里見勘十郎と申す者は

2014年08月31日 18:56

74 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/31(日) 01:25:04.75 ID:BdX1QqB8
里見勘十郎と申す者は

家中騒動(伊達騒動)で名が上がります小姓頭の里見勘十郎(里見重勝)と申す者は里見勘四郎(里見元勝)の子なり

勘四郎は天正10(1582)年に最上上山の里見民部少輔が主君の上山満兼を討った際、民部は兄の内蔵助をも弑せられた
勘四郎は内蔵助の子なるがそのとき齢二歳にて、乳母に連れられ逃げ、やがては父の仇の民部一族の多くを
討ち取り後に貞山公(伊達政宗)に仕えられた
しかし仙台で百姓訴訟に不備があり碌を離れ、大坂で幕府の御家人になった

勘十郎は最初紀州公に仕えたが、縁により仙台に仕えた

『伊達治家記録』

どこかなにかで繋がりの見える、東北の血縁のお話




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