんじゃね?

336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/02(日) 22:58:30.30 ID:+VjcDlhZ
>>335
因幡の白うさぎかよっw

337 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/02(日) 23:09:27.13 ID:i0Di4b3O
怒った先鋒に鎧を剥かれて更に速く!

342 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/03(月) 19:57:49.22 ID:y3CmCXPe
もし徳川が小牧で敗北して家康死亡の場合
なんでも出来る康政さんがいの一番に最高禄で再就職が決まりそうだ
ラスボスが曹操が敵の檄文書きを許した故事に倣った場合の制限付で

酒井忠次「踊って紛らわせればよいのじゃ!」

2012年06月26日 21:00

123 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 00:40:49.65 ID:fS2uzXJp
長篠の戦の時、鳶ヶ巣山砦を奇襲する一軍は疲れていた。
そこで、酒井忠次は考えた末、

「踊って紛らわせればよいのじゃ!」

ということになり、松平又七、松平又八の二人とともに「井杭」の狂言を演じて兵の疲れを紛らわしたそうだ。

なお、この松平×2はどちらも「松平家忠」という名前である。
又七が形原松平氏、又八が深溝松平氏で、日記職人は深溝の方。

124 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 00:42:54.95 ID:fS2uzXJp
ちなみに又八家忠はこれが初陣で、父伊忠とともに武田勢に突撃しようとしたが、
「お前も一緒に死んでは家が残らない。それでは忠義にならない。生命を全うして主家に尽くせ」
と言い残し、武田勢に突撃して討ち死にしたそうだ。

長篠の戦いにおける松平家忠の話でした。

125 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 00:50:22.57 ID:fS2uzXJp
↑訂正。言い残したのは伊忠。申し訳ないorz




126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 00:59:24.00 ID:EPc2kKnn
お前は生き残れって言って実際死んじゃうのか

127 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 01:23:19.10 ID:pr+8WZq9
踊るって言うからてっきりebisukuiかと

『卒啄』

2012年05月22日 21:01

292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/22(火) 12:29:39.61 ID:6KNQfxU4
永禄11年、武田信玄は下條弾正に命じて酒井忠次に書簡を送り、
「これからは両家ともに仲良くしていきましょう」と伝えてきた。

その書には『卒啄』の2字が書かれていたのだが、誰一人として
その意味が分からなかった。

ちょうどその頃、伊勢の江南和尚が東国に向かう途中で岡崎にいたので
石川家成が字の意味を尋ねたところ江南

「鳥の卵殻を破るにその時節あり。早ければ水になり。遅ければ腐る」
と答えた。この事を耳にした家康は

「すべて万事に時を失わざるをもって肝要とす。主将ならばこのことを
忘れてはいけない」と言った。




293 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/22(火) 12:31:27.40 ID:AH8VRl2d
名探偵だな、その江南って和尚

294 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/22(火) 12:43:34.04 ID:XfqFYeXL
禅語の教養があっただけだろ

295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/22(火) 12:45:38.46 ID:AH8VRl2d
今ググって禅の用語だと知った

296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/22(火) 13:37:58.32 ID:Sso/Rx7Y
三河者は一向宗ばっかだから仕方ないね(諦め)

297 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/22(火) 13:43:39.80 ID:5gWc94pq
本多忠勝「三河者に文弱は不要! 政治なんぞ殿のやることを見ておれば自ずと分かるわ!」

298 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/22(火) 13:49:23.19 ID:WA0wg0Ny
永禄11年っていつかと思えば武田が駿河に侵攻するあたりか。

299 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/22(火) 16:08:44.14 ID:H/mT/ZGw
『卒啄』…? 寝起きの頭だと、豚キムチが何?って勝手に脳内変換した

300 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/22(火) 20:48:26.14 ID:Tfjf9koH
松平家忠は禅宗だよ